音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年8月の特集は番外編。4週目となる今回は、1960年代に映画に活躍の場を移していった時期のエルヴィス・プレスリーの楽曲を語っていく。



こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今お聴き頂いているのは、エルヴィス・プレスリーの「Memories」。1968年12月に発売になったアルバム『Elvis Tv Special』からお聴き頂いております。拍手が入っていたでしょう、ライブ盤なんです。今日の前テーマはこの曲です。

今月2020年8月の特集は、番組開始以来初の洋楽。番外編"全てはエルヴィスから始まった"。エルヴィス・プレスリーは、日本時間1977年8月17日に42歳で他界しました。今年は45回忌、既に終わりましたね。"全てはエルヴィスから始まった"、これは世界のロックの歴史が始まったということと私の個人的な音楽体験の両方の始まりということで、こういうタイトルにしました。

今週は4週目、1960年代編。1950年代と1960年代でどう変わったのか? 先週と先々週と聴いていただいて感じていただけたら嬉しいのですが、キング・オブ・ロックンロールからキング・オブ・ポップに変化していった。その舞台が映画だったんですね。1958年に陸軍に入隊しました、除隊したあとの第1作『G・I・ブルース』がヒットし。そして、先週特集した映画『ブルー・ハワイ』が世界的に大ヒットしたんですね。でも『ブルー・ハワイ』は除隊してから4作目の映画なんです。その間に『燃える平原児』と『嵐の季節(1961)』という映画があった。『燃える平原児』は白人とインディアンの血が混じった青年の話ですね。『嵐の季節(1961)』は小説家を志す内向的な青年役なんです。歌がメインの映画じゃなかったんですね。『燃える平原児』では2曲しか歌っておらず、『嵐の季節(1961)』は4曲です。この頃のエルヴィスは歌よりも俳優に関心があったという記録がありますね。でも、『ブルー・ハワイ』が大ヒットして路線が決まってしまったんです。1960年代は映画を中心に挑んだ、それが今日お送りする時代です。でも時代は変わっていくものです。ビートルズが登場しました、アメリカにはヒッピーも出てきます。その中でずっと映画に出ていたエルヴィスが、再び音楽に戻ってきたのがこの『Elvis Tv Special』なんですね。1968年12月にアルバムが発売になりました。この時のテレビの視聴率がなんと70.2%だった。ここに至る経緯が今日のテーマです。彼はどういう風に音楽に戻っていったのか? 今日の1曲目は『ブルー・ハワイ』が公開された後に出た最初のNo.1ヒットです。1962年3月発売、「Good Luck Charm」。



これが17作目のチャート1位。この後に1位になるのが、なんと1969年9月に出た『Suspicious Minds』なんですね。それまでを振り返ってみますと、1956年は5曲で1位、1957年は4曲1位だった。除隊した1960年は3曲が1位だったんですが、1962年から1969年まで1曲もチャート1位の曲がなかった。そういう1960年代を辿りなおしてみます。





1962年10月に発売になった「Return to Sender(邦題:心の届かぬラヴ・レター)」、1963年6月に発売になった「(Youre The) Devil In Disguise (邦題:悲しき悪魔)」。それぞれ2位と3位でした。1位にはならなかったけどTOP3入りはしたというヒット曲です。1962年のエルヴィスは、シングルが3枚、コンパクトEPが2枚、アルバムが3枚出ています。さらに主演映画が3本あるんです。すごいでしょう。『ブルー・ハワイ』がいかに勢いをつけたかという一つの例ですね。コンパクトEPの5曲入りは映画『夢の渚』、『恋のKOパンチ』のサントラ。アルバム3枚のうち、オリジナルは『ポット・ラック』1枚だけなんですね。他のアルバムは映画『ガール!ガール!ガール!』、『エルヴィス・クリスマス・アルバム』と企画盤だけ。「Return to Sender」は、映画『ガール!ガール!ガール!』の挿入歌でした。3枚のシングルのうち、スタジオ・レコーディングは2枚しかありません。つまり1年間でスタジオでレコーディングされたのはアルバム1枚、シングル2枚だけなんです。他は全部が映画絡みの作品というのが1962年と、この後のエルヴィスの活動形態を象徴しておりますね。すべての活動の中心が映画になっていったんです。なぜそんなに映画に拘ったのか? トム・パーカー大佐という有名なマネージャーがいました。エルヴィスをメンフィスのローカル・レコード「サン・レコード」のオーナーのサム・フィリップから「彼はこれから世に出ていくから守ってやってくれないか」と言われて紹介されたんです。メジャーに売り込んだり、メディア対策を仕切っていたのがトム・パーカーで、ビートルズで言うとブライアン・エプスタインのような存在です。彼が年に3本の映画契約を1969年まで結んでしまったんです。それをレコードにするのが活動になっていった。悪名高きトム・パーカーという別名がついていました。1960年代、改めてどこか複雑な気持ちでお送りしております。オリジナル・アルバムが少なかった1960年代ですが、除隊後の第1作はスタジオのオリジナル盤だったんですよ。『エルヴィス・イズ・バック!』。その中から、「Make Me Know It (邦題:君の気持を教えてね)」、「Such A Night」。




オリジナルは1960年代のアルバムだったんですが、「Such A Night」は1964年にシングルにもなっているんです。エルヴィスの1960年代以降のシングル曲を見ていると、かなり古いものが改めてシングルとして発売されたりしていますね。これはオリジナルが少なかったせいなのかなと思ったりもするんですけども、オリジナル・アルバムは本当に少ないんですね。1960年に『エルヴィス・イズ・バック!』、1961年に『歌の贈り物』、1962年『ポット・ラック』。ここまでは年に1枚ちゃんとオリジナル・アルバムを作っているんです。この後、1965年の『メンフィス・テネシー』までオリジナル・アルバムはないんですよ。1963年は映画のサントラ『ヤング・ヤング・パレード』、『アカプルコの海』が出て、もう一枚『ゴールデン・レコード』というシングル盤を集めたシリーズがあるんですけど、それの第3集です。1963年は3枚もアルバムが出ているんですが、映画のサントラ2枚とベスト盤が1枚なんですよ。1964年もサントラアルバム『キッスン・カズン』と『青春カーニバル』が出ているんです。映画はもう1本出ていまして、『ラスベガス万才』という作品があったんです。これは曲目がフルアルバムまで無くて、シングル1枚2曲入りとコンパクトEP4曲入りが出ているだけ。つまりスタジオ盤がない。そういう1963年と1964年。その時期にビートルズが出てくるわけですよ。僕らが高校の時も、ホームルームで”エルヴィスとビートルズ”という討論会が行われましたからね(笑)。これは後ほどまたお話しましょう。エルヴィスの映画にも刺激的な曲はあったんですよ。次にお聴きいただくのは、1963年の映画『アカプルコの海』の「Bossa Nova Baby」、そして1964年の『ラスベガス万才』のタイトル曲「Viva Las Vegas」です。




「Bossa Nova Baby」はシングルチャート8位になったんですね。『アカプルコの海』の中の曲でした。歌ってるシーンがかっこよかった。ボサノバという音楽は、当時なんとなく「イパネマの娘」とかそういう音楽として知っていたんですが、ボサノバとは思えないこのリズム。これをツイストを踊りながら歌うんですね。このシーンは見惚れました。「Viva Las Vegas」は映画のタイトルチューンですね。この映画は女優アン・マーグレットと共演したんですが、彼女がエルヴィスと張り合って「Cmon Everybody」という曲でダンスを共演するんです。これが観たくて映画館に足を運んだという作品でした。




1965年に公開された映画『フロリダ万才』から「Do The Clam(邦題:スイムでいこう!)」、そして1965年の映画『いかすぜ!この恋』から「It Feels So Right(邦題:いかすぜ,この恋)」でした。どうしてこういう邦題になったんでしょう(笑)。なんでこの2曲を選んだかというと、当時スイムというリズムが流行ったんです。この曲のリズムがスイムということで、「スイムでいこう!」という邦題になったんでしょうね。日本でもスイムはそれなりに流行りました。橋幸夫さんが1965年6月に「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」という曲を出しました。作曲は吉田正さん。映画『いかすぜ!この恋』は、挿入曲が全て既発曲、ファンのリクエストで選ばれた曲だけを集めて作られた作品なんですね。大滝詠一さんは「いかすぜ!この恋」という曲を作りましたね。歌詞が全部エルヴィスの曲タイトルだったということもあって、この曲をお聴き頂いたわけです。1964年の映画『青春カーニバル』までは僕も内容を覚えているんですが、『フロリダ万才』と『いかすぜ!この恋』は、観たんだろうけど、あまり覚えてないんですね。もういいやって思い始めた時だったなとは改めて思いますけど。さっき少しお話したんですが、高校2年生の時のホームルームで「エルヴィスVSビートルズ」で討論会をやったんですね。時代はもうビートルズだと分かっていたんですけど、こういう時はエルヴィスに義理立てしないといけなくて(笑)。僕はエルヴィス派の1人として、エルヴィスを弁護したんですね。言うに事欠いて、エルヴィスは母親想いだ、皆が思っているような人間じゃないんだ、という話をした記憶がありますね(笑)。でも、時代はもうビートルズだなと思っておりました。そういうシングルカットされた曲の中でも、以前のアルバムから選ばれた曲がありました。次にお聴きいただく曲もそんな曲です。最初にお聴きいただくのは、1960年に発売になった教会音楽のアルバム『His Hand In Mine(邦題:心のふるさと)』の中の「Joshua Fit The Battle (邦題:ジェリコの戦い)」。これが1966年にシングルになったんです。もう1曲は、1960年にレコーディングされて1965年にシングルカットされ、3位になった曲です。「Crying In The Chapel (邦題:涙のチャペル)」。




1966年に発売になったシングル『ジェリコの戦い』、ゴスペルのスタンダードですね。そして1965年のシングル『涙のチャペル』。この曲は浜田省吾さんが好きだって言っていました。共に、1960年にレコーディングされたものなんですね。それが1965年と1966年にシングルとして発売されて、『涙のチャペル』は3位になりました。やはり音楽ファンはこういう曲を待っていたんだろうなと改めて思っております。こういうスピリチュアルな面は、映画の中ではなかなか見せませんでしたからね。そういうストーリーの映画がほとんどなかった。歌が上手くて喧嘩に強い好青年、最初は経済的に恵まれていないけども音楽が好きで歌が上手いということで成功を手にしていく。そして、恋人とも結ばれる。そういうストーリーが毎回繰り返されていたんですね。そして、1964年、1965年になっていくと、時代はベトナム戦争です。世の中の若い人たちの中でも、感受性が強くて社会的関心があって、物事を真剣に考える人たち、きっと僕もその中に入っていたのかもしれませんが。そういう人たちが、エルヴィスはこのままでいいのかな? と思い始めていったんだと思います。これがさっき悪名高いとお話しました、トム・パーカー大佐の時代観のズレということになると思うんですね。トム・パーカーさんはエルヴィスをショー・ビジネスに売り飛ばした。そしてスクリーンの中に閉じ込めたと、今だったらハッキリ言い切ってしまえますね。ビートルズは1964年にアメリカツアーをやりました。この時にブライアン・エプスタインが、ジョン・レノンに記者会見でベトナムの話をするなと言うんです。つまり、ショー・ビジネスというのは政治的な発言をしてはいけない、ベトナム戦争がどうだとミュージシャンは言ってはいけない、という傾向が1960年代にはあったんですね。それでも、エルヴィスは歌い手として、だんだんトム・パーカーさんのやり方に対して言いなりにならなくなってくるんです。脚本がつまらないから変えてくれという話をするようになるんですね。その中で、1968年にTVで放映されたショーがありました。1968年12月1日にMBCというテレビチャンネルで、スペシャル・ショーで放送されたスタジオライブがありました。その中からお聴きください。「Heartbreak Hotel」と「Jailhouse Rock」。



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1968年12月に発売になったアルバム『Elvis Tv Special』から、「Heartbreak Hotel」と「Jailhouse Rock」。帰ってきたエルヴィス、という感じがしませんでしょうか? このテレビスペシャルは視聴率が70.2%もあった。そしてこのアルバムは、チャートに32週間もランクインしていたんですね。最高位は8位でした。1966年〜1968年の3年間で、エルヴィスのアルバムでTOP10入りしたのはこのアルバムだけです。ここから、映画から音楽へと軌道修正していくんです。このテレビスペシャルはよく覚えています。1968年、僕は大学に行っていてフラフラしておりまして。テレビでこの番組をやるんだというのを知ったんですけども観る場所がなくて、歌舞伎町の餃子屋で見た記憶がありますね。なんで餃子屋にいたんだろう(笑)? 餃子屋のおじさんに、TV点けてくれないかな! と言って、ビールを飲みながら観た記憶がありますね。時代はGS、学生運動、そしてヒッピーですよ。この番組はアメリカで視聴率70.2%でしたが、日本ではどうだったか? エルヴィスの研究家とも言える萩原健太さんが、本番組で来週特集する1970年代編の『The Essential 70s Masters』というボックスセットのライナーをお書きになっていらっしゃいます。当時は知らなかったことを、彼の書いたもので知るということがたくさんあります。そのライナーの中で、この『Elvis Tv Special』は日本では視聴率が8%だったと書いておりました。そういう時代ですよ。エルヴィスはそんな風にしか見られてなかった。よく8%も取れたなって思った方がいいかもしれませんね。時代はGSからヒッピーへと変わっておりました。その中でエルヴィスは帰ってきました。『Elvis Tv Special』の最後の曲をお聴きいただきます。「If I Can Dream(邦題:明日への願い)」



皆こういう曲を聴きたかったんでしょうし、彼もこういう曲を歌いたかったんだろうなと思います。この曲のチャートはシングル11位で、3年間で最高だったんです。これが復活の狼煙でした。1968年12月発売のアルバム『Elvis Tv Special』から、「If I Can Dream(邦題:明日への願い)」でした。



FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」番外編"全てはエルヴィスから始まった"Part4。今年が亡後45回忌、エルヴィス・プレスリーの軌跡を辿っています。今流れているのは、番組の後テーマ曲、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。どんな音楽もそうなんでしょうし、エルヴィスに限ったことではないのでしょうが、自分が思春期の頃に聴いていた音楽を聴くと、当時の景色とか生活風景、友人たちが鮮明に浮かんでくるもんですね。学校の廊下で、あの曲を皆でほうきを持って真似したなとか。そういう光景が頭の中に蘇ってきております。エルヴィスの1960年代はやはり賛否が分かれますね。映画で新しいジャンルを開拓していった、音楽と映画のメディアミックスを見せてくれたという功績はあるのでしょうが。でも、どんどんマンネリになっていったのは否めなかった。何よりコンサートがなかった。コンサート自体、現在のようにちゃんとしたPAシステムもないし、環境も良くなかったんでしょうけども、エルヴィスは1960年代にコンサートをしませんでした。1961年3月25日にハワイの戦艦アリゾナ記念館、今はワイキキにありますが、あれを建設するためのチャリティーコンサートがありました。それを最後に、以降の7年間コンサートがなかったんです。人前では歌わず、映画の中でしか歌ってこなかったんですね。そして、先ほどお話したテレビスペシャルで歌った。お客さんはさぞ興奮したでしょう、改めてそう思っております。ビートルズはコンサートツアーに幻滅してスタジオに籠るようになりました。エルヴィスが映画の中に閉じ込められて、満を辞してコンサートに帰ってきた。そんな1960年代の終わりだったんだなあ、と思います。と言いつつも、この頃の映画って今観ると他愛無くて愛おしさを感じる部分もあるんです。それがファンというものなのかな、とも改めて思います。来週は1970年代のエルヴィス・プレスリーです。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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