【広島市で真崎裕史】あの日も同じ青空だった。セミの大合唱が聞こえる。女学校を出たばかりだった女性は、3人の孫に恵まれ、少し背中が丸くなった。16歳で被爆し、72年ぶりに広島市を訪れた新垣和子さん(88)=那覇市。初めて参列した6日の平和記念式典で、慰霊碑に花を手向け、静かに瞳を閉じた。 会場の平和記念公園は、つえをついたお年寄りや制服姿の子どもなど、早朝から多くの人で埋まった。72年前の1945年8月6日、この辺りは原爆で焼き尽くされ、近くを流れる川に多くの死体が浮いているのを新垣さんは見ていた。

 午前8時、式典が始まった。気温は既に30・3度を記録。隣に座った県原爆被爆者協議会の大山広美さん(56)が新垣さんを気遣う。「第二の人生の誕生日」。爆心地近くで被爆しながらも軽傷だった新垣さんは、8月6日をそう考え、沖縄で懸命に生きてきた。

 「広島に行きたい」と「悲惨な光景を思い出したくない」の間で長年揺れ、「体が動くうちに」と今回ようやく決意した。新垣さんは式典中、原爆ドームのある前方をじっと見つめ、登壇者の「被爆者の声を聞いてもらいたい」の言葉にうなずき、目を閉じた。

 「被爆者の1人として参加できて良かった。今度は長男と一緒に来て、孫にも原爆のことを伝えたい。世の中が平和であるために、私にできることをしたい」

 平和宣言が読み上げられると、一斉にハトが放たれた。新垣さんは青い空を見上げた。