日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年5月の特集は「moonriders」。パート3からパート5はゲストに鈴木慶一を迎え11年振り新アルバム『It‘s the moooonriders』を契機に鈴木慶一がmoonridersの楽曲を22曲自薦し、その歴史を紐解いていく。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのはmoonridersの「monorail」。4月20日に発売になった新作アルバム『It‘s the moooonriders』の1曲目。今週の前テーマはこの曲です。何が始まったんだろうと思わせてくれる意外性の1曲。今週もヘッドホンの中で音が動いております。moonridersならではの始まりのアルバムでありました。

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今月2022年5月の特集はmoonriders。前半の2週間は11年振り新作の全曲紹介。先週からの3週間は鈴木慶一さんの案内で彼が選んでくれた22曲を使ったアーカイブ。鈴木慶一自薦22曲、貴重と言うしかありません。今週も永久保存版です。こんばんは。

鈴木慶一:こんばんはー、どうも! 今日も自らのバンドを批評的に語りますから(笑)。

田家:自薦22曲というのは、番組出演をご依頼時に簡単にお願いしてしまったのですが、自分たちのバンドの曲を選ぶ機会ってあるんですか?

鈴木:初めてじゃないですか。

田家:はははははは!

鈴木:ベストアルバムとかで選ぶときはありますけど、今回はそれと全く別の視点で選んでいて。このときに元気のあった人とか、このときやっと新しい曲を書いてくれたとか、あとはバランスですよね。

田家:先週は1976年から1982年。凄まじく濃い第一期でありましたが(笑)。

鈴木:最後は「くれない埠頭」のデモバージョンとかも含めて。

田家:今週は第二期か第三期ということになるのですが、この曲からお送りしようと思います。1984年8月発売、8枚目のアルバム『AMATEUR ACADEMY』から「M.I.J.」。





鈴木:これはシングルだったんですね。TVCMとのタイアップになって、化粧品のCMですけど岡田くんが作った短い曲だったんです。野宮真貴さんに歌っていただいて、アルバムにするときに拡張したということですね。

田家:これはシングルだから選ばれた?

鈴木:そうですね。『AMATEUR ACADEMY』というアルバムは、長い歴史の中で唯一プロデューサーがいたアルバムなんです。

田家:外部のプロデューサーを起用した。

鈴木:レコード会社のディレクターが宮田茂樹さんで、そして彼がプロデューサーを名乗り出たので、やってみようかと。

田家:あ、彼の方から名乗り出た?

鈴木:そうです。やらせてくれって言うのも変ですけど、やろうよと。プロデューサーは全員に対して話をするのは大変なんです。私がプロデューサーをやったときには、まずバンドのスポークスマンを見つける。その人と話して、みんなに伝えてもらうと。それはハルメンズのときもそうだし、PANTA & HALのときもそうです。この『AMATEUR ACADEMY』は白井良明が窓口になったんですね。だから、宮田さんと白井良明のやり取りの中で我々は曲を作って、アレンジを白井がやっていく。

田家:良明さんを窓口にしたのは宮田さんの希望なんですか? 慶一さんのアイディア?

鈴木:宮田さんの希望だった気がしますね。良明がこのときいろいろなプロデュースをしていて、非常に勢いがあったこともあると思いますよ。宮田さん、事務所、我々。全ての合意だったと思います。

田家:宮田さんはMIDIレコードを作られた方で、大貫妙子さんとか坂本龍一さんとか、YMO関係の方たちのアーティストを手掛けている名プロデューサーですけど、宮田さんとそれまでお付き合いはどれくらいあったんですか?

鈴木:なかったですね。鈴木さえ子さんのアルバムを作るときに宮田さんと出会う、それで1枚作る。その流れでmoonridersも宮田さんでお願いしようかなと。

田家:曲のタイトルがアルファベットと数字だった。これも1つのコンセプトだったのかなと思いましたけど。

鈴木:タイトルを全部記号化しようということですね。「M.I.J.」はMADE IN JAPANです。

田家:あーなるほど、そういうタイトルを。

鈴木:全部省略形です。

田家:「Y.B.J.」、「B TO F」、「B.B.L.B.」(笑)。

鈴木:はい。自分でも分からなくなります。「B TO F」はBACK TO THE FORESTかな。

田家:その中に「30」っていうのがありましたね。

鈴木:たまには数字を入れようと(笑)。この「30」も私は名曲だと思っています。要するに「30」になる直前の3分間の話ですから。

田家:この後にそういう話が出てきますねー。記号化っていうところにきっと意味を見出したんでしょうね。

鈴木:そうやってタイトルをつけていって、アルバムタイトルをどうしようかということで。宮田さんは音楽理論に長けていて、我々はそうでもない。

田家:そうでもないわけないでしょ(笑)。

鈴木:我々はコーラスを作るときに思いつきで作りますから、宮田さんはちゃんと譜面で作ります。そういった意味で。最初は『AMATEUR 三等兵』っていうタイトルだった。なんかロボット三等兵みたいでいいなあって。で、AMATEURの反対語だったんだろうね、アカデミズムは。宮田さんはアカデミックだし、我々はアマチュアということで、『AMATEUR ACADEMY』にしようと。

田家:『AMATEUR 三等兵』だとまた違うイメージだったかもしれません(笑)。10曲目になります、またレコード会社が変わります。1985年10月発売、9枚目のアルバム『ANIMAL INDEX』から「夢が見れる機械が欲しい」。





田家:詞が慶一さんで曲が岡田さんです。

鈴木:さっきかけた「M.I.J.」も曲は岡田くんですね。この頃は岡田くんのテクノロジーに対する追求がとても素晴らしくて。言ってみればポストパンク、ポストニューウェーブで出てきたグループがたくさんいる中で、どこかファンクなんだけど非常にイギリス人らしい感じ、そういったものにみんな夢中になるんです。xiangyuさんが出演している映画の撮影がありまして、『ほとぼりメルトサウンズ』という映画なんですけど、内容がこの曲の歌詞にそっくりなんです。非常に驚きました。監督も見てないし、スタッフも誰も知らないんです。所謂ホームレスの話なんですが、xiangyuさんが実家に戻ると庭に住んでいる。日々テープレコーダーで街の音を録音している。そのカセットテープを土に埋める。まさにこの歌詞。驚いた。で、このときは1人2曲ずつという非常に公平なスタイルで作ったんですね。各自が既にプロデューサーだったり、アレンジャーだったり、活躍している最中なので、ただし誰々の曲をやるときに誰か常にいましょうってことで、私がいることになった。これってつらいんです。いるんだけど、打ち込みをどんどんコンピューターで作っていくのを見てて、出来上がりに悪いところがないんです。「こうしたらどう?」って言うところもない。ってことはいなくてもいいんじゃないかと、でもいなくちゃいけないという決め事を作ってしまった。そしてだんだん具合が悪くなってくる。そんな中でかしぶち君の曲を録音している時に表に出て、ノートブックに思いついた歌詞をバーッと書いたんです。これが「夢が見れる機械が欲しい」で。要するに小説のようなことを書いたんですね。それを岡田くんの曲にぴったりハマるように、歌詞として書いていく。最初に物語ができていたんです。だから、ちょっと精神的に病んでいく兆しのある感じだとは思いますよ(笑)。

田家:動物にちなんだ曲が多いのは結果的にそうなったんですか?

鈴木:私がこのアルバムは動物を扱ってみようと。必ずタイトルに動物を入れるか、もしくは歌詞の中で入れていこうというのがあったと思います。ただし、タイトルが『ANIMAL INDEX』と決まるまでにサンマから始まって、8時間かかったんですよ。

田家:はーすごいなー、サンマですか(笑)。

鈴木:もう動物なのか、魚なのか分からない。一応ね、動物、サンマから始まった。

田家:そこまで時間かけないと、物事が決まらないという。

鈴木:この頃は物事を決める、アレンジを決めるにおいても時間かかりました。

田家:なるほどね。その中心にいらした。でも、やることがなかった。

鈴木:それは精神を病みます。仕事をしている、その曲に携わっている人は一生懸命やっているから大丈夫なんですよ。

田家:このアルバムはキャニオン・レコードから発売になったわけで、鈴木慶一さん34歳、博文さん31歳、全員が30代になった。

鈴木:そうですね。だから「30」って曲が入っているんですね。TENTっていうレーベルを高橋幸宏と作ったんです、そこから出そうということですね。

田家:この後に出た1986年のアルバムタイトル曲からお聴きいただきます。「DON‘T TRUST ANYONE OVER 30」。





田家:30以上を信じるな。長髪だった僕らの精神的な拠り所でもありましたが、曲名にはANYONEが入りました。

鈴木:はい。要するに『DON‘T TRUST OVER THIRTY』ですよ。若いとき、本当にそうでしたよね。30過ぎは全く信用してなかった。

田家:そう(笑)。

鈴木:友人も全員20代だったり、10代だったりで。そういうような時代を過ごしてきて、自分らが30を超えてしまったわけだ。

田家:大問題でしたよね。

鈴木:超えたときの衝撃たるやすごかったですよ。あー、あの30を超えた、どうしたらいいんだろう。大体20代後半に30代の生き方が決まる。30代の生き方が決まって、30代はわりと和やかにいけるはずなんだけど、音楽の世界ではなかなかそうもいかなかった。1970年に音楽を始めたとき、おふくろが「あなた10年経たないと、食べられるようにならないよ」って言ったんです。たしかに30ぐらいになると、ちょっと食べられるようになった。そうではあるんだけど、それに伴う不毛感というか、虚無感、そういったもの。30超えてしまって、若くないなと。ニューウェーブをやったときにお客さんから「ジジイ帰れ」と言われるし(笑)。所謂逆説的、もしくは自虐的な言い方のDON‘T TRUST OVER THIRTY。

田家:俺たちがもう30超えているんだから。

鈴木:ええ。曲は全員で作ったんですけど、歌詞は鈴木博文で。

田家:作曲がE・D MORRISONっていう(笑)。

鈴木:E・D MORRISONはアナグラムですね。moonridersのアナグラムでE・D MORRISONとなる。

田家:文字を入れ替えて、新しい言葉を作る、言葉遊び。

鈴木:一昨日から昨日、今日にかけての3日間でこんなにひどい男はいないでしょ(笑)。

田家:家庭人失格(笑)。

鈴木:そう、家庭崩壊の歌です。

田家:こんな男を信じちゃいけないよと。

鈴木:いけないよで、DON‘T TRUST OVER THIRTY。30過ぎになったら、こういうことをしてしまうときもあるよってことなんでしょうねー。

田家:この『DON‘T TRUST OVER THIRTY』の後に活動休止になるわけですね。

鈴木:言ってみれば1986年は10周年なんです。このときにいろいろなことをやりすぎた。

田家:ライブアルバムも出ました。『THE WORST OF MOONRIDERS』。WORSTっていうタイトルをつけるのも、moonridersらしいなと思いましたけどね。

鈴木:これはジェファーソン・エアプレインのパクリです。それと、ツアーが多かった。ビデオも作った。12インチシングルも作った。ライブを長時間、何時間やれるか試してみようで、3時間超えなんですよ。楽屋に行くと、アンコールやりたくないな……もうくたびれ果てて。でも行くんですね。

田家:そういうDON‘T TRUST OVER THIRTYだった。で、再開が1991年になるわけで、そのアルバムからお聴きいただきます。





鈴木:英語のタイトルが続きましたね。しかも鈴木博文作詞、白井良明作曲。これまた家庭崩壊というかね。

田家:このタイトルすごいですよね(笑)。誰が最初に死ぬんだ? っていうタイトルですからね。

鈴木:そういうタイトルなんだけど、娘がどうした? 息子がどうした? ということです。

田家:お前たちを残して先に逝けないと言ってる。

鈴木:『DON‘T TRUST OVER THIRTY』の長編映画化な感じですよね。家庭が崩壊していくのをこの頃の鈴木博文さんはテーマにしていたんじゃないですか。そういったことが実際にあったかどうか、私は何も言いませんし、人のことは言えませんが(笑)。

田家:で、活動再開のアルバムを『最後の晩餐』というふうに。

鈴木:これもアイロニカルですよね。記憶に残っているのはミックスをミラノでやったんです。今、ヘッドホンで聴いていると、重低音がすごい。これはハウスの影響ですね。拍打ちのドラム、ドンドンドンって、この低音を出すためにミラノでとんでもないことをした。ロバート・パーマーが使ってるスタジオでしたね。で、何をしたかと言うと、ベースとドラムズを抜き出して1回アナログテープに録音するわけです。それを24回くらいコピーしてまた戻す。そうするとなんかぶよぶよになってくる。ぶよぶよをイコライズして、ちょっとは聴こえるようにする。

田家:24回というのは結果的にそういう回数になった?

鈴木:24トラックのアナログのレコーダーが何台かあったので。何回かでどんどんいい感じになっていくなというのがありますね。『AMATEUR ACADEMY』でも「BLDG」っていう曲がありますけど、最後に全員で演奏するところがあるんです。そこまでは全部サンプラーです。全員で演奏するところで何回重ねようか。2回、同じ演奏3回目、4回目、8回目ぐらいで変化が見えたんです。お! ここまで変化しないのかと。もうちょっと重ねてみようかと、10何回目でまた変化が。よし、このくらいでやめておこうというのがあって。それは劣化ではなくて、ハイファイにさせていくことでしたが、このアルバムは劣化させていくということです。

田家:はー……! ってもう口が開いてしまいました(笑)。

鈴木:アシスタントエンジニアのフィリッポという人がいて、口開いてましたよ。なんでお前らこんなことするんだって、いやおもしろいだろ? って、俺には分からないと(笑)。

田家:イタリアの話が出たのであえてお聞きしてしまうのですが、慶一さんが『鈴木白書』を1991年にお出しになって、イギリスと台湾録音があって、高砂族を起用しているのは何を求めているんだろうと思いました。

鈴木:ある本を読んだならば、世界で最初に和声を繰り広げたのは高砂族ではないかという説がある。ブルガリアンボイスが最初だという話もある。グレゴリオ聖歌はユニゾンですからね。いろいろ説があるんですけども、たしかにその音源を聴いたら和声があったんです。レコードを借りて、当時は中村とうようさんから借りました。

田家:たしかに高砂族の音源を持っている人なんていませんもんね。

鈴木:うん、そうです。「鈴木くん、君もこういう音楽に興味を示すのはおもしろいことだね」って言われましたけどね(笑)。

田家:このお話をどこか他でお聞きしたいなと思ったりしております(笑)。

鈴木:台湾でまず録音するんですよ。それを持ってロンドンに行って、今こういうものを作っているんだと、先に提示して、それによって相手はどう出るかなと。で、プロデューサーに1曲ずつ任せてロンドンバージョンは作っていくわけです。

田家:5年間でそういう試みもメンバーそれぞれがしていたということですね。このあたりをまたお聞きしようと思います。13曲目です、1992年のアルバム『A.O.R.』から「ダイナマイトとクールガイ」。





田家:ダイナマイトというのは?

鈴木:小林旭です。

田家:ダイナマイトが150トン。

鈴木:うーん、迷走しますね。クールガイはあまり使わないだろけど、この曲長くてね。すんごい長いシーンになってしまうと覚悟して作りました。

田家:詞が慶一さんで、曲が岡田さん。

鈴木:はい。で、この『A.O.R.』はADULT ORIENTED ROCKの略でもあるかもしれないけども、ARRANGED BY OKADA TORU AND RYOMEIなんですよ。この2人がアレンジを全てやろうという企画になりました。だから、オリジナルのデモとは全然違うコードになっていたり、かしぶちくんはスタジオで1回もドラムズを叩いてないんじゃないかな。

田家:さっきちょっとお話になった5年間でメンバーそれぞれ他のことをおやりになっていた。岡田さんと良明さんも違うことをおやりになった?

鈴木:そうですね。さっきから言ってますけど、勢いがある人。このときに勢いがある人、その2人に任せてみようじゃないかということですね。「ダイナマイトとクールガイ」のミックスのときに記憶にあるのは、今の天皇が観に来ましたね。殿下はビオラをお弾きになりますな。弦楽何十奏か分かりませんけども、ビオラを弾いているものの録音のミックスマスタリングを見学にいらした。私はいなかったんですけども、別のスタジオを見学したいということで入っていらっしゃいまして。エンジニアが気を利かせて、ボーカルをふっと上げたんですね、〈君のスカートの中に秋風が〉。そしたら、5分いる予定が1分で帰ってしまいましたねー。事後に聞きました。そういうことをすごい覚えてます。スタジオに行く時間が岡田くんと白井以外はすごく少ないです。私は歌を歌ってくれと言われたら行く。プロデューサーというものは本当にそういうものなので、任せたら従うよっていうことです。PANTAから教わりました。

田家:その歌を聴いて、すぐお帰りになってしまったという(笑)。視察とは言わないか、天覧でありました。『A.O.R.』の後に再び小休止。

鈴木:そうですね。ここでレコード会社との契約が切れる。そして、自分らで次のレコード会社を探しに6人でマネージャーも帯同しないで行くんです、いろいろな会社に。

田家:メンバーそれぞれが自分で?

鈴木:いや、6人がまとまって行くんです。そうすると、相手のレコード会社<の方>は驚きますよ。「あ、どうも」っていう感じで、アルバムを出したいんですけどという話を我々はマネージャーじゃないので、朴訥とした感じで話す。「じゃあ、おかえりください」って言われて帰ってくる。っていうことをやっていて、そこでファンハウスの方が「今度はマネージャーさんと一緒に来てください」って、で一緒に行って、ぜひやりましょうということになりました。

田家:なるほど。それが次のアルバムということになりますね。慶一さんが選ばれた14曲目、1995年12月に出たアルバム『ムーンライダーズの夜』から「帰還 〜ただいま〜」です。



帰還 〜ただいま〜 / moonriders

鈴木:これ2日間テープが回らなかったんです。打ち込みに次ぐ打ち込みで、生の楽器を使ってないのでこのストリングスは全部シンセサイザーなので、そのアレンジに年月ではないですが2日も費やしたということですね。棚谷祐一くんの助けも借りて。

田家:慶一さんの詞で岡田さんが曲。恥ずかしながらこのアルバム、初めて聴いたんですよ。すごいアルバムですねー。

鈴木:この年は暗い事件が多かったんです。

田家:いいアルバムだなあと思いました。

鈴木:夜をテーマにしようと、1番大きいのはオウム事件ですよね。そして、武川がハイジャックに遭うと。

田家:はい、6月。

鈴木:自らハイジャックに遭う。

田家:阪神淡路大震災もありました。

鈴木:夜というテーマはどうだろうと私は提示した記憶があります。この夜のような1年からなんか上手く抜け出せないものか? というようなことですけどね。で、これは武川が本当にハイジャックに遭ったとき、私は至近距離にいたんです。自分のソロプロジェクトのために山形の親戚のおばさんたちを集めて、御詠歌を録りに行った。そこに向かう電車の中、電話がかかってきてマネージャーが泣き出したんです。「何が起きたんだ?」って聞くと、電車の中に電光ニュースみたいなのがありますよね。山形上空でハイジャック。

田家:あ、山形上空だったんだ!

鈴木:はい。それで名簿を見たらば、武川が乗っているということが分かった。そして、どこか分からないところに着陸したらしい。後で武川が言ってましたけど、着陸が1番怖かったって。どこに着陸するかが全く分からないんでね。函館に着陸し、その後どんちゃん騒ぎだったらしいですけど無事でよかったですよ。

田家:この「帰還 〜ただいま〜」の中の〈無力の力〉これはすごいなと思ったんです。

鈴木:これはいい思いつきだなと、自分でも自画自賛しますよね。無力にも力があるんじゃないかと、無力であることが1つの力に。言ってみれば、スター・ウォーズで言うところのフォース。あれは理力と訳していましたね、いい訳ですね。理力でなんとかなるのではないかなと、無力であってもね。

田家:それぞれの歌が夜を歌ってると言われましたけど、いろいろな夜がありますもんね。

鈴木:そうですね。明日のために遊ぶ夜もあるし、しかし明日が来ないかもしれない夜もあるし。

田家:「まぼろしの街角」はThree Guraduates というクレジットでした。

鈴木:同じ大学の3人なんですよ。このときに印象に残っているのは「思い出は持たない」と。そうかなあと思って、非常に思い出に満ちたまぼろしの街角、所謂池袋周辺の大学の街角の話をどんどん盛り込んで、岡田くんに歌ってもらうようなことを考えたんですね。

田家:「渋谷狩猟日記」っていうのは〈来ギャル孫ギャルひ孫ギャル 町の湿地の両棲類〉老人狩りの逆(笑)。

鈴木:ははははは! 渋谷が荒れてきましたから。ずっと渋谷に事務所が80年代から90年代まであって、やけに叫び声が多くなってきたなとか。

田家:なるほど、そういう夜のアルバムなんだ。最後、「Damn! MOONRIDERS」は〈くたばれムーンライダーズ〉って歌っていて、詞が慶一さんで曲が岡田さんで、とても明るい曲で。

鈴木:明るいんだけど、〈くたばれムーンライダーズ〉って言えってことですよ、言ってくれ! と。非常に自虐的。自虐的と言えば、ジョージ・ハリスンですけれども、そういう自虐性を私は捨てきれないので。

田家:今日最後の曲、15曲目1996年のアルバム『Bizarre Music For You』から「みんなはライヴァル」。



みんなはライヴァル / moonriders

鈴木:これは20周年ですね。他の曲にはたくさんのゲストが入っています。この曲はファンの方々からコメントを募集して、送ってもらったのを散りばめています。中には放送できないのもあって、ピーが入っているのもあります。

田家:はははは! でも初めてのクリスマスソングがあったり、『ムーンライダーズの夜』からはかなりトーンが変わったアルバムになりましたね。

鈴木:そうですね。ちょっとは抜け出たかなって感じですかね。いろいろ悲惨な時間がありましたけど、武川も生還したしということで。あと、20周年ということもあって、そういうことになりました。このストリングスアレンジは四家卯大さんがやってますね。ホーンアレンジをなんと菊地成孔さん。

田家:矢野顕子さんとか糸井重里さんとか、幸宏さんがいたり、カーネーションの直枝さんがいたり、野宮真貴さんもいました。で、またレコード会社が変わります。それは来週です。来週もよろしくお願いしまーす!

鈴木:はい、こちらこそ!

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」4月20日に11年振りのアルバム『It‘s the moooonriders』を発売した、moonridersの特集。今週はその4回目です。鈴木慶一さん自薦22曲で辿る46年。今週は1984年から1996年を辿ってみました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。





moonridersを取り上げようということで、どういう形がいいのかなと思ったのですが、これは正直に申し上げて手に負えないなという感じが最初にありまして。同時代でずっと見てきたつもりではいたんですけど、やっぱりどこかで近づきにくいところがあったんでしょうかね。どこから取りついていいか分からないみたいな感じがあって、鈴木慶一さんに22曲をお願いしますとお伝えしたんです。さっき慶一さんが「こんなの初めてだよ」とおっしゃっていましたけども、それを受けていただいてこの企画が実現したということをあらためてお伝えしなければいけない。

この6人6様で多面性の全貌の大きさ。多面体と多様性。バンドでありながら、楽団のようであり、演劇的なカーニバル的な要素もあったりして、それがそれぞれの曲によって全部違ったりする。アルバムによっても毎回違う何かが見えてくる歌詞もポップミュージックでは使わないテーマがいっぱいある。使わない言葉がふんだんに織り込まれている。それが1番現れていたのが今週の時期かもしれないなと思いました。「夢を見よう」は大嫌いだと慶一さんがおっしゃってましたけども、夢を見る機械が欲しいと歌った曲がありながら、夢を消せる機械が欲しいというふうにも歌ったりしているわけで、光と影。ペシミズムとオプティミズム。いろいろな両面と言うんでしょうかね、万華鏡のようないろいろな光。人間というものはこういうものなんだという人生の本質を見せてくれるバンドなんだとあらためて思いながら今週も終わりたいと思います。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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