鉄道を主題とした小説は数多くありますが、「鉄道の小説」と思われていない作品の中にも、鉄道に注目して読むと新たな発見がある作品がたくさんあります。また、「鉄道の小説」の王道といえる作品も、時を経て読み返すと新鮮な驚きに満ちています。 鉄道好きの人、小説好きの人だけでなく、今はまだそのどちらでもない人にも、思いもよらない形で身近な接点や関心の種を見つけられる小説があるかもしれません。 本記事は、「鉄道開業150年 交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト」の一環としてスタートした「小説に鉄道を読む」特別寄稿シリーズ第2弾。作家・森見登美彦さんに、これまでの読書のなかから鉄道に着目していただき、その作品をご紹介いただきます。

森見登美彦

1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。2003年「太陽の塔」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞を受賞。10年『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞を受賞。最新作は『四畳半タイムマシンブルース』。@Tomihiko_Morimi

鉄道と想像力

鉄道が出てくる小説ってどんなものがあったっけ、と考えていて、ふと頭に浮かんだのは、小学生の頃に国語の教科書で読んだ物語である。ジェーン・エイキン作・猪熊葉子訳の「三人の旅人たち」。本作が収録された短編集『しずくの首飾り』(岩波書店)を購入して、三十年ぶりぐらいに読み返したのだが、まさにぴったりの作品であった。 

砂漠の真ん中のちっぽけな駅が舞台で、主人公は三人の駅員たちである。つねづね彼らはふたつのことを不満に思っている。ひとつはこの駅に列車が止まらないこと(誰もこんな砂漠の真ん中で乗り降りしないから)。もうひとつは日曜日に休みをとっても、どこへも行けないということ(駅のまわりは砂漠だし、たとえ土曜日の最終列車に乗ったとしても、次の駅はあまりに遠すぎて、日曜日の夜までに戻ってこられない)。そんな状態でどうして経営が成り立ってるのか、なんていうのは野暮というものだ。鉄道好きの人間なら、行ってみたくてたまらなくなる駅ではないか。 

そこで駅員たちが考えたのは、給料を貯めて一週間分の休暇を取り、かわるがわる列車に乗って、「いけるところまでいってみよう」ということである。かくして荷物係のジョーンズさんは東の終点にある大都会へ、信号手のスミスさんは西の終点にある海辺へ出かけていく。帰ってきた二人は、それぞれの旅の素晴らしさを語る。ところが三番手、切符切りのブラウンさんは鉄道に乗ろうとしない。「ぼくはどこかちがうところへいきたい」と言って、砂漠を北へ歩きだすのだ。かくしてブラウンさんは素晴らしい発見をすることになるのだが、それが何かということは明かさないでおこう。 

私にとっての「鉄道の魅力」は、この作品にあますところなく描かれている。鉄道は世界に秩序を与えることによって、私たちの想像力をよびさますのだ。鉄道あらばこそ、私たちは東の終点に想いを馳せ、西の終点に心惹かれる。ブラウンさんのように自分の足で自由に歩きたくなるのも、じつは鉄道のおかげなのだ。レールがあるからこそ、レールからはずれる楽しみも生まれる。 

車窓の風景に心惹かれるのも、同じ理由によるのだろう。私はよく近鉄特急に乗って奈良と京都を行き来するのだが、これまで何百回となく見てきた風景にもかかわらず、その車窓の眺めに飽きるということがない。「レールに乗っている」という秩序の感覚こそが私の想像力をよびさますのだ。 

想像力は私たちを冒険へ誘うが、その一方、しばしば恐怖という感情と結びつく。鉄道と恐怖小説の相性がいいのも当然のことだろう。というわけで、「車窓からの眺め」を題材にした恐怖小説も紹介しておきたい。 

ひとつは、モーパッサンの「恐怖その二」(福武文庫『モーパッサン怪奇傑作集』収録)。ひどく蒸し暑い夜、夜汽車に乗っていたモーパッサンは不気味なものを見る。森の一角で火を燃やしている男たちの姿が一瞬だけ車窓をよぎったのだ。あれは何だったのだろう。こんな蒸し暑い夜に、なぜ彼らは火を燃やしていたのだろう。怪訝に思っていると、向かいに腰かけている老紳士が「奇妙なものを見ましたね」と声をかけてくる。「本当に恐ろしいのは、どうしても理解できないものだけですよ」と老紳士は断言するのだが、その言葉からモーパッサンは、ロシアの小説家・ツルゲーネフの不気味な経験談を思いだす……。小説というよりは随筆というべき作品で、本題であるツルゲーネフの経験談もじゅうぶん薄気味悪いのだが、冒頭の、車窓から一瞬だけ見えたという森の一角の焚き火の描写がいつまでも心に残る。あれは何だったのだろう。 

もうひとつは、ブッツァーティの「なにかが起こった」(岩波文庫『七人の使者・神を見た犬他十三篇』収録)である。北の都会へ向かう超特急に乗っている主人公は、車窓の風景を眺めているうちに奇妙なことに気づく。人々が進行方向とは反対の方角へ逃げていくのだ。列車が進むにつれてその騒ぎは大きくなっていき、南へ向かう道は逃げる車や人でいっぱいになる。こちらに向かって何か叫んでいる人もいるが、その言葉を聞き取ることはできない。超特急の向かう先で「なにかが起こった」のだ。しかし列車は止まらない。猛スピードで走り続ける……。 

モーパッサンの作品にしても、ブッツァーティの作品にしても、車窓から一瞬だけ見える景色が私たちの想像力に火をつけ、それが底知れない恐怖へと膨らんでいくのである。 

文=森見登美彦