じっくり炒めたスパイスの芳醇な香りとビターな後味。具材ごとにブイヨンの異なるカレーソース。注文したら間髪入れず提供される『共栄堂』のカレーだが、その仕込みには想像以上に手間と時間がかかっていた。

サラリーマンの味方『共栄堂』は、行列の進みがとにかく早い。

言わずと知れたカレーの激戦区・神保町。その代表格ともいえる『共栄堂』は、大正13年(1924)創業の老舗であり、2016年から6年連続でミシュランガイドのビブグルマンにも選出されている名店だ。黄緑色の看板と、地下から漂うスパイスの香りに誘われて、平日のランチタイムにはいつも行列ができる。しかし、行列の進みは不思議なほど早いので、諦めずに並んでみよう。

店内は昔懐かしい喫茶店のようで、外階段に面した壁は開放感のあるガラス張りになっている。混雑時は他のお客さんと相席になるが、アクリル板で仕切られているのでそれほど気にならない。

座るとすぐに注文を聞かれ、ものの数分でカレーにありつける。昼休みのサラリーマンを遅刻させまいとする、店主の意気込みが感じられる。

相席を避けてゆっくり食べたい場合や、10歳未満の子供を連れて行きたい場合は、比較的空いている平日15時〜18時頃に訪れよう。

じっくり炒めたスパイスの個性をダイレクトに味わう、チキンカレー

チキンカレー 1180円を注文すると、間髪入れずにセットのスープが提供された。ファーストフードも顔負けのスピード感だが、実はこのスープ、数種類の野菜と小麦粉をオーブンで何度が焼いてルゥから手作りした本格的なポタージュスープ。コーンの風味を生かしつつもあっさりと仕上げているので、カレーとの食べ合わせも良さそうだ。スープを数口飲んだところでカレーも到着した。

黒いカレーソースはいかにも辛そうだが、一口目に感じるのはスパイスの香りと、溶けだした肉や野菜の旨味。後から、スパイスの辛さとパンチがじわじわと効いてくる。そして後味はほんのりビター! じっくりと炒めたスパイスが生みだすこの独特の風味こそ、『共栄堂』のカレー最大の特徴。万人受けはしないかもしれないが、多くのファンを魅了する唯一無二の味わいだ。

具材の鶏肉も旨味が強くて、ソースの美味しさに負けていない。それにしても、以前ここでポークカレーを食べた時とはソースの味が違うような気がする。聞けば、具材ごとにカレーソースのベースとなるブイヨンを変え、別々に煮込んでいるそう。チキンカレーのソースはやや軽めで、鶏肉との相性は抜群。スパイスのキレもしっかりしている印象だ。

とろけるタンの旨味と、デミグラスソースのコク。贅沢過ぎるタンカレー

カレーソースの味が具材ごとに違うと言われると、他のカレーも食べてみたくなるのが人情……。ということで、ちょっとプレミアムなタンカレー 1950円も頂いてみることに。箸休めに頼んだ小サラダ 330円は、コールスローに生野菜とポテトサラダ、カレー風味のもやしも添えられてなかなか豪華だ。そしてタンカレーも案の定すぐに到着!

器の中には、隙間もないほどゴロゴロとタンが入っていて、とっても贅沢。その食感はふわふわで、口の中で溶けてしまいそうなほど柔らかい。こんなにトロトロに煮込まれているのにタンの旨味はしっかりと残っていて、これはやみつきになること間違いなし!

ソースも、ビーフの旨味とコクが感じられるどっしりした仕上がりで、スパイシーさとまろやかさのバランスが絶妙だ。実はタンカレーには、一から手づくりしたデミグラスソースも加えているという。タンも店で下処理から行ない、完成までには約3日かかるという手間暇かけた一品だ。

なお、『共栄堂』のカレーはご飯の量がかなり多め。これは、かつて学生のお客さんが多かった頃に、お腹いっぱい食べてもらおうと始めたサービスだ。ソース多めで食べたいなら、200円〜300円でソース大盛りにもできる。

紅玉の美味しさをギュッと濃縮。しっとり食感が堪らない、焼きりんご。

冬に『共栄堂』を訪れたなら、ぜひ食べたいのが焼きりんご 550円。10月から4月までの期間限定で、店のオーブンでじっくりと焼いて作られる人気メニューだ。なお、注文できるのは平日14時以降、土曜・祝日は11時以降で、食事を注文した人だけなのでご注意を。

この焼きりんご、普通の焼きりんごとは一味違う。秘伝の蜜に漬けて蒸し焼きにし、2日ほど蜜の中で寝かせているので、とってもジューシー。シナモンとバターは主張しすぎず、紅玉の自然な甘さと酸味を活かした、爽やかな美味しさだ。そのまま食べても、添えられた生クリームをかけてコクのある味わいを楽しんでもよし。カレーを食べた後でも、ぺろりと平らげてしまった。

約1世紀愛され続けたスマトラカレーを、後世に伝えたい。

『共栄堂』で出されているスマトラカレーの原型は、かつて東南アジアで知見を広め、『カフェ南海』というコーヒーとカレーの店を開いていた伊藤友治郎氏が日本に伝えたものだという。このカフェは残念ながら関東大震災で瓦解してしまったが、伊藤氏にスマトラ島のカレーの作り方を教わった共栄堂の創業者が、日本人の口に合うようアレンジして現在の味になったのだという。

約1世紀もの間愛され続けるこのカレーの味を守るのは、3代目店主の宮川𣳾久さん(写真左)。老舗の店主らしい豪快なオーラを放っているが、作り出す料理は素材を活かした繊細な味わいだ。そして3代目を支えるのが、元レスキュー隊員だという4代目の宮川悠太さん(写真右)。この店で働き始めたのは2020年だが、カレーへの思いは人一倍強い。𣳾久さんが厨房に消えた後、悠太さんが照れくさそうに語ってくれた。
「僕、この店のカレーのファンでもあるんですよ。自分が大好きなカレーの味を、これからも変わらず守っていきたいと思っています」
頼もしい跡継ぎを得て更に進化しそうな『共栄堂』から、今後も目が離せない。

『共栄堂』店舗詳細

共栄堂(きょうえいどう)
住所:東京都千代田区神田神保町1-6 サンビルB1/営業時間:11:00〜19:45LO/定休日:日(祝は不定)/アクセス:地下鉄神保町駅から徒歩2分

取材・文=岡村朱万里 撮影=加藤熊三

岡村朱万里
ライター・編集者
静岡県沼津市生まれ。鉄道会社や登山雑誌編集部勤務を経てフリーランスに。得意分野は山歩きやキャンプ、旅行、街歩き、料理。現在noteにて、さんたつアカデミア『名店のこだわりレシピ、教えます』を連載中。