雪深い1月下旬の島根県奥出雲町。「高殿」と呼ばれる建物の中では、炎が轟々(ごうごう)と燃えさかる炉に職人たちが向かい、砂鉄と木炭を交互に3昼夜くべ続ける。この作業が2月上旬まで3回繰り返され、日本刀の原料となる極上の和鉄「玉鋼」が作り出される。

 このような製鉄法は「たたら吹き」と呼ばれ、千年以上の歴史を持つ日本古来の技術とされるが、炉を高殿で囲うようになったのは近世に入ってから。良質の砂鉄や森林資源に恵まれていた奥出雲地方は、全国屈指の鉄の産地として君臨した。

 しかし明治以降、たたら吹きは西洋から導入された製鉄技術に押されて衰退。昭和の一時期に軍刀需要で復活したものの戦後に途絶え、玉鋼も底をついた。このため、たたら吹きや日本刀の伝統文化を継承する必要から、「日本美術刀剣保存協会」が日立金属などの協力を得て昭和52年、同町にたたらを復活させた。現在、「日刀保たたら」として全国で唯一、たたら吹きを守り続けている。

 モノづくりの原点

 操業の最高責任者は昔も今も「村下(むらげ)」と呼ばれる。「炎と向き合うのはごく一時期だが、必要な作業は砂鉄の採取や木炭の焼成、炉を作る準備など1年がかりだ」と63年から村下を務める木原明さん(81)。「『たたら』が日本のモノづくりの原点として捉えられることを誇りに思う」と話し、今も常に玉鋼の品質向上を目指している。

 江戸時代、この地を治めた松江藩から独占的に鉄山経営を任された家は「鉄師」と呼ばれ、筆頭鉄師を任じられていたのが「田部家」だった。室町時代に吉田村(現雲南市吉田町)で製鉄を始め、江戸時代に高殿を築き操業を本格化。最盛期には、国内の8割を占めた中国山地産鉄の大半を生産したとされる。その繁栄ぶりは、同町中心部の田部家土蔵群からもうかがえる。まぶしい白壁と落ち着いたなまこ壁の蔵が20棟近く整然と並ぶ光景は壮観だ。

 「高殿」再脚光

 ここから少し山あいに入った所に、田部家が大正時代まで操業を続けていた製鉄拠点があった。日本で唯一現存する高殿建築「菅谷高殿」で、幕末の嘉永3(1850)年に建てられ、こけら葺(ぶ)き屋根の建物内に炉、砂鉄や木炭の置き場、職人の詰め所などが往時の面影を残している。

 高殿を中心として、鉄作りに携わる集団が暮らす集落は「山内」と呼ばれ、菅谷高殿の一帯は「菅谷たたら山内」として国重要有形民俗文化財に指定。菅谷高殿は、一般公開されている。

 「高殿の来訪者は近年、3〜4倍に増えた」と話すのは山内を管理する「鉄の歴史村地域振興事業団」の朝日光男さん(71)。「とくに外国人の姿が目立つ。世界中からここに来てくれるのは、生まれ育った者としてこんな幸せなことはない」と笑顔で観光客を迎え入れ、たたらの歴史やモノづくりの魅力を語り続けている。(松江支局 小林宏之 写真も)