『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。   旧東海道の小田原宿から箱根を超えて三島宿までの八里ほどの行程は、箱根八里といわれ、旧東海道のなかでも難所といわれてきた道だ。難所はバスで。下りは徒歩で。

江戸の香りを感じつつ戦国の武将に思いをはせる古道歩き

東海道の難所は、遠い昔から箱根越えである。箱根八里といわれる神奈川県の小田原宿から箱根峠を越えて静岡県の三島宿までの八里が、難所といわれた。

ちなみに「箱根の山は天下の嶮……」は瀧廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」。「廻し合羽も三年がらす…」は氷川きよしのデビュー曲「箱根八里の半次郎」である。

小田原から箱根路を越えるのは駅伝に任せて、日帰りさんぽは、駅伝のゴール近くまでバスで上がる。

箱根旧街道沿いの杉並木。元和4年(1618)に箱根宿を設置した際に植林された。400本を越える大杉が500mにわたって並ぶ。
箱根旧街道沿いの杉並木。元和4年(1618)に箱根宿を設置した際に植林された。400本を越える大杉が500mにわたって並ぶ。

バスを降りたら車道を逸れて箱根旧街道杉並木に入る。ここは箱根宿が造られたのと同じ時期(1618年)に植林された杉で、今も400本の大木が残る。昼なお暗い大木の道だ。太いもので幹周りは4ⅿを越すという。

石畳の道を進み、草履で歩いた当時の人々を想う。

箱根関所を通り抜けて、芦川の石仏群から石畳の道へ入る。ここからが旧街道が色濃く残る道。丸い石が敷き詰められているので、現代人には歩きにくい。当時は水はけのために石を使ったのだろうが、今は草鞋ではなく西洋靴 (古すぎるか)なので、滑りやすい。でもそれが江戸時代を感じさせる。石畳から国道1号へ出て箱根峠方面へ車道を歩く。

芦川の石仏の先には石畳の道が残る。
芦川の石仏の先には石畳の道が残る。

箱根峠は標高が846m。ここから静岡県になる。箱根越えはバスに乗ったせいか、らくらく越え、後は下るだけ。国道から逸れて箱根西坂旧道入り口から旧道に入り、下って行くと接待茶屋跡に。何も遺構はないが、昭和45年(1970)まで旅人を無料で接待したところだという。近くの展望のいい施行平(せぎょうだいら)に寄り、富士山と三島市街、沼津アルプスや駿河湾の絶景を見てから山中城を目指して下る。

旧道を降りていくと三島の市街が見えてくる。
旧道を降りていくと三島の市街が見えてくる。
昭和45年(1970)まで無料で東海道を行き来する人を接待した茶屋跡。江戸時代から始めて明治維新で一度中断し、明治12 年(1879)から再び始めたという。
昭和45年(1970)まで無料で東海道を行き来する人を接待した茶屋跡。江戸時代から始めて明治維新で一度中断し、明治12 年(1879)から再び始めたという。

山中城は真ん中を通る東海道によって大きく二つに分けられている。本丸がある箇所と大きな岱崎出丸(だいさきでまる)。二つの城内を東海道が突き抜けている。まず岱崎出丸へ。出丸としてはかなり広く、面積は東京ドームの半分。豊臣秀吉の小田原征伐に備えて急遽造られた出丸だからかどうか、 半日もかからず攻め落とされた。

岱崎出丸の一ノ堀近くからの眺望。三島や沼津市街の眺望と駿河湾の風景が広がる素晴らしい眺め。
岱崎出丸の一ノ堀近くからの眺望。三島や沼津市街の眺望と駿河湾の風景が広がる素晴らしい眺め。
元西櫓から見た山中城では最大規模の二の丸。その奥が本丸になる。
元西櫓から見た山中城では最大規模の二の丸。その奥が本丸になる。

北条氏康が永禄年間(1558〜1570)に小田原城の支城として築城。秀吉軍の攻撃に備えて岱崎出丸など城を拡張したが、完成前に攻撃を受けて天正18年(1590)に半日で落城。 復元された障子堀などは芸術作品のようだ。

山中城の特徴はこの障子堀。彫り残した畝が障子のように見えることから、こう呼ばれる。
山中城の特徴はこの障子堀。彫り残した畝が障子のように見えることから、こう呼ばれる。

箱根関所

特に江戸から出る女性を厳しく監視した

徳川幕府が東海道に設けた箱根関所の江戸後期の姿が復元されている。
徳川幕府が東海道に設けた箱根関所の江戸後期の姿が復元されている。

2007年に全面的に復元された箱根関所は、徳川幕府により元和5年(1619)から明治2年(1869)まで置かれた。江戸時代は 「入り鉄砲に出女」といわれるように厳重な監視体制が敷かれていた。

 

●9:00~17:00 (12月〜2月は16:30)、 500円 (通るだけなら無料)、無休。箱根関所跡バス停から徒歩2分 ☎ 0460-83-6635

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より