2022年8月8日、中国メディアの第一財経日報は日米半導体摩擦が日本の半導体産業に与えた打撃について紹介する文章を掲載した。以下はその概要。

日米半導体摩擦が始まったのは1980年代で、終わったのは1996年だ。この10年余りの間で、半導体に関する2つの合意書が締結されている。1つ目の合意は1986年に署名された公平な市場価格制度実施に関するもので、日本の半導体製品の海外市場における価格の下限を設定した。その5年のには2つ目の合意書が締結され、日本市場における外国製半導体製品シェアの下限を20%に設定するものだった。

米国は貿易交渉によって日本の半導体産業にダメージを与えると同時に、国内の科学技術産業政策を次々と打ち出し、自国の半導体産業の技術革新、生産能力向上を促進した。まず、独占禁止法による企業同士の研究協力制限を撤廃して、企業同士や企業と行政との研究協力を推進した。次に、80年代後期には軍民両用技術の企業と行政の協力を推進し、先進技術の模索に取り組んだ。これらの取り組みにより米国の半導体製品、設備の国際競争力は飛躍的に向上し、93年には米国製半導体製品の世界市場シェアが45.3%に、半導体設備の世界シェアも53.6%に達し、いずれも日本を抜いた。かくして日米半導体摩擦は終わりを迎えたのである。

米国による科学技術産業政策は、日本の半導体産業が持っていた潜在的な競争力に2つの面からダメージを与えた。まず、世界の半導体業界の発展トレンドに変化を起こし、日本の半導体製品が持っていた強み、市場ニーズを潰した。すなわち、DRAM生産設備の標準化、そしてシステムLSIの開発にいよるDRAM市場の重要性低下だ。

次に、世界の技術革新活動に対する日本の参加を制限した。知的財産権保護を目的に日本企業による米国技術、特許の使用コストを引き上げ、日本企業が企業買収によって米国技術を取得する機会も制限した。また、貿易合意の一部として、日本の半導体競争力を高める可能性がある研究を行わないように、米政府が当時の通商産業省に圧力をかけた。

一般的に、90年代に日本の半導体産業が衰退していった直接的な原因は、その発展モデルが世界の半導体産業構造の変化に適応できなかったためであり、日本企業自身に根本的な理由があったと認識されている。しかし、否定できないのは、当時の日本は米国主導による世界の技術革新のグループからはじき出されていたということだ。(翻訳・編集/川尻)