−−米の大学に留学されたんですね

 慶元 最初は3カ月ぐらいの予定だったんですが、行ったらとても楽しくて。資格を取ってネブラスカ州立大に入学し、英文学を勉強しました。親が「帰って来い」と言うので1年あまりで帰国しましたが。

 −−では、英会話はお得意ですね

 慶元 一応、日常会話ぐらいはできます。実は芸能界に入ったきっかけも英語なんです。

 −−といいますと

 慶元 よくある話なのかもしれませんが、妹が申し込んだモデル事務所のオーディションに一緒に行って、妹はだめだったけど私が通りまして…。当時、モーターショーなど外国の方も来られるイベントが盛んで、英語の通訳もできるイベントコンパニオンを探していたみたいです。

 −−タレント時代の思い出は

 慶元 けっこうテレビCMに出させてもらいました。今でも流れているのもあるんですよ。お菓子の「千鳥屋宗家」さんのイメージCMで、細雪をモチーフにしてるんです。私は三姉妹の長女役、妹たちが千鳥屋宗家さんのお菓子が大好きという設定でした。衣装さんが大正時代風のレトロな着物を探してきてくれて髪もアップにしてもらって。

 −−芝居仕立てのCMだったんですね

 慶元 そうそう、そういう演技をするようなCMも結構たくさんやらせてもらいました。毎回いろんなキャラクターができるので、難しいんですけど楽しかったなあ。

 −−ラジオのパーソナリティーを始めたいきさつは

 慶元 JRA(日本中央競馬会)さんで「勝利騎手インタビュー」という仕事をやっていました。外国の騎手が来ることもあるので、英語でインタビューができるという理由で選ばれたみたいです。その関連イベントで、ラジオに強い事務所の人と知り合いました。私自身「30歳を過ぎて、このまま今の仕事が続けられるかなあ」と思っていた時期でもあったので、その事務所にお世話になることにしました。

 −−新しいステージへの挑戦。もともと話すことは得意だったのですか

 慶元 いえいえ。話すといってもイベントの司会ぐらいしかやったことはなかったですし、全然得意な方ではありませんでした。

 −−ラジオの仕事は大変だったんですね

 慶元 ラジオのことは何も知りませんでしたから。最初のFMの仕事が始まる前に事務所の人がシミュレーション番組を作ってくれて、ストップウオッチの押し方から教えてもらいました。仕事が始まってからも、毎回スタッフさんに怒られながら少しずつラジオのことを勉強してきました。周りの人に恵まれて、ここまで育ててもらえたとつくづく思います。

 −−悩みも多かったと

 慶元 短い時間に言いたいことを的確に伝えるのはとても大変でした。最初は本当にヘタで、今でもまだうまくはできませんが…。(聞き手、原田純一)

 昭和44年、大阪市生まれ。短大卒業後、米国留学を経て24歳のときに芸能界入り。タレントや英会話を生かしたインタビュアーなどとして活躍。30歳を過ぎてラジオの世界に入り、パーソナリティーに。「野菜ソムリエ」の資格を持つなど食の問題にも精通し、野菜関連の著書もある。