人種と都市の富裕化に取り残される人々を描いた、現代にふさわしい名作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』。笑い、感動、怒りが詰まった本作は、サンフランシスコ・ベイエリア出身のジョー・タルボット監督と俳優ジミー・フェイルズが街に捧げる愛の告白である。

※本記事は、ローリングストーン誌の2019年サンダンス映画祭特集の一部として1月28日に初掲載されたものである。
※注:文中にネタバレを含む箇所が登場します。

ジョー・タルボット監督デビュー作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(10月9日より公開中)には、特別な何かがあることに冒頭の5分間で気づかされる。その理由は、何かを見上げるアフリカ系アメリカ人の少女が映し出される最初のシーンだけではない。少女の視線の先には瓦礫を拾う男がいて、目を凝らすと防護服を着ていることが次のシーンでわかる——実際、この奇妙でありながらもウィットに富んだ素晴らしい映像は、ワンツーパンチのような効果を出している。街路の真ん中で牛乳のコンテナの上に立ち、自分たちを追い出そうとする街にいまこそ立ち向かうべきだとわめく男がいる。彼の声に耳を傾けるのは、ジミー(ジミー・フェイルズ)という名前のパートタイムのホスピス看護師・フルタイムのスケーターと、”モント”ことモントゴメリー(ジョナサン・メジャース)という脚本家志望の男ただふたり。街頭の宣教師のような男の背後にはサンフランシスコ湾が広がり、海岸線には化学防護服姿の男たちの姿が点在している。説教を数分ほど聞くと、ジミーは「スケボーしようぜ」と言う。

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特別な瞬間はここからだ。モントは相棒ジミーの背中にくっつき、ふたり乗りでサンフランシスコの街中を滑るように進む。声を出して笑う近隣の住民や戸口に立つアジア系スーパーの店員の前を通過し、カフェラテを持った、いぶかしげな顔つきの白人連中や好奇心の眼差しを向ける観光客を追い抜いていく。テンダーロイン地区では、ヒッピーふうの頭のおかしな男が「俺も乗せてくれ!」と叫びながら並走をはじめる。その男は、走る速度を緩めずに一枚ずつ服を脱いでゆく。彼らが通過するヴィクトリアン様式の家並みは、下からのカメラワークによって中世の城のようだ。すべてが夢のようなスローモーションで進み、オーケストラの音楽が徐々に展開してゆく。音楽をかき消さんばかりに宣教師ふうの男の叫び声が響く。「ここは俺たちのホームだ。ここが俺たちの祖国なんだ!」


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笑い、感動、怒りが詰まった、ジェントリフィケーション(訳注:都市の居住地域を再開発して高級化すること)の顛末を十分すぎるほど見守ってきたサンフランシスコへの愛の告白のような『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』。同作は、オープニングが終わるとストーリーモードに切り替わる。だが、同作が純然たる唯一無二の作品のように思えるのは、叙情的で、概して調子が狂ったような特徴的な街のシンフォニーのおかげである。同作は、幼なじみであるフェイルズとタルボット監督の実体験を大まかにベースとしている。「ジミーと一緒にバーナル・ハイツを長いあいだブラブラするうちに」物語の構想が生まれたとタルボット監督は語る。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は超常現象的なホラー要素のない、ある家の物語であり、それはユニークで、高潔で、感動的だ。


ジミーとモントは、ハンターズ・ポイントの窮屈な区画に建てられた家でモントの祖父(ダニー・グローヴァー)と同居している。だが、ジミーにとってのホームはフィルモア地区にあった。威厳に満ちたその家は、地元の言い伝えによると「サンフランシスコで最初の黒人だった」ジミーの祖父が1946年に建て、かつては”西のハーレム”と呼ばれた場所だった。それが事実かどうかはさておき、ジミーはこの言い伝えをすっかり信じている。そんなジミーに対し、感じの悪い地元の歴史家は、この家がもっと昔から建っていると主張する(制作者たちにお願い:デッド・ケネディーズの元リードボーカルのジェロ・ビアフラをセグウェイに乗ったツアーガイドに起用する機会があれば、すぐにでもそうしてほしい)。でも、そんなことはジミーの耳には届かない。ジミーは、父親が自滅という負のスパイラルに陥り、母親が去り、グループホームに入る前は、ここで暮らしていたのだ。ジミーは家を訪れては窓枠にペンキを塗り、それが現在の(白人)住民たちの心をかき乱す。

その後、一連の事情とともに家の所有者が亡くなり、相続問題によって空き家となる。ジミーとモントは家を無断で占拠しはじめ、ジミーにいたっては、すべての家具を倉庫で保管していたおばから昔の家具を引き取る。ふたりは家の修繕に取りかかり、”ひと汗かくために”グランプス・パークにたむろする地元のタフガイのひとりを家のスチーム・ルームに招き入れる。当然ながら、ジミーの仮設のユートピアは長続きしない。彼らの滞在が終わるのは、何よりも時間の問題なのだ。「もう二度と家には帰れない」というセリフには、いったいどんな意味が込められているのだろう?


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タルボット監督とフェイルズはもちろん、タルボット監督とともに脚本を手がけたロブ・リチャートもサンフランシスコの出身だ。彼らは、路上で暮らすガターパンク、ヤッピー、気軽なヌーディスト、怒りに満ちたボヘミアンが点在するサンフランシスコの景観をとらえた。絵葉書のように美しい風景のなかでは3つ目の魚が海から陸に吐き出され、何語かわからない言語で人々が文句を言い合い、クイーンの「Someone to Love」のハウスミュージック・バージョンを大音量で流しながら観光客向けの路面電車が走る。大都市の歴史において変化は避けて通れないものであることを監督たちは理解している。劇中で何度も繰り返されるように、ジミーの憧れの対象である、アフリカ系アメリカ人の住民が優勢だった頃のフィルモア地区は、かつては日本人移民の居住区だった。彼らは、第2次世界大戦の勃発とともに収容所に送られてしまったのだ。ジミーたちは、どの時代にもつきものだが、21世紀にとりわけ速度を増した人口の変化を経験したホームタウンの変貌に対して怒っているのだ。

だが、その怒りを突き動かしているのは愛着であり、それは新参者のシニカルなふたりの女性とジミーのバスのシーンで明確に描かれている。ジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレイン的なものに憧れて来たのに、と不平を漏らす女性たちに対し、ジミーは「この街を憎まないで」と言うのだ。これは、常に進化を続ける巨大な国際都市の風景とともに生きてきた人々の胸に響く言葉だ(かいつまんで話すとこうなる:サンフランシスコ、僕は君を愛してる。でも君は僕を滅入らせてしまう)。さらに同作は、札束でパンパンの財布を持つ富裕層が”都市再生”という言葉を頻繁に使うホットスポットで人種や移住が持つ意味について臆せず語っている。これは、ゴールドラッシュやゲットー化を散々経験した街の情景であり、こうしたものは、経済的なブームの恩恵を受けられなかった住民たちの心に痕跡を残しているのだ。

クライマックスは、立ち退き前夜にモントが満を持して自作の芝居を屋根裏部屋で上演するシーンだ。そこには辛い現実があり、来る終幕の雰囲気が漂っている。社会の病を癒すことはできないが、個人的な勝利は、勝利以外の何ものでもない。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』はフィッツジェラルドの小説『華麗なるギャッツビー』の有名なエンディングとゴールデン・ゲート・ブリッジを組み合わせたようなシーンで幕を下す。それは挑戦的な疑問を投げかけるように、最後に心に突き刺さる。それでいて、贈り物をもらったような気分になるのだ。



『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』

10月9日(金)より、新宿シネマカリテ、シネクイント他全国ロードショー
監督・脚本:ジョー・タルボット 
共同脚本:ロブ・リチャート 原案:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ 音楽:エミール・モセリ 
出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ロブ・モーガン、ダニー・グローヴァー
配給:ファントム・フィルム 提供:ファントム・フィルム/TCエンタテインメント 
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http://phantom-film.com/lastblackman-movie/

From Rolling Stone US.