「明日はお立ちか/お名残り惜しや/大和男児の/晴れの旅/朝日を浴びて/出で立つ君を/拝むこころで/送りたや」。1942年に発売された軍国歌謡「明日はお立ちか」である▼作詞は故佐伯孝夫氏。「有楽町で逢(あ)いましょう」「銀座カンカン娘」「いつでも夢を」など多くの名曲を生んだ作詞家である。詩全体の中に「軍」や「兵」など1文字もないが、戦場に召集される夫を見送る妻の感傷を描いた

▼歌の発売から1年後、荒井退造氏は沖縄の警察部長に赴任した。当時、沖縄は生きて帰れる希望が薄い地。死を覚悟して、この歌を聴いたかもしれない

▼45年1月末に島田叡氏が知事に就任するまでの1年7カ月の間、荒井氏は住民の疎開を訴え、必死にレールを敷いた。世の中が騒ぐからと反対した泉守紀知事と対立、陣地造りに住民総動員を図る軍にも抵抗した

▼島田氏着任後は彼と手を携えて10万人以上の北部疎開に力を尽くす。両氏の奮闘を描いた「沖縄の島守」の著者田村洋三氏は、2人の精神的支柱の原点は「それぞれの母校の教えにある」と言う

▼その一つは、心身共に強いさまを意味する「質実剛健」。荒井氏の母校宇都宮高(栃木県)で今も受け継がれる。荒井氏は佐伯氏より2歳上の同窓生だ。天界で再会した2人は母校を慕い、生徒たちが平和世(ゆー)を築く強い人間に育つことを願っているに違いない。