2022年5月21日、22日、東京・浅草では、三社祭が3年ぶりに開催予定! 他にも今後、コロナ禍で中止されていた祭が、各地で復活するはずだ。私たちは、生活の中で祭をどうとらえ、どのように楽しんできたのか。再認識するために、国語学者の小野正弘先生に「まつり」ということばを解説してもらった。

宗教と享楽が対等な関係に

小野先生 : 「まつり」は日本古来の和語で、奈良時代の文献ですでにみられます。現代の「まつり」には2つの意味があります。

①神仏や祖先などに、祈りを捧げること、また、その行事
②祝賀など、にぎやかな気分で盛り上がること、また、その行事

①は宗教的、祈祷的であり、静謐(せいひつ)さを感じさせます。②は庶民的、享楽的であり、喧噪をイメージさせますね。

筆者 : お祭りに両方があるのはわかります。しかし、改めてみてみると、①と②の対立的な意味合いが同居している「まつり」は、不思議なことばに思えます。

小野先生 : そもそも宗教性と享楽性が、分かちがたく結びついているのが「まつり」の概念だと理解するべきです。古事記にある「天の岩戸」の伝承に、「まつり」の源流をみることができます。
太陽を司る天照大御神が、須佐之男命の野蛮な行動に怒り、天の岩戸という岩屋に隠れてしまいました。すると、世界は真っ暗闇になり、困り果てた神々は、歌や踊りで騒ぎ立て天照大御神を誘い出すことに。案の定、重い岩戸は開かれ、世界に再び光りが戻ってきた、というストーリーです。

筆者 : 三社祭でも神輿で街が盛り上がる前後に、厳かな神事が行われています。日本だけではないでしょうが、「まつり」とは本来、表裏一体であるものなのですね。

現代の「まつり」は享楽性が強調!?

小野先生 : 明治時代には、「お祭り騒ぎ」ということばが登場しました。現代では②の喧騒的なイメージが、前面に出ているように感じます。
SNSなどにあるテーマの書き込みが盛んに行われ、とてもにぎやかになる状態を、「ネットで祭になる」なんて言いますよね。悪くすれば「炎上」になるわけですが。

筆者 : 北島三郎さんが歌う『まつり』を筆頭に、歌謡曲にもお祭りのにぎやかな面を表現したものが多いですね。桑田佳祐の『祭りのあと』は、恋に破れた切ない男心を、象徴的に歌っています。

小野先生 : どちらも名曲ですが、これから続々と復活するであろう「まつり」にちなんで、本来の意味を再認識するのもよいかもしれません。例えば「後の祭り」という表現の意味が、正しく伝わっていないのではないかと、常々思っています。

筆者 : 「物事が起こってから後悔しても手遅れである」といった意味ですよね。

小野先生 : そうですね。「トラブルになってから、お詫びしても後の祭りだよ」などと言うことがあります。この祭を②の喧騒のイメージでとらえると、後からワイワイ騒いでも仕方がない、と揶揄するようなニュアンスを感じてしまいます。
私としては、「神様が怒ってからお祈りしても遅いので、あらかじめ手を打っておくべきだった」と、①の宗教性や静謐さもあわせて、「まつり」を考えるべきだと思うのです。

筆者 : うーん、日本語は難しい!

まとめ

「まつり」は、宗教的な静謐さと、享楽的な喧騒のイメージを兼ね備えたことば。両者は主従関係ではなく、並列しているのが「まつり」の概念。そのことは、天の岩戸に閉じこもった天照大御神が、歌や踊りの騒ぎに誘われて外に出た、という古事記の伝説にも裏付けられる。

現代では後者の喧騒のイメージが強い。宗教性や静謐さも大切にしてほしいと、小野先生は訴える。

取材・文=小越建典(ソルバ!)