東アフリカのウガンダで、人気ミュージシャンから国会議員に転身したボビ・ワイン。アフリカで最も注目される政治家の一人に迫った。

ボビ・ワインが26歳の時、24インチのホイールリムのタイヤを履いたキャデラック・エスカレードを新車で購入した。当時の彼は既にウガンダのスーパースターで、彼曰く、購入したエスパーダは東アフリカ全体で初めて販売されたものだという。ワインの音楽は、「キダンダリ」と呼ばれる地元独自のアフロビートとジャマイカン・ダンスホールとを組み合わせた明るいスタイルだが、当初は純粋なヒップホップのミュージシャンだった。地元メディアは、複数の女性と浮き名を流し他のスターと揉める彼を取り上げて騒ぎ立てた。



ワインは、ある晩ウガンダの首都カンパラにあるクラブへエスカレードで乗りつけた時のことを語った。クラブに着くとひとりの男がワインに絡み出した。男は、常に世界で最も貧困な国々のひとつにランクされているウガンダで自分の富を誇示しているワインが気に入らなかったのだ。車に近寄った男がワインの顔を平手打ちしたため、才能あるボクサーでもあったワインはとっさにSUVから飛び出した。すると男は銃を取り出してワインの頭に突きつけ、彼を繰り返し激しく殴り付けたという。

男は、ウガンダの軍諜報部のトップとも一緒に働いた経験を持つ兵士だったという。言い換えれば男のコネは強力で、誰に何をしても責任を問われないということだ。当時のワインの音楽は、パーティーソング、ラブバラード、ブラガドシオが中心だった。時折、貧困や公衆衛生、エイズ流行などウガンダに蔓延る問題についての曲を作ることもあったが、問題の元凶である体制に対してはほとんど無関心を装っていた。結局のところ、彼はそうやってうまく生きてきたのだ。

殴られたワインも初めは怒りを露わにした。しかし知り合いの軍幹部やビジネスマンや政治家らが同じように誰かを殴りつけていた時に、彼は傍で黙って見ていたことを思い出した。そんな自分の態度を振り返ってみると、彼は殴られても当然だったのかもしれない。

殴打事件をきっかけにワイン(現在38歳)は政治への道を目指し、12年前に自分を平手打ちさせることに繋がった社会の不条理や不公正に取り組むこととなった。本名をロバート・キャグラニ・センタムというワインは、2017年にウガンダの国会議員になった。ウガンダでは、75歳になるヨウェリ・ムセベニ大統領の独裁状態が続いている。2019年にワインは、2021年初頭に行われる大統領選への立候補を表明した。

・1986年からウガンダの大統領を続ける「年老いた独裁者」(写真)

1986年から続くムセベニ政権下では汚職が蔓延し、政敵を容赦なく押さえつけてきた。最後の大統領選は2016年に行われたが、ムセベニの最大のライバルだった候補者は選挙当日に逮捕された。


大統領選への出馬表明後、何者かによって運転手が殺害

10年以上前から「ゲットーの大統領」として知られるワインは、大統領選への出馬を表明して以降、公の場でのパフォーマンスを禁じられている。また政府は、ワインによる「ピープル・パワー」運動のトレードマークとして支援者がかぶっていた赤いベレー帽も禁止した。何度も逮捕されているワインは政府による監視下に置かれ、酷い仕打ちにも耐えてきた。2018年にワインの運転手が殺害されたが、実はワイン本人を狙ったという説もあり、少なくとも彼に対する強烈な脅しにはなった(ウガンダ政府に本事件に関するコメントを求めたが、回答がなかった)。

ワインを巡るこれら一連の出来事は、国内のみならずアフリカ全土における彼の評価を高めた。南アフリカを代表するポップスターのイボンヌ・チャカ・チャカはワインを「尊敬するウガンダのネルソン・マンデラ」と呼んだ。少々大げさな比喩のように聞こえるが、全くの的外れという訳でもない。ワインの主導するピープル・パワー運動はこれまでのところ特定の政党と協力関係にはないが、若者や貧困層を政治の世界に引き込んだ。人口の7割近くが25歳未満で、かつ貧困が当たり前の国では、ムセベニのような大統領に対する不満が生まれるのは自然の流れだ。

「ムセベニは、現政権が腐敗し能力の無いことを認識している。国民は変化を熱望している」と、ナショナル・メディア・グループの編集担当ジェネラル・マネジャーを務めるダニエル・カリナキは言う。彼はウガンダ最大の独立系新聞社デイリー・モニターの政治コラムも担当している。「これまでムセベニには、ボビのような自分にとって脅威となる人間が存在しなかった。今の時代を象徴する脅威だ」

2019年12月のある土曜日、カンパラ北部の郊外にある、ワインが家族と暮らすプール付きの白い豪邸を訪ねた。ドアを何度かノックしたが返答がなく、15分後、テリークロスの白いバスローブを羽織った彼が眠そうな目で現れた。

「ああゴメン、今起きたところなんだ」とワインは、バツの悪そうな笑みを口元に浮かべた。彼はジンバブエでのコンサートを終えて、昨晩遅くに帰宅したのだった。「すぐに支度するから5分待ってくれ。」

よく手入れされた庭にバナナの木が立ち並び、コンクリートの高い壁に囲まれた邸宅は静かだった。ワインは最近、妻と子どもたちを秘密の場所に匿っている。「家族に危険が迫っているんだ」とワインは言う。

家の中はオープンで広々としたスパルタン風だが、ただキッチン横のライブラリーだけは違う雰囲気だ。一方の壁には家族の写真が掛けられ、近くに小型のアコースティックギターとハンドドラムがある。そして隅にはたくさんの音楽関係と人権関係の受賞記念品が並んでいる。もう一方の壁は本棚で、最上段にはトーマス・サンカラの生涯を偲ぶ一文が書かれたサッカーボールが飾られている。「アフリカのチェ・ゲバラ」と呼ばれたサンカラは、1983年にブルキナファソの大統領に就任したが、4年後に暗殺された。また、ラスタファリ運動における神の化身とされたエチオピア皇帝のハイレ・セラシエの肖像も置かれている。セラシエもまた、最後は暗殺された人物だ。

ソーシャルワーカーでもある妻のバービーがいないと、ワインはやや頼りない様子だ。「俺の靴がない。靴下も見つからない」と言いながら、彼はベッドルームから出てきた。黒のボタンダウンシャツに黒のズボンを履き、青いブレザーを羽織った彼は、驚くことに服に合う靴も靴下もちゃんと履いているのだ。


「当局は俺が人々と接触するのをとても恐れている」

我々はワインのトヨタ・ランドクルーザーに乗り込んで敷地横のゲートを出て、ぬかるんだ細道を進んだ。ワインはハンドルを握りながら、今回のジンバブエ訪問を楽しげに振り返った。「ジンバブエには内緒で入国したんだ」と彼は声を落とす。「ムナンガグワ(ジンバブエ大統領)は、彼の政敵と面会する俺のような人間にいて欲しくないんだ。だから変装しなければならず、まるでジェームズ・ボンドにでもなったような気分だったよ!」

インタビュー当日のワインは、アシスタント1人とボディーガード2人を伴って外出した。彼は次にどこで演説するかを公に告知できない状況の中で、厳しい選挙活動を強いられている。もしも選挙活動を宣伝したら「兵士と警官が来て、俺に挨拶しようと近寄る人は誰でも殴りつけるだろう」とワインは言う(警察当局は、ワインの開催する集会は違法だとしている)。

ここでワインは真顔になり、「当局は俺が人々と接触するのをとても恐れている。だから彼らは俺のコンサートを禁じた。だから俺が教会へ行くと人々がいなくなるんだ。政府は一般市民の動きに過敏になっている。市民を力ずくで押さえつけようとしているのは、政府が市民を非常に恐れている証拠だ」と語った。2020年3月後半、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてワインはピープル・パワー運動を一時休止し、キャッチーな音楽による公共広告をリリースした。


コンサートでパフォーマンスする若き日のボビ・ワイン(Photograph courtesy of Bobi Wine)

ワインが最初に立ち寄ったのは政治とは直接関係のない場所だった。親知らずを抜くためにバジル歯科医院を訪れたのだ。「クリスマスの食事は美味しくいただきたいからね」とワインがジョークを飛ばす。ボディーガードのひとりエディ・ムトウェは、医院へ向かって歩くワインの姿を見て「彼は今もカムヨキャ時代の偉そうな歩き方の癖が抜けない」と笑う。痩せて上品な顔立ちのワインは、背中をやや丸めて頭を前に傾けながら大股でゆったりとした独特な歩き方をする。おそらくムトウェの言うように、カンパラのスラム街のひとつでワインの育ったカムヨキャの環境がそうさせたのだろう。

歯医者を後にしたワイン一行は、彼らが「バラック」と呼ぶ事実上の選挙本部へ向かった。狭いオフィスにトイレがあり、ボクシングのサンドバッグが下がっている。高さ約2mの塀に囲まれたほこりっぽい敷地の周囲には、10人ほどの人間がうろついている。何の変哲もない場所だが、カムヨキャはワインを語る上で重要な街だ。

カムヨキャはいわゆるゲットーだが、単なるスラム街とは異なる。ウガンダの音楽に興味のある人にとってカムヨキャはカリフォルニア州のコンプトンであり、ニューヨークのクイーンズブリッジ団地だ。幹線道路から坂を下ったところでは、男が古い自転車を動力代わりに利用した砥石で長刀を研いでいる。路肩には、青バナナ、スイカ、パイナップルや豆を売る地元の小さな屋台が並ぶ。周囲ではヤギやニワトリがのんびりとぶらぶらしている様子が見える。街の大渋滞をすり抜けられる唯一の方法であるボダボダ(オートバイのタクシー)の一団が騒音と刺激臭の強い排気ガスを撒き散らしながら、通りを猛スピードで行き来している。

ワインはこの街で育ち、音楽作りを始めた。酒屋、ファミリーレストラン、さらには交番の壁にまで「ボビに自由を」「ボビのコンサートを解禁しろ」「ピープル・パワー」などという落書きが見られる。

バラックから数軒先の未舗装の道路を進むと、ワインの兄エディ・ヤウェが2002年に建てたドリーム・スタジオがある。ヤウェは留学先のオランダと米国で音楽制作も学んだ。彼がドリーム・スタジオを立ち上げる前はウガンダ国内にまともなレコーディング設備が無かったため、べべ・クールやホゼ・カメレオンら若手の有名アーティストは隣国ケニアで作業せざるを得なかった。ヤウェのスタジオには防音室が3部屋と大型のミキシングデスクが1台あるだけだが、カンパラでは画期的な設備だ。

ワインも、ヤウェのスタジオでレコーディングした最初のアーティストのひとりだった。ワインは少年時代から兄弟姉妹らと教会で歌い始めた。しかし本気で取り組むにつれ、期待は覚めていったという。「当時は誰も音楽で稼げなかった」とワインは語る。「実際に、音楽は敗者がやるものだと思われていた。だから初めはテープやレコードを売ったり、レンガを作ったり、あれこれ細かい商売をしていた」


ウガンダの音楽シーンに革命を起こした男

ワインの曲はまず地元で人気に火が付き、それから外へと広がった。「ほとんどのミュージシャンがナイロビへ行く代わりに俺のスタジオへやって来るようになり、ボビとベベ・クールはグループを組んだ」とヤウェは証言する。ふたりは他のメンバーも加えてファイヤー・ベース・クルーを結成し、一時はゲットー・リパブリック・オブ・ウガンジャを名乗った。

ウガンダのポップシーンにとってのビッグバンだった。1990年代はコンゴのアーティストがウガンダのラジオやテレビを席巻していたが、2000年代に入って状況が変わった。「ボビ・ワイン、ベベ・クール、ホゼ・カメレオンがウガンダの音楽シーンに革命を起こした」と、音楽プロモーターでテレビ司会者のダグラス・ルワンガは言う。ワインを始めとする3人は、ブジュ・バントンやシャバ・ランクスらダンスホールのスターや南アフリカのレゲエアイコンのラッキー・デューべを崇拝し、彼らのスタイルをウガンダの音楽シーンに持ち込んだ。

2007年、ウガンダが主催する英連邦首脳会議へ向けて、政府は首都カンパラの街から物売りや乞食、詐欺師らを一掃した。街のイメージアップを図るためだった。ワインは政府の措置を個人攻撃と受け止めた。それまで彼は、政府に排除された人々をテーマにした曲を書いたことはなかったが、彼自身もその内のひとりだと感じていた。「外国人に気を遣って自国民を排除するなどあり得ない。ましてや隠すことなどできない」と言う彼は、一般市民を見捨てる政府を直接的に批判する『ゲットー』という曲をリリースした。この頃から周囲の友人らは、ワインを「ゲットーの大統領」と呼び始めた。

ドリーム・スタジオ近くの路地裏に、ワインが若きアーティスト時代に暮らした狭い部屋がある。今は若いボクサーが住んでいて、筆者が訪ねると中を見せてくれた。ベッドと机1台で一杯の狭さで、仕切りにシーツを吊り下げている。部屋の外側にアルコーブがあり、奥の壁にはラスタファリ運動の象徴である「ファイヤー・ベース」と書かれた王冠をかぶったユダのライオンが大きく描かれている。ワインはかつてラスタファリアンとされていたが、今はさまざまな信条を持っているようだ。「俺はいろいろなものに傾倒してきた」と彼は言う。「カトリック、再生ペンテコステ派、バハーイ教、ラスタファと、今も全てに深い敬意を持っているんだ。」

ワインがカムヨキャに居住したのは、不幸な成り行きによるものだった。ワインは、ウガンダ内戦中の1982年に生まれた。問題の多い選挙でミルトン・オボテが政権に就いたことに反発し、ムセベニ率いるグループがゲリラ戦で蜂起したのだ。オボテは1966年にも政権を掌握して大統領に就任したものの次第に人気が低迷して、1971年に陸軍参謀長のイディ・アミンが起こしたクーデターにより第一次政権は転覆した。その後アミンは軍を中心とした独裁体制を築いて恐怖政治を続けたが、彼もまた力ずくで政権を追われた。

内戦前のワインの家族は政治活動にも積極的で、比較的裕福な家庭だった。「家族はムセベニを支持していた」とワインは言う。「俺のおじいさんは、ムセベニの抵抗運動に参加して戦死した。家は焼き払われ、父親はオボテ政権に捕らえられて死刑判決を受けた。ただ、汚職が蔓延っていたおかげで、母は父を保釈させることができた」


「音楽業界の仲間たちが揃って政権側の支援に回る中で、ワインだけは違う道を選んだ」

その後ワインの父親は、タンザニアへ亡命した。獣医をしている父親には、3人の妻と少なくとも34人の子どもがいる。ウガンダでは今日でも一夫多妻が法的に許されているのだ。しかし彼は、最初の妻と年長の何人かの子どもだけを連れてタンザニアへ逃れた。看護師だったワインの母親は自分の子どもたちと一緒に、父親がかつて住んでいたカムヨキャへ引っ越した。

内戦が終結して大統領に就任したムセベニは直ちに、挙国一致の名目で政敵を排除し始めた。ワインの兄弟スティーブンは反逆罪で逮捕され、懲役7年の判決を受けた。「母親はいつも子どもたちに、自分たち家族に降りかかる災難はいつも政治に関係していると言っていた。だから俺たちは、政治に関わらない方が身のためだと母親に常々警告されたよ」

それでもやはり、政治はある意味でファミリービジネスだった。1996年の選挙中にヤウェは、ムセベニの対立候補を応援する曲をリリースした。すると彼は逮捕され、殴られたり拷問を受けたりしたという。「睾丸をロープで縛った上に端に車のバッテリーをくくりつけて”立ち上がれ”と命令するんだ」とヤウェは証言する。彼は2011年に国会議員に立候補したが、彼曰く「大がかりな不正行為」によって落選した。さらに2016年も当選できなかった。何度も逮捕されたヤウェだが、2021年にまた挑戦するという。

弟のひとりマイキー・ワインは、ワインがもしも大統領になった暁には空席となった議席を目指すつもりだ。ワインの選挙活動が本格化するに従い、兄弟はどちらも身の危険を感じている。ワインの人気が彼自身を危険に晒す一方で、たとえ兄弟のひとりが死んだとしても注目を浴びないだろう。「意味もなく死ぬより闘って死にたい」とマイキーは語った。

ワインは数年前まで選挙政治に関わるのを頑に避けてきたが、2016年の選挙がひとつのターニングポイントとなった。ムセベニは自分の選挙活動を盛り上げるため、べべ・クールやホゼ・カメレオンら多くのトップアーティストを動員した。さらに彼らに大金を支払って「Tubonga Nawe(我らはあなた方と共に、の意)」というタイトルの曲をレコーディングした。ワインも1500万円近くの金額を提示されたが、参加を断ったという。「ワインはいつでも虐げられた者たちの味方だった。しかし2016年は特別だった」と、ユースフ・セルンクマは言う。彼はカンパラにあるマケレレ社会調査研究所のドクターフェローで、週刊ザ ・オブザーバー紙の政治コラムも担当している。「音楽業界の仲間たちが揃って政権側の支援に回る中で、ワインだけは違う道を選んだ」



結局ムセベニが勝利したが、ワインの中で何かが変わった。「2016年の選挙が終わり、誰も俺たちを救ってくれないことを悟った。自分たちで立ち上がらなければならないのだ。口で言うだけでなく実践に移す方がより効果的だ。だから俺は大統領選へ立候補することにした」とワインは言う。「大きなパンドラの箱を開けちまったんだ」と彼は頭を振りながら笑った。

舗装路の少ないウガンダでは、少しの雨が降っただけで道路のほとんどが泥の川に変わる。今日の雨でカンパラでは、少なくとも5人の犠牲者が出るだろう。東へ1時間ほど進み、ムコノ県の郊外に差し掛かった辺りで雨が止んだ。裸足の地元民たちが車やボダボダを押しながら、赤茶けた泥水の激しい流れから抜け出させようとしている。彼らはランドクルーザーに乗ったワインに気づき、笑顔で駆け寄ってきた。

「閣下!」

「ボビ!」

「ピープル・パワー!」

ワインは近づいてきた彼らとグータッチで挨拶を交わした。ランドクルーザーが即席の川を越えると、彼はこちらを振り返り、「こうやって俺たちを応援しても殴られたり逮捕されることはない、と彼らは確信するんだ」と言う。彼は今、前週に亡くなった友人の父親の「臨終の儀式」へ向かっている。コミュニティで大きな影響力を持っていた人間だという。臨終の儀式は、いわゆるアイルランドの通夜のような式だ。

我々が目指した明るく色塗られた家の周囲には、いくつかの白いテントが張られている。長いビュッフェテーブルが置かれ、身なりを整えた100人程がプラスチック製の椅子に腰掛けて食事している。ワインが姿を見せると、会場は興奮に包まれた。主賓席の何人かと握手を交わすと、会場のスピーカーからは彼の曲が流れ始め、ワインの周りには彼にひとこと挨拶しようと人々が殺到した。騒ぎが収まると彼は小さな台の上に立ち、スピーチを始めた。彼は「次の世代のためにウガンダをより良い国にする、という我々の役割を忘れるな」と説いた。

ワインがスピーチを終えると音楽が再び流れ出し、彼は曲に合わせて歌った。賛美歌の「When the Battle Is Over」を基にした「Tuliyambala Engule」という曲だった。機能不全に陥っているウガンダの医療制度を歌い、選挙に参加するためにIDカードを必ず取得するよう呼びかけた。このところウガンダ国内で禁止されている彼のコンサートが実現できたのだ。





「最も重要な目的は法治国家体制を取り戻し、三権を分立して機能させることだ」

2017年にワインが初めて国会議員へ立候補した時は、ムセベニ率いる国民抵抗運動党(NRM)が対立候補を支援するために資金をつぎ込んだ。それでもワインは地滑り的な大勝利を収めた。しかし間もなく彼は、議会に幻滅を感じることとなる。まず目の当たりにしたのは、ムセベニが自己の利益のために(そして評判も悪い)、憲法に定められた大統領選出馬の年齢制限を撤廃しようとしたことだ。ワインが何度もパフォーマンスを禁じられた時、議会は彼の音楽活動を許可する決議案を通過させた。「ところが警察は、自分たちは議会の決定に従う必要がない、という態度だった」という。「その時初めて、議会の重要性を認識した」とワインは言う。彼は大統領選への立候補を決断したが、その先には大きな目標がある。「最も重要な目的は、ムセベニの独裁政権を終わらせて法治国家体制を取り戻し、三権を分立して機能させることだ」

人口4500万人ほどの海のないウガンダは、歴史の浅い国家だ。1962年までは英国の植民地のひとつで、他の多くの植民地同様に、無計画に引かれた国境線の内側に含まれる王国、種族、氏族、民族同士には深い歴史的・文化的なつながりがほとんど無い。公用語は英語だが、40以上の言語が各地域で話されている。

近代ウガンダの歴史の大半は、権力と金を巡るグループ同士の争いの歴史でもある。ムセベニが最も反発を受けているのは、彼の政権が、自らの出自であるウガンダ西部のニャンコレ族、中でも特にヘマ族の利益を最優先にしている点だ。前出のカリナキ(ナショナル・メディア・グループ)は、国内の他の民族をないがしろにした「特定の民族による少数の陰謀集団」と表現している。ワインの属するガンダ族はウガンダ国内最大の民族だが、これまで政治的な優位に立ったことはほとんどない。

ワインの弁護士によると、ワインは国会議員へ立候補してから20回以上は逮捕されているという。中でも注目すべきは、2018年8月13日の出来事だ。この日ワインとムセベニは、国会議員の補欠選挙へ立候補したそれぞれが支援する候補者を応援するため、北西部の都市アルアを訪れていた。政府によると、ムセベニの車列への投石をきっかけに警官隊とデモ隊との衝突に発展したという。混乱の中でワインの運転手が射殺されたため、ワインはホテルへ逃げ込んだ。しかし結局は捜索していた軍に発見され、兵士らは客室のドアを鉄棒で壊して押し入り、その棒で彼を殴りつけた。

ワインによると、彼は車に押し込められて虐待され続けたという。「奴らは俺の睾丸を強く握り、銃の台尻で足首を殴り始めた」と、数週間後に語っている。さらに「ペンチのようなもので耳を引っ張られ、背中や股間を殴られ続けた」という。最後に彼は頭を打って意識を失った。彼の他に少なくとも34人が拘束され、多くは暴力を受けた。中には、選挙に勝利した野党側の対立候補も含まれる。ワインは小銃の不法所持容疑で拘束されたものの、すぐに容疑は取り下げられた。ところがその後彼は反逆罪で再逮捕され、約2週間留置されることとなる。当時の事を振り返る時、彼は顔を曇らせた。

「とても酷い思い出だ」と彼は静かに語る。当時の暴力で負った傷は今なお消えずに残っている。「殴られて頭蓋骨を折られた」と言いながら彼は、目の上の傷を指差した。「時々腫れてくるんだ。背中もまだ完全には治っていない。精神的な傷は一生消えないと思う」と彼は言う。つまり「現政権は権力を維持するためならどんなに落ちぶれても構わないと考えている」ということだ。

一連の出来事は海外でもニュースになった。クリス・マーティン、ピーター・ガブリエル、デーモン・アルバーンらアーティストが連名で、ワインに対する仕打ちを非難した。しかし注目を集めるのも、諸刃の剣だった。有名人がワインを擁護しピープル・パワー運動を周知する一方で、人々の活動に対する熱心さは個人崇拝へと向かって行った。カムヨキャのバラックには、10時間かけてワインに会いにきたエンマという男性がいた。彼は、ワインに自分の地元へ来てピープル・パワー運動の支援を呼びかけて欲しいと訴えた。丁寧に応対したワインは、「自分と同じ内容を話す」代理の人間を行かせると言いながらも、やや苛立ちも見せていた。

ワインは、迫害を受けているのは自分だけでないことを知っている。キザ・ベシジェは個人的な犠牲を払い、過去4度の大統領選にムセベニの対立候補として出馬した。彼はレイプや反逆罪などの容疑がかけられて何度も投獄され、一時は国外追放されたこともある。彼は2021年の選挙にも立候補する予定だ。ワインの結成したファイヤー・ベース・クルーのメンバーであるジギー・ウィンは、2019年8月に当局の拷問を受けて殺害されたとされる(政府は、オートバイ事故で死亡したと主張している)。3月に行った記者会見でワインは、ピープル・パワー運動の支援者10人が死亡したり行方不明になり、さらに数十人が留置されていることを明らかにした。


「ウガンダの音楽界がもうひとつの議会になっている」

少なくとも半ダースのアーティストが、ワインとピープル・パワーの支援を受けて選挙への立候補を表明している。「ウガンダの音楽界がもうひとつの議会になっている」と、ダンスホール・アーティストのドクター・ヒルダーマンは言う。彼もまた、国会議員に立候補している。「人々は国会議員に自分たちの声を代弁して欲しいと思っている。しかしそれが叶わない時、今度は俺たちが彼らの代表になることを求められるんだ。彼らが味わっているつらい経験を代わりに吐き出して欲しいのさ」

2019年9月に行われたコンサートでは、ウガンダにおける政治色の濃い音楽の草分け的存在であり、自らも国会議員に立候補しているロナルド・メインジャが、ムセベニを批判する内容の曲を歌った。しかも客席にはムセベニ本人がいたのだ。ここ数カ月間、ヒルダーマンとメインジャのコンサートをブッキングするプロモーターがいなくなった。メインジャが明かしたところによると、彼には脅迫電話も掛かってきたという。「君からの電話でも、疑ってしまうようになった」と彼は言う。「”罠かもしれない”と思ってしまうんだ。奴らは俺たちが若者に真実を伝えていることがわかっていて、それが嫌なのさ」

政治をテーマにした音楽に走るのは、路線変更の一種だと批判的に見る評論家もいる。「実際のところ、音楽は儲けが少ない」と音楽プロモーターのルワンガは言う。「だからボビの成功にインスパイアされたあらゆるアーティストが、彼と同じ方へ向かっているんだ」

長年に渡りムセベニを支援する同志であるべべ・クールも、批判的な立場を取るひとりだ。彼は、立候補したほとんどのミュージシャンが選挙に惨敗するだろうと予想する。「理由の第一は、彼らには資金力が無いこと」と彼は言う。「第二に、彼らには教養が無い。第三に、集まったファンの数がそのまま票に結びつく訳ではない」

ホゼ・カメレオンはカンパラの市長選に立候補している。彼は批判を承知しているが、立候補した誠実な動機を伝えたいと強く願っている。「カンパラの市長になって名前を売ろうとしている訳ではない」と彼は言う。「市長になってビジネスクラスで移動したい訳でもない。そんなことはとっくに実現している。可能性を否定する人々へ自分のレガシーを伝えたいんだ」

ウガンダ青年民主党のリーダーで、かつてワインの政治アシスタントも努めたデニス・トゥムへアウェは、音楽コミュニティが決定的な力を発揮するだろうと信じている。「ムセベニを引きずり下ろすためにメジャーなアーティストで対抗する動きは、彼にとって織り込み済みだ」と彼は言う。「我々は勝つための革命を起こしているのだと思う」


コンサートのキャンセルを発表する記者会見へ向かう途中で逮捕されたワイン(Photo by Badru Katumba/AFP/Getty Images

ボビ・ワインは、2021年の選挙でほぼ間違いなく敗れるだろう。もしも彼が実際に出馬でき、生きて結果を見られれば、の話だが。うわべは民主主義を装っているものの、ウガンダの政治は機能的な民主主義とは程遠い。「ムセベニが全てをコントロールしている」と、マケレレ社会調査研究所のセルンクマは指摘する。「彼自身が裁判官を任命している。軍幹部のほとんどは彼と出身地が同じだ。2017年に彼は国会内へ軍隊を送り込み、議員らを襲わせた」

セルンクマ曰く、ムセベニ政権は合法的な独裁政権だという。「現在の独裁政治は、目に見えない形で行われている。民主主義が機能していると見せかけているのだ。ムセベニは、選挙であからさまな不正を行うことはない。彼はとてもずる賢い」と彼は言う。ムセベニの過去5回の大統領選挙における得票率は、59〜75%だった。「彼は自分がオボテやアミンのように見られないように非常に気を遣っている」とナショナル・メディア・グループのカリナキは言う。「彼にとっては、何でも合法的に見せることが重要なのだ」


「たとえイエス・キリストが立候補しても、ムセベニに負けるだろう」

ムセベニはまた、自分が欧米諸国にとって必要不可欠な存在であるかのように見せる努力を続けてきた。彼は、東アフリカ全体と周辺におけるテロ対策の信頼できるパートナーとしての地位を築いてきた。ウガンダの軍隊はジョージ・W・ブッシュの「有志連合」に参加し、イラク、アフガニスタン、ソマリアにおける対テロ作戦や平和維持活動に派遣された。米国はムセベニ政権に対し、開発と安全保障の支援名目で毎年約10億ドル(約1100億円)を拠出している。

ムセベニはさらに欧米諸国に気に入られようと、ヨーロッパのほとんどの国で受け入れを拒否されたアフリカ各地の難民に対して国境を開いた。2018年後半時点でウガンダ国内には約150万人の難民が居留していて、同国は2018年だけで2億ドル(約215億円)の人道支援の資金を得ている。おかげで、ムセベニの人権に関する過去の酷い歴史が覆い隠されることとなった。

ワインは、テロ対策がウガンダの最重要課題だと主張する。しかし「テロ対策における我々のパートナーは、ムセベニ個人のパートナーではない。ウガンダのパートナーであるべきだ。同盟国は個人ではなく、組織のパートナーでなければならない」とワインは言う。ワインは、自分の政治的信条はポピュリストだと公言している。彼はかつて、ウガンダの悪名高き反ホモセクシャル法を支持していたが、その後立場を翻した。2014年に成立した同法は、国際的な批判の声が高まる中で違憲と判断された。しかし彼はデマゴーグではない。ワインは、大統領の年齢と在職期間の制限を復活させることを公約にしている。さらに彼は、もしも大統領になったら、状況次第ではムセベニに恩赦を与えたいとしている。「大統領が退任後に亡命生活を余儀なくされるという悪循環を終わらせたいんだ」とワインは言う。

ワインかムセベニか他の大統領候補の誰が優勢か、という信頼できる世論調査結果は今のところ存在しない。ワインが集める観衆の数を見れば、彼がどれほど幅広く支持されているかがわかると言う者もいる。一方で、投票所へ行った経験もない若いファンを投票に駆り出すノウハウをワインが持っているかを疑問視する声もある。少々大げさな数字ではあるが、公正な選挙が行われれば80〜90%の票を勝ち取る自信がある、とワインは言った。人口の大半を占める地方では依然としてムセベニが強い、というのが一般的な見方だ。ただしどの予想も単なる推測の域を出ない。

大統領選が自由かつ公正に行われることはないだろう。過去の選挙では、票の水増し、買収、脅迫が日常茶飯事だった。そして2021年の選挙も同様だろうとする声が大半を占める。「現状では誰もムセベニには勝てないと思う」とカリナキは言う。「国に対抗して人を集めるのはとても困難だ。たとえイエス・キリストが立候補しても、ムセベニに負けるだろう」

ワインが選挙で勝ったとしても、ムセベニが喜んで身を引くだろうなどという考えは、空想に過ぎない。ワイン自身ですらそう思っている。「もちろんすんなり行くとは思わない。ムセベニは何でも私物化しているから、彼自身が国家であり、ウガンダとムセベニは一心同体だと皆が感じている」とワインは言う。「ムセベニは政治的自由を圧迫しようと一所懸命で、政敵の命さえ奪いかねない。しかし我々の勝利が確実なら、彼は出て行くしか道はないだろう。ウガンダ国民は『いい加減にしろ!』と叫びながら、ムセベニに対抗して立ち上がるだろう」


ムセベニからの依頼で政権に携わるミュージシャンも

ムセベニは、ワインと彼の仲間のアーティストらがもたらす脅威に対抗しようと必死になっているようだ。昨秋ムセベニは、何人かの有名ミュージシャンを大統領の顧問に任命した。キダンダリの人気シンガーで、ロナルド・メインジャのバンドメンバーとしても活動しているキャサリン・クサシラは、カンパラ担当の新たな大統領補佐官に指名された。またドレッドヘアのラスタファリアンで、かつてワインのファイヤー・ベース・クルーの副代表も務めたブチャマンは、ゲットー担当の特使に就任している。さらに、かつてピープル・パワーの支援者でもあったシンガーのフル・フィギュアも、大統領補佐官に任命された。一連の人事はウガンダの貧困層や若者の支持を得るための策略だと考える人間が多い一方で、効果が全く無いとも言えない。

ある晴れた午後、2台の車列でカンパラのゴミ埋立地に隣接したスラム街のカソコソへ向かうブチャマンを追った。背の低いブチャマンは左脚が不自由で、松葉杖を使って歩いている。彼自身は、子どもの頃にウガンダ内戦で銃撃を受けたと話しているが、メディアの報道によれば子ども時代にかかったポリオの影響だという。ワインと音楽活動を共にしたおかげでスラム街でも有名人となった彼は、車から降りると人々に囲まれた。彼は驚くほど素早い身のこなしで泥道を進みながら「ゲットー・パワー!」と叫んだり「パン、パン、パン」と銃声を真似て、人々の注意を引く。人の波は果物売りの屋台や掘立小屋の間を抜け、狭い中庭に差し掛かったところでブチャマンは少し立ち止まり、群衆に向かって話しかけた。その後さらにゲットーの奥へと進むと、草に覆われた前庭に出た。それからブチャマンと彼のスタッフは2本の木の下に並べられた椅子とベンチに座り、人々に囲まれて1時間ほど過ごした。彼のもとには地元の人間が次から次へと訪れ、地域医療センターの建設、学校や職業訓練への寄付、道路の修復、犯罪対策などへの支援を求めた。

ブチャマンは政府を代表して訪問しているが、彼の発言を聞くと、ムセベニや与党NRMを信奉している訳でも無いようだ。「私は彼らの支持者ではなかった」と彼は言う。「今でも私はどの政党にも属していない。ムセベニの下で働いているのは、ゲットーで暮らす人々を助けたいからだ」と、シンガーから政府の特使になったキャサリン・クサシラと同じような主張をしている。ムセベニが駄目だとか無能だとかいうのではなく、問題は彼が組んでいる地方政治家たちの方にあるのだ。「ムセベニはお金の使い道を誤っている。大臣や議員は受け取った金をゲットーに使わない」とブチャマン言う。「ただお金を食い尽くしているだけだ」と言う彼は、自分ならもっと上手くできると主張する。「私はゲットーで暮らす人々の痛みをわかっている」

その日の午後の出来事はパフォーマンス的にも思えるが、ゲットーの人々は、自分たちの声をわざわざ聞きに来てくれる人がいてとても満足そうだった。そこが重要なポイントだ。ムセベニは、ゲットーの人々の票をどうしても必要という訳ではない。また、彼らがワインに投票しようがしまいが関係ない。ただ彼らのことを見ているとアピールできれば良いのだ。ムセベニは、彼らの不満に耳を傾けているとも言えるかもしれない。「ゲットーに多額のお金が流れ込むだろう」とカリナキは言う。「長年の問題を解決する目的ではなく、選挙結果が出てから彼らがゲットーの悲惨な生活に戻るまでの間のタイムラグを作るためだ。ゲットーの問題へお金をつぎ込むのは、銀行強盗が盗んだ紙幣をばらまくようなものだ」

ムセベニの目的はただひとつ。彼を大統領の職から追い落とす要因を排除することだ。アラブの春のような、若者や貧困層による大規模な反乱を避けたいのだ。「ボビ・ワインがもたらすムセベニに対する脅威はひとつだけだ」とマケレレ社会調査研究所のセルンクマは指摘する。「ムセベニにとって選挙は怖くない。ワインの呼びかけで首都カンパラへ人々が集結することが脅威なのだ」

確かにこの10年で、まずはチュニジアとエジプト、そしてブルキナファソ、コンゴ民主共和国、ジンバブエ、アルジェリア、スーダンと、民衆のデモによりアフリカの強力な独裁者たちが次々と失脚した。ワインの選挙活動の狙いは正にそこにある。民衆の勢いをつけて革命が勃発する環境づくりをすることだ。しかし大きなギャンブルでもある。「俺たちは今闘いの真っ最中にいる」とワインは言う。「ムセベニは暴力的な争いを好む。俺たちは論理的かつ精神的で民主的な闘いを選ぶ。ムセベニは闘いを避けられない。俺たちには4000万人以上の味方がいる。カダフィ、ブーテフリカ、オマル・アル=バシールも闘わずにはいられなかっただろう。しかし彼らは続けた」


「時々、酒を飲んでほろ酔いになって友だちと楽しく踊りたいと思う」

ワインと支援者たちは、立ち上がった人々がデモに参加するだけでなく、銃弾が飛び交い始めても逃げずに立ち向かってくれることを期待している。全ての人がそう考えている訳ではない。民主的な改革を幅広く支持する人たちの何人かと話したが、ウガンダの貧困層の若者たちに闘う気骨があるかと言えば、そうでもないようだ。「ボビらは、戦争を経験したことのない人々が銃声にどう反応するかをあまり理解していない」とカリナキは言う。「そんな世代の人々は、カチューシャ(ロケットランチャー)がどんな音を出すかなんて知らない」

内戦やムセベニ以前の時代を知る世代のウガンダ人は、当時の不安定な時代へは絶対に戻りたくないと思っている。「私は殺人や略奪が横行した酷い時代を生きてきた」と音楽評論家で、デムべFMのパネリストも務めるエドワード・スセンディカディワは言う。「当時は兵士が自宅へ押し入ってきて、何でもかんでも奪い去った。私の父は、『開けてやるから壊さないでくれ!』と叫んでいた。同じ窓を何度も壊されていたので、もう修理するのが嫌になっていたのだ。そんな状況を見てきた私が言いたいのは、2021年の結果がどうなろうが、平和であって欲しいということだ」

結果として、表面上は現政権に反対の立場を取る人たちですら、事実上ムセベニに投票することとなるのだ。ワインは人々に自分の活動を支援してもらうだけでなく、積極的に関わってくれる人の数をもっと増やす必要がある。「大多数の人にとって失うものは何もない」と彼は言う。「警察や治安部隊によって命を奪われる可能性がある状況では、命は無いも同じだ。病院へ搬送されても必要な薬が無ければ意味がない。このような状況下の我々の命には価値が無いように思える」

ワイン自身は失うものが多い。彼は音楽で富を得たが、この2年間は国内でのコンサート活動を禁じられたために、蓄えを食い潰している。「以前のように楽しめない状況だ」と彼は言う。「かつては毎週末にコンサートがあり、収入も多かった。最新型の車に乗り、1億ウガンダ・シリング(約280万円)を現金でポンと払えるような生活だった」

それでもワインはまだ上手くやっている。筆者のウガンダ滞在の最終日、カンパラ市内中心部の南側にあるビクトリア湖畔に位置するワン・ラヴ・ビーチで、彼と会った。広さ6エーカーの敷地に青々とした芝が広がり、椰子の木が並んでいる。15年前に彼がこの場所を購入した時は、ゆくゆくは家を建てて35歳になったら隠居生活をするつもりだった。しかし彼はビーチをオープンし、彼自身のみならず一般にも開放した。1ドル以下で誰でも、アフロビートの流れるビーチで踊り、泳いだりバーベキューをしたり、サッカーやバレーボールをして1日中過ごせる。

ビーチを訪れたのは日曜だったが、ワインはまるで隠居生活を送る人間のような格好をしていた。青い花柄がプリントされた半袖のボタンダウンシャツに半ズボンを履き、黒っぽいレギンスに青いハイトップシューズを履いている。「俺はここを離れたくないんだ」と彼はビーチの方へ手を広げて見せた。かつては毎週ビーチを訪れていたが、今回は約3カ月ぶりだった。彼は友人を招き、林の中でバーベキューをしてヤギの肉やチキンやシーフードを楽しんでいる。

彼は以前と比べておとなしい生活を送っている。自分が始めたことを後悔しても仕方がない。しかし彼は明らかに、過去に残してきた何かを懐かしく感じている。「時々、酒を飲んでほろ酔いになって友だちと楽しく踊りたいと思う。しかし今はできない。自分よりも大きなものを背負い込んでしまっているからね」と彼は言う。引退を撤回したように聞こえる、と彼に伝えると、「問題は、”自分は本当に引退を考えているのだろうか”ということさ」と彼は笑った。「常にね」


「気高い志を持っていれば、ささいな挑戦でも十分に価値がある」

ワインは時間を見つけてはレコーディングを続けている。しかし今の彼の音楽は、ターゲットを絞らざるを得ない。明るくお気楽な作品は日の目を見そうにない。「今はより画期的な音楽を期待されているんだ」と彼は言う。

2021年はワインやピープル・パワーのみならずウガンダにとっても、激動の1年になりそうだ。数週間以内に彼は、支持者と集会を開こうとしたとして拘束されるだろう。警察は、群衆を解散させるために催涙ガスや銃を使うかもしれない。警察によると、ワインは屋外での集会の開催は禁止されているが、室内では許されているという。彼とピープル・パワーのリーダーたちは、狭い監房へ一日中閉じ込められることだろう。ウガンダ政府は引き続き、ワインと有権者との接触を阻止し続けるのだ。

ワインは、自分を取り巻く状況が悪化していることを承知している。彼には反逆罪や暴力を煽動した罪など複数の罪に問われる可能性がある。もしも有罪宣告を受けて勾留されて大統領選への出馬資格を失ったらどうするか、との問いに対して彼は一瞬険しい表情を見せたが、「橋のたもとまで来たら渡らねばならないだろう。他にどうすればいい?」と満面の笑みを浮かべた。

ワインを終身刑にするか、殺害するか、或いは支援者を厳しく弾圧すれば、国際的な批判の声が上がるだろう。かといってムセベニ政権によるワインに対する行為を止められる訳ではない。ムセベニを踏みとどまらせているのは、ワインが目論んでいる革命的な運動が本当に起きるのではないかという懸念だ。何がきっかけになるかは、ワインにもムセベニにもわからない。あるのか無いのかわからない境界線に向かって手探りで進んでいる状態だ。

セルンクマは、どうすればワインにとって有利な状況にできるかを模索している。「ボビは今とても難しい立場にある。悲劇のヒーローのようだ」と彼は言う。ワインが成功するには、目標を変更するのもひとつの手かもしれない。「ボビが打てる最善の策は、人々の幸福と人々による政治的な選択とを上手に関連付けることだ」とカリナキは言う。「2021年か或いはその先の2026年の選挙でムセベニを引きずり下ろせなくても、ワインは若い世代に将来へ向けての政治的な意識を植え付けることができるだろう。そしてその世代が30歳代や40歳代になった時、ムセベニを追い出すだけでなく、ムセベニズムを一掃するのに必要な厳しい決断をしてくれるだろう」

ワインの求める目標はさらに先にある。しかし彼のミッションが失敗に終わったとしても、或いは刑務所行きになったり死亡してムセベニが権力の座に居座り続けたとしても、彼は自分の決断を後悔しない。「何ごとにも価値はある。既に、目覚めた人々が得たものには価値がある」とワインは言う。彼は、ビクトリア湖に映る夕日に照らされたビーチを眺めながら静かに語った。「気高い志を持っていれば、ささいな挑戦でも十分に価値がある」