NHK大阪放送局が今月放送開始100年を迎えたのを記念し、同じく今年生誕100年となる上方落語の救世主、三代目桂米朝(1925〜2015年)の功績をドキュメンタリーと再現ドラマで振り返る特別番組「桂米朝 なにわ落語青春噺(ばなし)」が21日午後7時半、関西地方で放送される。再現ドラマで若き日の米朝を演じるのは、米朝宅での内弟子経験もある孫弟子の桂吉弥だ。吉弥は「この人がいてはらへんかったら、上方落語はなくなっていた。改めてありがたさをかみしめています」と語る。
米朝の言葉をかみしめながら
米朝は上方落語が衰退期にあった昭和22年、四代目桂米団治に入門した。会社員だった「落語愛好家・中川清」が「落語家・桂米朝」に覚悟の転身をしたきっかけは、当時師事していた寄席文化研究家、正岡容の「上方落語は消滅の危機にある。復興に命をかけろ」との言葉だった。
吉弥は「米朝師匠は芸人として売れたいという気持ちではなくて、『自分がやらないと上方落語がなくなってしまう』という使命感の方が強かった。そんな話を内弟子時代によく聞きました」と振り返る。
吉弥は桂吉朝(平成17年死去)に入門した直後の7年から10年まで、大師匠の米朝宅で内弟子をした。吉弥の両親が初めて挨拶に来た際、米朝は「芸人はどうなるか分かりません。吉弥は数に入れんと、期待は(吉弥の)弟さん、妹さんにかけてください」と言い、両親を驚かせた。そして、その後の言葉は、吉弥に今でも熱い気持ちを思い起こさせる。
「ただ、私は落語というものは、男が一生かけてやるだけの価値があるものやと思いますよ」
その日から3年間、晩酌時にたくさんの昔話を聞き、取材には付き人として同行して米朝が語る言葉をそばで聞いた。「それは本当に財産で、今回のドラマでも、当時の米朝師匠の言葉や表情を思い出しながら演じました」とはにかむ。
「上方落語に未来はない」
昭和20年代、上方落語家は十数人にまで激減し、絶滅の危機にあった。米朝はそのどん底から、NHK大阪放送局のラジオ番組やテレビなどのメディアも駆使しながら、ともに「上方落語四天王」と称される六代目笑福亭松鶴、三代目桂春団治、五代目桂文枝らよきライバルたちとともに上方落語をもり立てていく。
再現ドラマで、米朝から入門を頼み込まれた四代目米団治が「上方落語に未来はない」と言い放つシーンがある。
四代目米団治を演じるのは、米朝の長男で当代の米団治。父に生前、「上方落語が滅びると思ったことはあるか」と問うたことがある。その答えは「一度もない。こんな素晴らしい芸が滅びるわけないがな。やり手がいてへんかっただけの話や」だったという。
四天王の活躍を土台に、上方落語は生き残った。その定席として、平成18年に天満天神繁昌亭(大阪市北区)、30年には神戸新開地・喜楽館(神戸市兵庫区)が誕生。上方落語家は250人以上に上る。
先人たちの悲願がかなった形だが、吉弥は「最近は入門者が年に1、2人しかなく、観客の年齢層も高くなっている」と話し、「再び『上方落語の未来』を考えなあかん時期にきている。このままじゃ未来はない」と危機感を募らせる。
米朝の芸に直接触れたことがない若手も増えている。「米朝師匠が何を目指し、何をやらはったかをこの番組で知ることは、僕ら今の落語家にとって大きな刺激になるはずです」と表情を引き締めた。(田中佐和)
三代目桂米朝(かつら・べいちょう)
本名・中川清。大正14年、旧満州(中国)の大連市生まれ。昭和5年に一家で兵庫県姫路市に帰郷した。22年に四代目桂米団治に入門し、三代目桂米朝を襲名。品格に満ちた芸風で、埋もれていた古典落語の復活など落語研究にも取り組んだほか、一門の総帥として二代目桂枝雀や二代目桂ざこばらを育てた。平成8年に人間国宝。21年、落語家としては初めて文化勲章を受章した。27年、89歳で死去。


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