改元の理由は水だった。『続日本紀』によれば、奈良時代の霊亀三(七一七)年、元正天皇はこんなふうに詔(みことのり)している(意訳)。元正天皇は当時三十代の女性だった。

「私は二か月前、美濃国(みののくに)で湧き水と出会い、みずから手や顔を洗ったところ、肌がすべすべになった。付き従う者たちも飲んだり浴びたりして、あるいは白髪(しらが)が黒くなり、あるいは薄毛のところに髪が生え、さらには目の悪い者もはっきり物が見えるようになった。まことに瑞祥である。中国の書にも『醴泉(れいせん)は美泉(よきいずみ)なり、もって老いを養うべし』とあることだし、このたび霊亀三年を改めて養老元年とする」

醴泉とは、おいしい水の泉というほどの意味。おしなべて若返りが強調されているのがわかると思うが、しかしこの美容液と育毛剤と点眼薬を兼ねたような高機能の液体は、その後はむしろ、アルコール飲料として評判が高くなる。

いわゆる孝子伝説である。伝説の中身には何通りかの系列があるけれども、いちばん有名なのはこれだろう。成立したのは鎌倉時代あたり。

「むかしむかし、美濃国に源丞内(げんじょうない)という木こりがいました。彼には年を取った父がいて、好きなお酒を飲ませてやりたいのに、貧乏なのでできませんでした。或(あ)る日、源丞内が山へ入ると、滝の近くに泉があります。飲むとお酒の味がするので、ひょうたんに入れて持ち帰り、父はたいそう喜びました。孝行息子の評判は広がり、みやこに達して、天子様が来られました。そうして親しくその滝を『養老の滝』と名づけられました」

酒の味のする水だから、厳密にはノンアルコール飲料かもしれない。厳密といえば、この話の要約は「湧き水を見つけて孝行した」、ではないことに注意しよう。正しくは「孝行息子だから湧き水が出た」。似ているようでまったくちがう。後者でないと神様の思し召しが示唆されず、天子の来た理由が薄弱になるからである。

とにかく、その酒の味の水。どんなものだろうと思って行ってみた。JR大垣駅(岐阜県大垣市)で養老鉄道に乗りかえて、養老駅(同県養老町)で降りる。この駅舎も大正時代の風情あるものなので、しばし眺めて、舗装された山道をてくてく登(のぼ)ること小一時間。滝はちょうど白糸と瀑布(ばくふ)のまんなかへん、やや瀑布寄りだろうか。雪どけで水量が多いのかもしれない。

さて、帰り道である。道ぞいに養老神社という小さな神社がある。柏手(かしわで)を打って挨拶して、いよいよ試飲に臨むときが来た。

神社の横の斜面に、ひょうたんのかたちの陶器(?)が突き刺さっているのだ。その口からは澄んだ水がじゃあじゃあ迸(ほとばし)っていて、見るからに景気がいい。私はその前にしゃがみこんで、両手に受け、顔を近づけて啜(すす)ってみた。

苦い。

びっくりするほど苦い。ただしコーヒーやゴーヤのようではない。或る種のお酒を思わせることは確かだけれども、日本酒でもなく、ビールでもなく、しいて言えばウォッカに近いか。ウォッカをさらに金属的、思索的にして、透明感を付与したような。

何度か飲むうち、いい気持ちになった。おのずから頭の血もめぐりだす。元正天皇の改元のエピソードは或(あ)る時期から忘れられ、源丞内の孝子伝説に取って代わられたことは先に述べたが、その理由はひょっとしたら、この苦みにあるのではないか。あんまり舌の印象が強すぎるので、元正天皇一行のように肌に塗ったり、頭髪に振ったりでは話として物足りないのだ。

だとしたら、ここでは味覚が歴史を決めたわけか。私は水を飲み終えると、リュックから三五〇ミリリットルのペットボトルを取り出した。まあ現代のひょうたんである。家には老いた親はいないけれど、妻と子供たちがいる。水を入れて持ち帰り、家に着くや、「この苦みが」などと講釈を垂れつつ、コップに一杯ずつ注いで飲ませた。

みんな変な顔をした。高校生の三男など、はっきり首をひねっている。私はふたたび飲んでみて、息を呑(の)むほど驚いた。おいしいことはおいしいが、ただの柔らかな天然水である。あの独特の苦みが、苦みだけが、拭ったように消えている。

運ぶ途中で劣化したのか。化学変化が起きたのか。いや、それよりも、私には源丞内ほどの清い心がなかったのかもしれない。