中国の有り様も分析

 昔のキャラメルのCMではないが、1冊で2度おいしい本だ。1つ目はアメリカをはじめとする今日の西側の資本主義を「リベラル能力資本主義」と規定し、それがもたらすシステム的な不平等と、それがなまじ能力による高い労働所得に基づくがゆえに旧来の福祉国家的な手法では解決しがたいパラドックスを描き出す第2章である。

 19世紀の古典的資本主義では、資本家が裕福で労働者は貧しかった。20世紀の社会民主主義的資本主義では、社会保障や教育を通じてかなりの再分配が行われた。これに対して、21世紀のリベラル能力資本主義では、多くの人が資本と労働の双方から収入を得ており、金持ちの多くはその「能力(=人的資本)」に基づいて高額の給料を得ている。高学歴の男女同士が結婚(同類婚)することで階級分離が進み、相続税が高い社会でも学歴という形で不平等が世代間移転される。こうなると、課税と社会移転という20世紀的なツールの有効性が低下する。一番始末に負えないのは、勤勉で有能であるがゆえに高給を得、夫婦親子でエリート一族を形成する彼らを道徳的に批判することが(かつての「有閑階級」と異なって)困難である点だ。この章は、みんながうすうす感じていたことをあっさり暴露した風情がある。

 次の第3章は中国(とその眷属国家)の有り様を「政治的資本主義」と規定し、その世界史的位置付けを試みているが、これだけで十分一冊になる。著者によれば、共産主義は植民地化された後進国の資本主義化の手段である。そして優秀な官僚、法の支配の欠如、国家の自律性に特徴付けられる政治的資本主義には、腐敗と不平等という宿痾がまつわりつく。なぜなら、法の支配が故意に柔軟な解釈をされ、横領に手を染めることが可能となるからだ。これに対して一部評論家が提唱する法の支配の強化という処方箋は、官僚の自由裁量権をなくすことになるので採り得ない。

 そこで習近平政権は腐敗に手を染めた役人を片っ端から摘発する(ハエもトラも叩く)。とはいえ、それは腐敗の一掃が目的ではなく、「腐敗の川を川床内に留めおき、社会にあまり広がらないようにする」ことにすぎない。「洪水の如く溢れたら最後、腐敗を持続可能な程度まで押し戻すのは極めて困難」だからだ。

 以上だけでもおいしいが、第4章以下では、労働と移民のパラドックス、アンバンドリングとしてのグローバル化、世界に広がる腐敗、道徳観念の欠如、さらには人工知能とユニバーサル・ベーシックインカムなど、今日話題のネタもたっぷり詰め込まれている。だが、本文最後で語られる未来図はいささか心冷えるものである。それは、リベラル資本主義の下で形成されつつある新たなエリート層が、今よりはるかに社会から独立した立場につき、政治的領域を支配するようになる、つまり政治的資本主義に近づいていくというシナリオだ。人々の頭の中から政治を消し去り、国民を満足させておける比較的高い成長率をもたらすために、経済をすこぶる能率的に管理することが求められる。そして恐らくこのシステムに土着の腐敗が増え、長い目で見れば政権の存続の脅威となる、と。

(ブランコ・ミラノヴィッチ著、みすず書房刊、3960円)

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎