7月10日投開票の参議院議員選挙は、大方の予想通り与党が大勝した。選挙戦では「ここ数十年、賃金がほとんど上がっていないのは先進国で日本だけ。『給料が上がる経済』を実現する」など、長期にわたる経済の低迷について改めて問い直そうとする訴えも聞かれた。しかし、過去30年間の政策や実績をトータルに総括し、ここから脱するためには何が必要かについて説得力ある処方箋を提示した政党はなかったように思う。そして、有権者の側も特にそれを求めなかった。これでいいのだろうか?

◆かつて日本経済は無双状態だった

30年以上前の会話なのに、今も記憶に残る言葉がある。たしか1988年、某大手商社の首脳を取材していたときだ。同首脳は、日本経済が絶好調だと前置きしたうえで、「何しろ日本の1年の成長分だけで、韓国1国の経済規模に匹敵するのですから」と語った。

その時は、へぇーそうなのかと思っただけで記事にもしなかったが、妙に印象的で頭の片隅に残っていた。今回、改めて当時のデータを照合してみた。

資料によると、1988年の国内総生産(GDP)は、日本が3兆0720億ドル、韓国は1996億ドル。当時の日本の名目成長率は約7%だったので、1年で約2150億ドル経済規模を増やしたことになる。まさに、日本の成長分だけで韓国全体を上回っていたわけで、当時の日本経済の無双ぶりが分かる。

世界の企業時価総額ランキングで、トップ20社中14社を日本企業が占め、そのうち6社が銀行だったのもこのころだ。

あれから30余年。現在の時価総額ランキングのトップ20に日本企業の名前はなく、トヨタ自動車がようやく40位前後に顔を出す程度。そして、かつては経済力で圧倒的な格差があった韓国との関係でも、購買力平価による1人当たりGDPでは逆転されているのが現状だ。

◆「なぜこんなに貧しくなったのか」

経済評論家の荻原博子氏は昨年、「私たちはなぜこんなに貧しくなったのか」(文芸春秋)という本を上梓した。なんとも身もふたもない書名だが、冒頭からため息の出るデータが次々に紹介される。

▽日本の1人当たりGDPは、2000年の世界2位から20年には23位に

▽スイスの調査機関が発表している世界競争力ランキングで、日本は1989年に1位だったが、20年には34位

▽日本の平均給与は、1997年の471万円から09年には421万円に下がり、その後少し盛り返したものの19年で436万円と、20年前に比べ35万円も低い

▽消費税の導入・税率アップや社会保険料の値上がりにより、年収500万円の家庭で平成の30年間に約26万円の支出増

これだけでも十分気が滅入るが、このほかにも日本の厳しい現状を表すデータは枚挙に暇がない。1990年度に166兆円だった国債発行残高は、21年度には990兆円に増加し、財政状態は先進国中最悪。経済以外に目を転じると、22年の男女平等ランキングでは先進国中最下位の116位。報道の自由度ランキングでは、2010年に11位を付けたあと、坂を転がるように順位を下げ、今年は台湾や韓国より低い71位だ。

これらの数字からは、経済が全く振るわず、国民の実質収入は大きく目減りした一方で将来世代への負債は大きく増加。男女格差は根強く残り、報道への締め付けは強くなっている―そんな社会の姿が浮かび上がる。 前述の大手商社首脳は、現在は鬼籍に入っているが、現状をみたら「こんな日本に誰がした」と嘆くかもしれない。

◆安定して居心地の良い社会?

一方で、この30年間で良くなった点にも触れなければフェアとは言えないだろう。訪日外国人の増加はその筆頭。1990年の324万人から、コロナ前の2019年には3188万人に急増し、低迷する経済をインバウンド需要が下支えした。デフレ・円安の日本への買い物ツアーという側面も確かにあるが、観光地としての魅力が再確認されたとすれば嬉しいことだ。

大方の認識とは違うかもしれないが、治安も良くなっている。資料によると、殺人事件の被害者数は、1955年(私の生まれた年だ!)に2119人とピークを付けた後、90年に744人、2021年に254人に減少した。犯罪認知件数も、2002年に280万件をこえるなど、21世紀初めにかけては悪化したが、20年には61万件まで急減した。かつては日常茶飯事だったストライキやデモはめっきり少なくなり(若い人には、70年代に旧国鉄がストで10日近くもマヒしたことなど想像もできないだろう)、米国や欧州からしばしば伝えられる暴動はほぼ皆無だ。

フィナンシャル・タイムズ紙の特派員だったディヴィッド・ピリング氏は、「幻想の経済成長」(2019年、早川書房)で、日本経済のサービス水準の高さ(「新幹線は素晴らしい!」)、低い失業率、治安の良さ、平均寿命の長さなどを指摘したうえで、「経済学のプリズムを通してみれば…『悲惨な状態』にあるはずの日本で、悲惨さを感じることはまるでなかった」と、日本での生活の快適さを強調する。経済統計上の不振にもかかわらず、平成を通じて日本社会は安定感を増し、居心地も良い。そうであれば、多少の収入減があっても、今の生活に大きな不満を持たない人が多いのだろう。それが選挙結果にも反映されたのではないか。

◆スケールの大きい提言を期待

これらに加え、スポーツ界の躍進(2月25日付当欄参照)やノーベル賞受賞者の増加など、経済以外の分野で日本が存在感を高めた分野は少なくない。とはいえ、経済の低迷により相対的な国力や国際的な影響力が低下したことは間違いない。社会が安定しているのでこのままで構わないという見方もあるだろうが、やはり国力を回復すべきだというのであれば、「失われた30年」をしっかり総括し、そのうえで経済再生に向けた具体的な処方箋を書くことが政治には求められる。

少し古いが、経営コンサルタントの大前研一氏は、2015年に上梓した「低欲望社会―『大志なき時代』の新・国富論」(小学館)で、「若者の大半はDNAが変異し、欲望がどんどん減衰して」おり、日本は世界に類のない「低欲望社会」になったと分析する。日本人の低欲望化は経済現象というより社会現象なので、従来型の景気刺激策は効果がなく、国民の心理に働きかけて経済を活性化する方法が有効だとして、移民の受け入れで若者らに刺激を与えるべきだと提案する。それも10年間で400万〜600万人という、大胆かつ本格的な移民社会への移行だ。

移民の大量流入という政策の是非はともかく、政党などが経済再生への処方箋を書くのなら、このくらいスケールの大きいビジョンを期待したい。従来型の財政出動や小手先の改革では、日本経済の本格的な再生にはつながらないと思うからだ。