昭和13(1938)年夏、早大野球部がハワイ遠征のため特別にあつらえたユニホームが、野球殿堂博物館(東京都文京区)へ寄贈された。同博物館は「現存する戦前のユニホームは少なく、日米の野球による友好の歴史を知るには極めて貴重な資料」とその価値を評価する。(三浦馨)

殿堂博物館に寄贈

 ユニホームの持ち主だったのは三好善次さん。旧制の香川県立高松中学(現高松高)のエース兼4番で、9年夏の甲子園に出場してベスト8へ進出した。10年に早大に入学し、野球部へ。12年には外野のレギュラーに定着した。13年7月15日から8月19日にかけてのハワイ遠征のメンバーにも選ばれて参加した。

 「早稲田大学野球部百年史(上巻)」によれば、早大は現地で米海軍や日系人チームと対戦。7勝1敗の好成績を収めた。

 このとき、選手が着用したのが、グレー地に「WASEDA」の胸文字のユニホーム。当時早大が公式戦で使うユニホームは白地だったが、ビジター(遠征)用に新調したとみられる。

 三好さんは卒業後、秋田県内の鉱山勤務を経て陸軍に入隊。主計少尉だった19年9月30日、グアム島で戦死した。28歳だった。

 早大の2年後輩で野球部OB会・稲門倶楽部元会長の大道信敏さん(97)は「小柄だが足が速く、守備も軽快な好打の1番打者。どこか青木(宣親)に似ていた」と米ブルージェイズで活躍する早大の後輩に面影を重ねて懐かしむ。

 三好さんのユニホームは戦後、遺族から入手した第三者が大切に保管し、野球殿堂博物館へ寄贈した。左袖には日米開戦のわずか3年前まで両国が野球を通じて交流していたことを伝える日の丸と星条旗をかたどったワッペンが縫い付けられている。「貴重な歴史の証人といえるでしょう」と博物館学芸員の関口貴広さん(41)。

 博物館は三好さんの親族を探している。情報は博物館(電)03・3811・3600(関口さん)まで。