一度聞いたら忘れられない店名とおしゃれなステージ。『青山 月見ル君想フ』はミュージシャンからも一目置かれる場所だ。今回はこの『月見ル』のオーナー寺尾ブッダさんにこのライブハウスの今と、見据えている未来について語っていただいた。

あらゆるジャンルを受け止めるハコとして2004年にスタート

創業者からこの店を引き継いだ、2代目のオーナー寺尾ブッダさん。
創業者からこの店を引き継いだ、2代目のオーナー寺尾ブッダさん。

『青山 月見ル君想フ』は、青山という超都会的な地で最先端の音楽を鳴らすハコ、そしてジャンルに垣根なく楽しそうなイベントを手がけている場所として親しまれてきた。気づけば20年近くもの歴史を重ね老舗の域に達しつつある。寺尾さんにはまず、その歴史を語ってもらおう。

「前のオーナーの方がこの店を創業されたのが2004年のことです。当時は『新宿JAM』や『新宿LOFT』がインディーズのライブハウスという時代でしたが、『月見ル君思フ』もまた、インディーズのハコとして始まりました。私はブッキングスタッフとして入って、10年くらい店長をやらせていただいて、その後、独立してみないかという話をいただいて2代目オーナーとして譲り受けたわけです。それからももう10年くらい経ちます」

寺尾さんによると、抒情あふれるこの店名が示すように、先代オーナーはフォークやロックなど気持ちのこもった音楽が好きだったという。ジャンルに関係なく、とにかく面白い音楽を紹介していこう。今も息づくそんな気概は創業当初からあった。

「じゃあ、面白い音楽とは?という話ですが自分たちが楽しい、いいなと思う音楽。そんな音楽で会場を満たしていこう、それに向けて努力していこうという気持ちはスタッフの間でもありました。ジャンルを固定せず、あらゆる表現を受け止める。パフォーマンスのための施設という気持ちから始まったんです」

毎日が違う演出、違うステージ。『月見ル』の考える面白さとは?

ステージに向かって降りていくと、巨大な月が出迎えてくれる。寺尾さんの取材前に、筆者がプライベートでライブハウスにお邪魔した日は、幻想的で美しいライティングで、演奏を聴く前から気持ちがたかぶった。
ステージに向かって降りていくと、巨大な月が出迎えてくれる。寺尾さんの取材前に、筆者がプライベートでライブハウスにお邪魔した日は、幻想的で美しいライティングで、演奏を聴く前から気持ちがたかぶった。

あえて決められた型を持たないのが『月見ル』の強みだと寺尾さんは続ける。今も出演者や企画ごとに演出や雰囲気は変えているという。

「『月見ル』でやっているなら面白い、そう思ってくれる広い意味で固定客と呼べるお客様はいらっしゃいます。ただ、毎日全然違うことをやっているので、常連さんが連日やってくるハコではないんですね。それがほかのライブハウスとは違う部分かなと感じています。その思想の延長線上でもあるんですが、海外のバンドに出てもらったら面白いよねとはずっと感じてきました。地下の扉を開けたら海外の聴いたことのない音楽が流れている、そういうのって面白い。そんな価値観がまずあったんですね。それで海外アーティストを積極的に受け入れたり、こちらから探しにいったりというアクションが生まれるようになっていったんです」

まるでパラレルワールド。日本に近い、でも違う、不思議な台湾の音楽に心奪われる

『台北月見ル君想フ 潮州本店』
台北市大安區潮州街102號

『台北月見ル君想フ 赤峰店』
台北市大同區赤峰街71巷2號

そう、この『月見ル』は海外のミュージシャンと縁深いライブハウスでもある。海外アーティストが日本でライブをすることは珍しいことではない。ドーム公演を行うようなレジェンドやフェスを沸かす注目株など、多くのミュージシャンが海を渡ってやってくる。もちろん、中・小サイズのライブハウスで音楽を奏でるミュージシャンも古くからいた。だが、『月見ル』がスゴいのは、海外の音楽家たちをライブハウスに出てもらって終わらなかったところ。ここをスタート地点として、寺尾さんの数々の冒険が幕を開ける。

「海外アーティストに出てもらうなかで、台湾のミュージシャンの音楽に出合い、日本で紹介したいと強く感じました。そうこうしているうちに、今度は台湾でもイベントをやるという流れも生まれた。そして、台湾でライブをやる拠点まで欲しいとまで感じるようになり、台北に『月見ル君思フ』を設立する動きが出たのが2013年。もう10年になるんですね」

寺尾さんは台湾アーティストとも密接な関係を築き、なんと現地に青山と同名のライブハウスまで作ってしまった。寺尾さんは台湾アーティストの紡ぎ出す音楽のどんなところに惹かれたのだろうか?

「世界にはいろいろな国もあるし、ヘンテコな音楽もある。もともと、変であれば変であるほど良いという趣味も持っていたんですが、台湾に惹かれたのはその逆の理由でした。台湾のバンドの音楽は日本に近しいと感じたんですよ。そして、近いのにちょっと違う部分も確かにある。まるでパラレルワールドのような感覚が面白かった。台湾の方に話を聞いてみると小さいときに日本の音楽やアニメなどのカルチャーに影響を受けている人も多くて、洋楽も僕ら日本人が聴いてきたものと似通っている。実は共通言語がたくさんあったんですね。彼らがやっている音楽は僕らが聴いても分かるし、やりたいことも伝わってくる。でもその一方で日本とは違う、日本のバンドにはない何かがある。加えて台湾独特の文化や民族固有のものが取り込まれている音楽もありました。その点も興味深く感じましたね」

国という概念を超えて、ひとつのインディーズの輪っかが生まれている

寺尾さんの手がけるレーベル「BIG ROMANTIC RECORDS」のオンラインショップ。
寺尾さんの手がけるレーベル「BIG ROMANTIC RECORDS」のオンラインショップ。

ライブハウスを作るだけでは終わらず寺尾さんは新音楽レーベルのプロジェクトも並行して動いていく。「BIG ROMANTIC RECORDS(大浪漫唄片)」では台湾に加え、アジア各地のミュージシャンの音源を手がけている。

「台湾にライブハウスができてベースが整って、日本と台湾、“その間”にいるべきだなという気持ちが強くなりました。東京のインディーズの音楽を台湾に持っていく、そうしていると自然と台湾の知り合いも多くなり、日本でやりたいというミュージシャンも増えていきました。でもそこで気付かされたのが、台湾には良いバンドがたくさんいるのに日本ではまだ知られていないということ。人を呼んでイベントを成功させるという意味でも、音源を日本で出すことが有意義だと思いました。それでレーベルを作ることになったんです。今さらCDでなくていいだろということでレコードやテープを作っています。ウェブメディアに記事を載せてもらったりして、これ本当のレーベルみたいじゃん(笑)という感じで、最初はなんとなくやっていたんですが、記事を見てくれる人が増えて、台湾の音楽が注目を集めるように。実際にお客様が増えるという流れもできました。そこからさらに台湾を起点としたツアーを企画したりしてアジアにも目を向け、さまざまな国のアーティストともつながりを持っていって。気づいたら対象国がどんどん増えていきました。インディーズの輪っかというか、どこの国の人でも参加できるような雰囲気が生まれていったんです。さらに言うと、国という単位では分けらない……この感覚は多分、リスナーのほうが強く感じてくれていますね。店で台湾のアーティストとタイや東南アジアのアーティストのレコードを並べて販売しているというのは自分にとっても、自然なことだったんです」

アジアのミュージシャンとの活動が、どんどん広がりを見せる

今回、寺尾さんのお話をうかがったのは下北沢BONUS TRACKにある『大浪漫商店』。「ここにストーリーが集積されている」と寺尾さんが話す通り、アジア各国のアーティストのレコードやレーベルグッズが購入できる。さらに店内で食せる台湾グルメやキュートな台湾の洋服なども人気を呼んでいる。
今回、寺尾さんのお話をうかがったのは下北沢BONUS TRACKにある『大浪漫商店』。「ここにストーリーが集積されている」と寺尾さんが話す通り、アジア各国のアーティストのレコードやレーベルグッズが購入できる。さらに店内で食せる台湾グルメやキュートな台湾の洋服なども人気を呼んでいる。

『大浪漫商店』
住所:東京都世田谷区代田2丁目36番14号 BONUS TRACK soho5
アクセス:小田急線 下北沢駅徒歩6分

 

この記事を書くにあたり筆者は、実際にいくつかの台湾バンドの音楽を聴いてみた。寺尾さんが話すように日本の今の音楽に通じる部分も多いし、やわらかなサウンドも胸に響く。あるバンドのライブ映像を見るとMCがとても長く、お客さんとの距離の近さも好印象だった。

「台湾のバンドは基本的によく話す(笑)。でも、彼らが日本で演奏するとなると語学力の限界があるのでトークの時間を削って音楽で勝負するしかない。日本ツアーを経験するとバンドとしての実力が上がることが多いので、見ていて面白いですね。また、近年は日本のフェスにアジアのミュージシャンを呼び込むことも一つの目標。フェスに出るというのはやはり影響力が大きいですからね。今は日本のフェスでも海外出身のお客さんを見る機会が増えました。台湾や中国から来ている若者が日本のフェスに集うようになっているんです。また、出演者という意味でもアジアのバンドはアクセントになるので、フェスを主催する側からも注目されていますね。最初はインディーズ魂で始めたアジアへの展開ですが、だいぶ広がりをみせていよいよ面白くなっています」

国の境なく音楽を楽しむ、感じる、間違いなくそんな時代に突入しているのだ。そしてその渦の真ん中に寺尾さんのような根っからの音楽ラバーがいることを、とても頼もしく感じる。

予想を超えてくる音楽に出合いたい。だから続けていける

「『月見ル』では演者としてもやりたい放題やらせてもらっていました」と寺尾さん。
「『月見ル』では演者としてもやりたい放題やらせてもらっていました」と寺尾さん。

寺尾さんは元々バンドマンで、『月見ル』にもよく出演していた。プレイヤーとしての喜びも楽しさも知る彼だが、今は裏方としての仕事に使命感すら覚えていると話す。

「今後、何かの形でバンドをやりたいとは思ってはいますけど、ものすごく才能のある人たちと触れ合ってしまったので、勝てないという気持ちも大きいです。裏方として、日本の音楽を海外へ、海外の音楽を日本へ。それが今は使命だと感じています。誰にも頼まれてないですけどね(笑)」

演者と裏方は全く逆の立場のように思えるが、寺尾さんの話を聞いていると実は同じどちらも役割を持っているように思えてくる。演奏する人も、そのための場所をつくる人も、どちらも音楽を誰かに届けるという作業は全く同じで、根っこには音楽への情熱があるのだ。

寺尾さんが裏方として活躍する場所、ライブハウスの話に戻そう。実は、『月見ル』はコロナ禍で大規模な改装を行っている。ここからはその頃のお話もしていただこう。

「上階を大幅に削り音響システムを上階に持ってくるなど大きな変化がありました。PA 卓を目にして、ステージに降りていくという仕組みが面白いですよね。実はPAブースをつくり直したときに配信の仕組みも整えたので、コロナ禍のときには重宝してもらいましたね。今もイベントによっては配信の設備を使ってもらっています」

とはいえ、コロナ禍のときは苦労もあったと寺尾さんは続ける。

「コロナ禍はクラウドファンディングでTシャツを作って売ったりもしました。このライブハウスに長い歴史があったことが大きかった。幅広いアーティストに出ていただいているんだな、というのはそのとき改めて感じました。一方で、『月見ル』はシーンをつくってきたとか、このバンドを育ててきましたというハコではない。若い10代のバンドがずっと出てて……みたいなライブハウスじゃないですから。そういう意味ではコロナ禍では少し寂しさのようなものも感じました。そんななかでも、こだわりがあるからやっている。それがなかったらやっていないですよ。でもいざ、こだわりって何か、ハコとして面白い音楽とは何かと聞かれるとちょっと言葉にするのって難しいですね」

そういって寺尾さんは一瞬考え込んだ。彼がこのライブハウスで鳴らしたい音楽とは一体どんなものなのだろう?

「そうですね……予想を超えてくる出来事とか音楽とか、スタッフみんなですが『月見ル』はそういうものを愛でる傾向がある。そして、レーベルが心掛けていることもそこ。音楽のなかには予定調和だから良いというものもあるかもしれないですが、やはり予想を超えてくるようなものこそ面白い、そう信じているんですよ」

インディーズのハコ、『月見ル』だからこそ追求できること

青山の閑静な街のなかに突如現れる『月見ル』。何度でも足を運びたくなる雰囲気の良さが魅力だ。
青山の閑静な街のなかに突如現れる『月見ル』。何度でも足を運びたくなる雰囲気の良さが魅力だ。

最後に、『月見ル』が今後、目指すものについて伺って話を締めよう。だが、質問すると寺尾さんは、またも考えこんでしまった。

「『月見ル』のこれから……それも言葉にするのって難しいですね(笑)。コロナもあって時速300キロくらいで走ってきて、先のことはあんまり考えてなかったんですよ。でも、振り返ってもライブハウスの演出って、一度も同じことをやってきていない。なので『月見ル』としては、やはり新しいことを探し続けるんだろうなと思っています。新しい演出、企画、もしかしたら新しい国? どうなんでしょうね。キャパが150人しかないので、このサイズでしかできないこと、このキャパ感だからできる面白いことを追求する。それがインディーズのハコならではの醍醐味だと思います」

これからも『月見ル君想フ』にはかっこいいハコであってほしい。僕が最後にそう伝えると、今度は瞬時に「もちろんそうですね」と寺尾さんは返してくれた。アジアと日本との架け橋というチャレンジを楽しみながらも、『月見ル』は2024年に20周年という節目を迎える。これから、どんな歴史が店に刻まれていくのか、今後も見守っていきたい。

青山 月見ル君想フ
住所:東京都港区南青山4-9-1 B1F/アクセス:地下鉄銀座線外苑前駅から徒歩4分

取材・文・撮影=半澤則吉

半澤則吉
ドラマライター
1983年福島県生まれ。ライター、朝ドラ批評家。町中華探検隊隊員。高校時代より音楽活動を続けており、40歳を迎えた今もライブハウス、野外フェスに足を向けることも多い。