2017年8月9日、澎湃新聞は「もし原子爆弾投下がなかったら、日本はどのくらい持ちこたえたのか?」と題する記事を掲載した。

記事はまず、「1945年8月初めごろの日本の状況を見てみたい」と述べ、同年2月から米国が日本本土に対して二つの大きな行動を開始したと説明。その一つである戦略爆撃については「3月から7月末までに米国はさまざまな型の航空機延べ3万3041機を出動させた。うち、B−29は延べ1万5000機。落とした爆弾は16万トンに上り、8月は10万トン以上が計画されていた」とつづり、半年間で日本の98都市が爆撃に遭ったと伝えた。中でも3月9日の東京大空襲では多大な犠牲者が出たことを説明し、「大空襲は日本国民に極度の不安をもたらした」。爆撃日時を知らせるビラの投下で混乱はさらに悪化し、軍需工場の稼働にも影響が発生、空襲による破壊で製油能力は83%下がったという。

また、米国が取ったもう一つの行動、機雷封鎖作戦に関しては「資源に乏しい日本は石油の92%を海外に頼っていた」などと述べ、「米軍は機雷によって日本の海上輸送を切断」「その効果は明らかで、3月下旬からの4カ月半で日本が輸入する物資の総量は90%減少。原料が尽きた軍需工場は次々と生産停止や閉鎖に追い込まれた」と解説する。

記事は、戦略爆撃と機雷封鎖で日本は物質的にも精神的にも巨大な痛手を受けていたと指摘した上で、「この時、日本は武士道精神だけで持ちこたえていたが銃に弾はなく、戦闘機に燃料はない。腹の中はからっぽ。あとどれだけ持久できるというのか?」。記事によると、戦後に出されたレポートには「当時の情勢や日本国民の経済状況に関する調査から、原爆投下がなくても日本は1945年12月末までに、さらには11月1日の本土上陸作戦実行前に無条件降伏しただろう」との見方が示されており、「原爆投下がなくても、日本は3カ月程度持ちこたえるのがやっとだった」のだという。(翻訳・編集/野谷)