ペリー提督が黒船で浦賀に現れ、日本中が大騒ぎになる7年も前の1846(弘化3)年の6月19日、ニューヨークのニッカボッカークラブが初の『野球試合』をやった。この時のルールで3ストライク、3アウトでチェンジ。そして、ベースの間が90フィート(約27.4メートル)だった。

 これがなんとも微妙な距離で、あと半歩というところで打者走者が一塁で“くやしいアウト”になるし、誰がきめたか実にナルホドなぁ…という“長さ”で、よくできている。

 阪神の交流戦のラストゲームは楽天に完封負けして、金本監督は実に手短にこう言った。「それにしても1点もとれなかったのが悔しい…」。

 つまりいくらワンダフルなゲームをやっても、走者をたくさん出しても誰一人として三塁から本塁までの27メートル強を駆け抜けなかったら…アノ超満員の甲子園のファンにはフラストレーションが手みやげとして残る。タッタ27メートル強で…。

 実際にこの塁間という舞台には本当に実に巧妙に、しかも多くの名選手をヒーローにも悲劇や嘲笑の対象にもしてきた。金本監督が「自分が最も誇りに思う記録」として『1002打席連続無併殺打』というのがある。2000年5月12日の中日戦から01年9月28日横浜戦までの日本記録であるが、これは彼が「どんなときでも全力疾走を心がけた」からこそできた記録である。27メートル強の常に全力疾走の精神は今の阪神にも浸透し、それが粘り強い戦いとなってもいる。

 今年の交流戦が終わってちょっとした“けだるい疲労感”が残ったが、それがフシギに心地よかったのは、その金本イズムがどこかに浸透していたからではないか。

 それをキャップ阿部祐亮にいわせると「どこかに少しだが“達成感”もあって、すくなからず選手にも『俺たちは去年とは違うんだ』という実感があった」となる。

 つい1カ月もたたない5月24日の巨人戦で鳥谷が死球による「鼻骨骨折」。フェースガードをつけてまで出場し、糸井も福留も万全ではない状態で交流戦に突入したときの貯金が「8」で、終わってみると「10」と2つ増えている。ややわれわれの500円玉貯金のようだが、家族みんなで「無駄遣いはしないでいこう」というのに似ている。1泊2日が何百万円…という豪華列車の旅が話題になっているが「青春ナントカ切符」で近場で家族ワイワイガヤガヤってのも、いいではないか。

 要するに阿部祐亮が指摘したのは「この交流戦18試合の“猛虎青春切符の旅”は、確実に出発したときより成長したし、粘り強くなったし、若い連中がちょっぴりですが自信をつけた」のです。

 トラ番の長友孝輔は「福留さんも言われていましたが、みんなで糸井選手の分もカバーしよう…という気持ちが若い連中にみなぎっていた。それがチーム内に切磋琢磨(せっさたくま)を生んでいくチームになったんだと感じました、僕も…」と言う。

 この日は久しぶりの“休日”で、これから夏に向かって、つかの間のひと息だが、このけだるさを大切にしたい…。