哀川翔が主人公・飛田鷲一郎を演じる映画『デコトラの鷲』シリーズ12年ぶりの新作『新 デコトラのシュウ 鷲』が2021年2月19日より東京・イオンシネマ板橋ほか全国で公開される。

作品の復活にあたり哀川が歌うのが、主題歌「一番星ブルース」だ。昭和を代表する娯楽映画のひとつ『トラック野郎』で菅原文太と愛川欽也が歌い、作品と共に愛されてきた名曲をどんな思いで歌ったのか? また、一世風靡セピアのメンバーとしてのデビューから現在に至るまでのターニングポイントになったドラマ『とんぼ』、Vシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』について、さらにはプロレスのことまで話題を振ってみた。

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昭和・平成・令和と、エンターテイメントの最前線で我々を楽しませてくれるアニキ・哀川翔は、還暦を目前に控えた今、この特殊な時代に何を感じているのだろうか。



―映画『デコトラの鷲』シリーズ12年ぶり新作『新 デコトラ のシュウ 鷲』完成おめでとうございます! 令和に飛田鷲一郎が復活する、と決まったときはどう思われましたか。

まあ、うれしかったよね。自分自身では「えっ! もう12年も経ったんだ!?」っていう感じでした。それだけ歳取ったっていうことか(笑)。40代後半だったわけだしね。だから、話が来たときは「えっもう1回やる!?」みたいな。プロデューサーの須藤為五郎さんが「トラック野郎」に対して相当強い思いがあって、全国のトラッカーたちの「復活させてほしい」っていう熱い声も聞かれたみたいで、もう1回やろうよということになりました。



―哀川さんご自身はどんな思い入れがある作品でしょうか。

シリーズ5作撮っていて肌についた役でもあったので。もう1回やるって言われたときは素直に嬉しかったね。ただ、12年の空白があったわけだから、果たしてすんなり入れるものかという不安はちょっとありましたけど、そんなことなかったですね。

―柳沢慎吾さんら、お馴染みのチーム感というか。

そうだね、1つのチームがありますから。それは最初からしっくりきました。時間が経ってもとくに変わったこともなかったし、そういう身についたものはすぐに蘇るんだなって思いましたね。もう、トラックに乗った瞬間に変わっちゃうもんね(笑)。



―今回、主題歌「一番星ブルース」を歌っていらっしゃるわけですが。

まさか歌うことになるとは思わなかったけどねえ。歌わせてくれるっていうので、素直に、じゃあ歌わせてもらいましょうかっていう感じで。

―「一番星ブルース」は『トラック野郎』で菅原文太さんと愛川欽也さんが歌っていた曲ですが、「自分が歌っていいのかな」みたいな気持ちがあったんですか?

そりゃあ、ありますね。『デコトラの鷲』シリーズが始まった頃には、「それは『トラック野郎』のものだ」みたいな感じがありました。でも、今回歌わせてもらって、「「一番星ブルース」を歌えるんだ」っていう素直な嬉しさがありましたね。

―すごく情感たっぷりに歌っていらっしゃいますね。

はははは(笑)。そうですね。すごくむずかしい歌ですよね。歌うというよりは、どちらかというと「語る」というか。この思いが聴いている人たちに伝わればいいなという思いで歌わせてもらいました。





―もっと若い頃の哀川さんだったら歌えなかったですか。

たぶん、歌えなかったかもしれないね。この歳になってやっと、なんとなく歌えたのかなというか。それでまわりも歌えば? っていう話になったんだと思いますけどね。

―何テイクか歌われたんですか?

何回か歌いましたね。何回か歌ったんですけど、聴いているみんなが「もうあんまり歌い込むな」って。要するに、あんまり細かいところを気にするよりも、感じた雰囲気を大事にしていこうという録り方をしていました。俺はもう、20回30回歌いたいんだけど(笑)。どっちかというと、昔レコーディングしていたときは結構細かいところまでやってたから。ただ「一番星ブルース」は、その情感が良いのかなって。あんまり平たくするよりは、荒いところがある方が、楽曲的には良いんじゃないかという意見の方が多かったので。その方が伝わるしね。芝居もそうだけど、一発目が一番良いと思うんですよね。

―お芝居も、あんまりテイクを重ねる方ではない?

そんなにやる方ではないですね。ただハマらないと、本当に何十回もやるっていうことが、たまにあるんですよ。風が吹くとか、ときどきあるんですけど、だいたい一発目が一番生きた芝居が出来ているんじゃないかなっていうところがありますから。それを考えると、「一番星ブルース」も一発目がいいんじゃないかなって。喉の感じとかもありますから。「さあそろそろ」っていう一発目が一番いいんじゃないかな。



―哀川さんと音楽活動というと、まず一世風靡セピアが浮かんできますけど、もともとの音楽歴ってどこから始まっているのでしょうか。

いやあ、俺の音楽歴ってほとんどないんだよね。歌謡曲を聴くぐらいで、洋楽だったらイーグルスを聴くぐらい。そこから始まったみたいな感じなんだけど、普通の高校生だったし、歌謡曲全般を幅広く聴いていて、中学ぐらいからディスコサウンドが流行り出したような感じでしたね。



―どちらかというと、矢沢永吉さんとかロック系がお好きなイメージですけど。

キャロルは中学生ぐらいのときに聴きました。でも特別ロックにこだわるということもなかったですね。矢沢さんなんかは、だいぶ大人になってから聴きだしたかな。また戻ったみたいな。最初の頃のアルバムを聴いてすごく良いなと思ったのが、20歳過ぎたぐらいから。キャロルはリアルタイムで聴いてたんですけど、そこからはあんまり。俺も部活ばっかりやってたから、音楽にのめり込むこともあんまりなかったんですよね。だから、セピアで歌を歌えって言われたときは、「歌を歌うのか……」みたいな感じでした(笑)。

―そうだったんですか。ちなみに部活は何をなさっていたんですか?

中学は柔道、高校は体操。それが一世風靡セピアに繋がりました。

―今回の映画でもダンスバトルのシーンがあって踊っていらっしゃるようですね。

まあ、あれはね(笑)。あれはもう、『デコトラの鷲』ですよ。ああいうシーンがあってもいいんじゃないかなって。

―いずれにせよ、10代の頃はバンドを組もうとか考えたことはなかったんですね。

なかったですね。家に集まって、ギターが上手いやつが弾いて歌を歌って騒いだりというのはあったけど、バンドを組もうとかいうことはまったくなかったです。



―そういえば、勝俣州和さんがYouTubeで、哀川さんとお互いにキャロルと長渕剛さんのビデオを見せあったというエピソードを話していましたが……。

いや、それはキャロルじゃなくて、永ちゃんの『矢沢永吉ヒストリー』を「これいいよ」って見せたんです。勝俣は長渕さんの『LISENCE』のライブビデオを持ってきて。

―勝俣さん曰く、それをきっかけに哀川さんが長渕さんの武道館コンサートに行って、ドラマ『とんぼ』(1988年)出演に繋がったという話でしたけども。

それがきっかけではないんですよ。それはね、長渕さんの曲で、「泣いてチンピラ」だったかな…… 違うな。何かの曲がすごく気に入って、たまたま当時の事務所に長渕さんの関係者が来られたときに曲を聴いていたんです。それで「長渕さん好きなの?」「いや〜、この曲最高ですね!」みたいな会話があって、武道館コンサートに誘っていただいて。それまで長渕さんとは、歌番組ですれ違うことはあったんですけど、ちゃんとしたご挨拶はしたことがなくて。お互い鹿児島だし、お会いしたら「おまえは鹿屋(鹿児島県鹿屋市出身)か」って言われて、「はい、そうです」っていう会話をしたのが初めてです。そのときに『とんぼ』の企画が上がってて、「こういう作品やるんだけど、おまえやらないか?」って声をかけてもらったのが、武道館だったんですよ。

―それが『とんぼ』の水戸常吉役になったわけですね。

そうなんですよ。

―じゃあ、勝俣さんがきっかけだったわけじゃない?

勝俣がきっかけではまったくないです(笑)。勝俣は単純に、長渕さんのことが大好きで。それで俺がたまたま『矢沢永吉ヒストリー』を見てたら、「いやあ、こっちの方がいいですよ」っていう感じで、『LISENCE』を持ってきたというのはあったけどね。



―『とんぼ』がヒットしたことで、俳優としての哀川さんの存在がクローズアップされましたよね。

その前に、映画に一本出させてもらったんですけど(1988年『この胸のときめきを』)、やっぱり役者ってあんまりピンとこなくて。それまで自分たちの思った音楽を作って、踊って表現していたので、自分を違うものにはめるというのがむずかしくて。「これは向いてないんだろうなあ」って思ってたんですけど、『とんぼ』はリハーサルがちゃんとあって、素人にとっては良い環境だったんですよね。すごく細かくリハーサルしてくれて、しかも順撮りでやってくれたので。その環境とあとは長渕さんの後押しですよね。すごく細かいことを指摘してくれたりアドバイスをいただいたりとか。それで「ああ、芝居ってこういうことなんだ」ということが、少しわかったというか。それがきっかけになってやり出したというのは、間違いなくありますね。たぶん、それがなかったら役者をやってなかったかもしれない。

―その次に出演された作品が、後の”Vシネマの帝王”の出発点となる作品『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(1990年)ですね。

急に、高橋伴明監督から電話が入って、「ちょっと一度会わないか」ということで、やることになって。『とんぼ』をやった後だったから、自分自身やる気満々でしたね。そこで蓄えたものをここで爆発させたいみたいなものがあって。高橋伴明監督の熱い思いがあって新たに立ち上げる「Vシネマ」というものだったんだけど、全然わからなかったですから。ただ撮り方なんかも映画だし、劇場公開もできるんだけどあえてしない、みたいな。試写会なんかもお客さんを呼んでちゃんとやるんだけど、でもビデオにしかしないという。そういう作品なんで、思いはすごくありましたね。

―そこからますます役者としてキャリアを積んでいかれました。

そうですね。『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』と『続 ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(1991年)って、「Vシネマ大賞」をもらいましたからね。あの辺は、自分自身を映画の道に引き込んでくれた一歩ではありましたね。

―まわりのキャストの方も、宍戸錠さん、峰岸徹さん、安岡力也さん、山田辰夫さん、大杉連さんも出演されていて豪華でしたね。

そうだよね。みんな亡くなっちゃったけどね。すごい大人たちに囲まれて、すごく可愛がられました。当時、「あれを見ると元気が出る」って言われましたよ(笑)。そこで、伴明さんが主題歌を入れてくれたり。ちょうど俺がレコーディングしている時期で、「良いのできたんですよ」って聴かせたら、「じゃあこれ入れちゃえ!」みたいな。



―それが、『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』主題歌の「どしゃぶりの胸」ですね。聴いてみると、当時は長渕さんの影響をすごく受けていらっしゃったように聴こえます。

あれは、作詞作曲が伊丹哲也さんなんですよ。だから、長渕さんというよりは伊丹さん節っていう感じなのかなって思いますけど。歌いまわしとか、特別意識してるわけじゃないんだけど、やっぱり自然と出るんだろうね。

―『とんぼ』の直後ということもあって、そのイメージが大きいですよね。

それは絶対ある。ものすごく聴きましたもん。『昭和』(長渕剛1989年のアルバム。「とんぼ」も収録されている)もめちゃくちゃ聴いたしね。あの辺の長渕さんのアルバムはすごく聴きましたね。



―当時、長渕さんのコンサートに飛び入りして「とんぼ」を一緒に歌ったことがありましたよね。

ああ、歌いました。いきなり呼ばれてびっくりして。

―その時代は、俳優業と音楽を並行してやろうとは思わなかったですか。

俳優業をやり出してからは、音楽の方は回らないというか、できないですよ。Vシネマの撮影には、だいたい3週間から4週間かかってましたから、そうするとほとんど毎日なんですよね。だから他をやる時間がないというか。一番多い年で、主演が10本で助演が12本やった年があって、そのときは320日現場でしたよ。音楽どころじゃないよね(笑)。

―それは無理ですね(笑)。逆に、残りの40日ぐらいのオフは何をしていたんですか?

もうほとんど気絶ですね。なんかね、夢を見るんですよ。「寝ながら撮影してる」っていう(笑)。もう駄目なんですよね、そうなると。寝ながら「よ〜い!」ってカチンコが鳴るんです。それで、夢の中で「あれ? 寝てるシーンあったかな?」みたいな。これはもう末期なんだなって、ちょっと休みを入れなくちゃって(笑)。ただ、子どもの夏休み、冬休みには休みを取るようにしてたんですよ。そこが40日間。他はほぼ休みがないというときもありました。まあ、よくやったなと思います。



―Vシネマ作品では、菅原文太さんと共演されたことはあったのでしょうか?

ありますよ。『修羅がゆく』(第1作目)で、文太さんが医者の役をやってくれて。それで、俺がセリフをベラベラ喋ってたら、「主役はあんまり喋るな」って言われました(笑)。文太さんはめちゃくちゃカッコよかったですよ。それも1つ、自分の中に残るひと言でしたね。「主役はあんまり喋るな」って。

―『仁義なき戦い』シリーズや『トラック野郎』シリーズで文太さんがやってきた映画の役柄を、哀川さんは両方継承している感じがありますよね。

いやいや。でも本当に、やらせてもらって嬉しいですね。『仁義なき戦い』って、すごく切ない作品じゃないですか?それを暴力を中心とした思いで描いているんだけど、すごく悲しい作品ですよ。それとは真逆の『トラック野郎』。だから、この両方をやっていた文太さんは面白かっただろうなって思いますけどね。それをやれてるっていうことは、すごく嬉しいですね。

―ユーモアとペーソスを交えた役柄をやっているというのが共通しているところなのかなと思います。

やっぱり、基本的に娯楽作品が好きですからね。ハードボイルドなものも好きだけど、娯楽作品が好きだから、そこは削り取れないなって思います。だからそういう作品も良いし、ガチガチのハードボイルドも面白いと思いますね。



―映画とは離れますけど、娯楽、エンターテイメントというところでいうと、以前、西口プロレスのリングに何回か上がりましたよね? 昔からプロレスファンだったんですか。

俺、プロレス大好きでね。だけど、西口に立つにはちょっと遅すぎたね(笑)。あれがあと10年早かったら、相当俺の中で盛り上がってたと思う。もともとタイガーマスクが大好きで、プロレスラーになりたいぐらい好きだったんだよね。もしも身体があればレスラーになったなっていうぐらい。よく一世風靡のメンバーとプロレスやってましたね。勝俣とは特に。それで仲良くなったところはあるよね。稽古もせずに2人でプロレスやってましたから(笑)。



―哀川さんはバク宙もできますし、タイガーマスクの四次元殺法的な動きもできたんじゃないですか。

たぶん、当時ならできたと思う。ロープ最上段から回転したりできたね。

―プロレスラーになるのはどうして諦めちゃったんですか?

やっぱり身体がないから。身長が178cmぐらいじゃ届かないから。今はそうじゃないかもしれないけど、当時は190cmは欲しかったなあ。

―なるほど、ご自身の中でちゃんとプロレスラー像があったんですね。

「こうありたい」みたいな、アントニオ猪木像みたいなものがあるから。でも、タイガーマスク、佐山(聡)さんが出てきたときはびっくりしたね。ヤバいレスラーが出てきたなみたいな。佐山さんは、映画『真説タイガーマスク』(2004年)に出てくれたときにお会いして、マスクをもらいました。

―本人着用のマスクですか?

そうそう。「マスク欲しいんですよねえ」って言ったらくれましたよ。

―佐山さんは昔から何をやるにも10年先を行ってるという方ですね。

そうだね。まあ10年早い分にはいいけど、俺は10年遅くやったから駄目だよね(笑)。すごく忙しかったから、他のことを考える余裕がなかったんだよね。だから、40歳を過ぎた頃からだよね、色々やり出したのは。そこでラリーと出会ったりもしてるから。これがもっと早かったら面白かったかもしれないね。でもそれだと仕事ができなかったから、それはそれで、ちょうど良かったのかな。西口もすごく楽しませてもらったしね。お客さんも、後楽園ホールでやったときは「今年で一番入りました」っていうぐらいだったから(笑)。でもあんなに疲れるとは思わなかった。体力なくなったんだなあって。そりゃそうだよね、50も後半になったら体力もないよ。ただね、俺らの年代には勇気を与えたみたいだけど。「よく動けるな〜!」って(笑)。



―今年還暦を迎えられるわけですもんね。とてもそうは見えないですけれども。イメージ的には全然変わってない気がしますよ。

いや、そりゃさすがに変わってるよ(笑)。変わってるんだけどさ、でもやっぱり、どんどん落ちていく体力と共にやれることがあるわけだから。だからそこでやっていくのが一番良いんじゃないかな。無理しても良くないし。プロレスはギリギリ行けたんだなって。そう思いますね。

―ちなみに、哀川さんといえば早寝早起きでも知られてますけども、今は何時ごろ起きているんですか?

5時ぐらいにはもう起きちゃうかなあ。今は外にも出れないし、特にやることないんだよね。よくないね、この家にいる習慣っていうのは。夜が明けたら家にいられないほどバタバタしてたのが、外に出ちゃいけないっていうのを繰り返していると、家にいられるんだよね。それが嫌だよね。出不精になっちゃう、完全に。だから本当に自分で何かを入れていかないと。



―『新 デコトラのシュウ鷲』は2020年の夏ごろクランクアップしたようですが、フェイスガードを付けたり、撮影は大変だったんじゃないですか。

だいぶ気を遣いながらやってましたよ。極力夜は撮影しなかったり、普段だったらみんなでバーッと飯食いに行こうか、とかやるんだけど、そういうのもなくて。感染したら大変だっていうのが一番にありましたから。今考えるとまだ感染者数も少なかったけど、あのときは今よりピリピリしてたよね。

―そんな中での映画公開となるだけに、ファンの方はなおさら嬉しいでしょうね。

まあ、せっかく作ったんだから。お客さんは自粛して来れない方もいっぱいいると思うんだけど、作品を作り上げて公開できるというのは嬉しいですよ。例えお客さんが少なくても、作品を作って世の中に出すっていうのが大事ですから。



―エンタメ業界は大変な苦境に立たされていますが、どんな思いを持っていらっしゃいますか。

いやあ、大変だと思うね。俺たちも仕事がどんどんキャンセルになるから。それでもまだある方だと思うんだよ。本当に1割ぐらいになっちゃったっていう職業もいっぱいあるわけじゃないですか。ここをどう踏ん張ってしのいでいくかしかないもんね、今は。ここは色んな人たちの協力を得て、手を結んでやっていかないといけないような時代になってるのかなって思いますね。

―哀川さんご自身は、還暦を前にして何か特別な心境ってありますか?

自分が還暦ということが、信じられないね。特にこういう状態でずっとアイドリングで、バーンッとふかしてないっていう状況があるから、なおさらね。去年からデカいイベントなんかもできなくなってるし、たぶん今年もこの状況だとむずかしいと思うんだよね。そうすると、自分自身で本当に「還暦なんだ」と思うのがいつなのかなっていうのは、ちょっと感慨深いですね。誕生日を機に、ということじゃなくて、自分でちゃんと感じるときが来るんだろうなって。


<リリース情報>



哀川翔
『一番星ブルース』
配信日:2021年1月29日(金)

・徳間ジャパンコミュニケーションズオフィシャルHP https://www.tkma.co.jp/news_detail/id=13928
・哀川 翔オフィシャルサイト https://showaikawa.com/

<映画情報>

『新 デコトラのシュウ 鷲』

平成15年から20年までに5作品が公開され人気を集めた哀川翔主演『デコトラの鷲(シュウ)』シリーズ。12年ぶりに、シリーズ6作目として『新 デコトラのシュウ 鷲』が、2021年2月19日(金)イオンシネマ板橋他全国で劇場公開義理人情に厚く一目惚れした美女を助けるために奮闘するトラック運転手・鷲一郎(しゅういちろう)を演じる、哀川 翔、今回のマドンナ役である演歌歌手・すずめには剛力彩芽。他にはBOYS AND MENリーダー水野勝、新羅慎二(若旦那)、勝俣州和、第1作からレギュラー出演の柳沢慎吾らが出演。

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