尚美学園大学名誉教授の佐野慎輔氏(71)=産経新聞客員論説委員=が、長嶋茂雄さんとの思い出を記した。

ふいに、あの日のことが蘇った。1986年2月、報知新聞客員だった長嶋さんが高知でキャンプを張る西武ライオンズの宿舎を訪れ、新人の清原和博を指導した話である。あいさつもそこそこに、長嶋さんが声を掛けた。

「さあ、やろうか」

おずおずとバットを振りだす清原に鋭い視線が刺さる。他に室内にいるのは特別に立ち合いを許された日本テレビアナウンサー吉田填一郎さんと当時報知新聞の西武担当だった私、そしてカメラマン。西武の首脳陣もいない。球界の次代を担う逸材を「間近に見たい」長嶋さんの思いと「清原に中心打者の心構えを教えたい」西武の森祇晶新監督との思惑が一致した隠密指導であった。

椅子に座って清原のスイングを注視、耳を澄ませていた長嶋さんがやおら立ち上がる。バットを手にすると「いいか、こうだ」と自ら構え、振ってみせる。空気が震えた。

「ダッ」「ガッ」「パッ」。身ぶり手ぶりに擬音が混じる。次第に熱がこもり、鋭いスイング音が静謐(せいひつ)を切り裂いていく。

やがて「いいねえ、それそれ」という言葉で指導は終わった。頭を抱えたのは私である。擬音が飛び交う感性と感覚の指導を、どう記事にすればいいのか…。「わかった?」と聞くと、18歳はこくり、うなずいた。野球人にしかわからない心の会話だったか。

その夜、長嶋さんは森さんの依頼で選手たちに講演。自らの体験、考えを語った。雄弁な講演も感性の指導も、どちらも長嶋さんの野球の次代への熱い思いである。

その後、私は縁あって産経新聞に移り、再び長嶋さんに接したのは2012年秋。翌年はサンケイスポーツ東京発刊50周年にあたる。東京サンスポはまさに長嶋さんとともに歴史を紡いできた。ならば周年企画として長嶋さんに登場してもらわなければ。そうした思いが結実したのが『長嶋茂雄ドリーム・トレジャーズ・ブック』である。

長嶋家をはじめ、いろいろな方々のお力を借りてゆかりの品々を集めてコピー。トレジャー(宝物)として製作した最後が、長嶋さんのインタビューだった。

長嶋さんは病に倒れた後、現役選手のトレーニングを思わせるリハビリを続け、公的活動に復帰されている。なぜ過酷なリハビリをされるのか。なぜ不自由な体でも変わらず活動されるのか。ぶしつけと思いつつも聞いてみた。すると笑顔の答えが返ってきた。

「長嶋が頑張っていると、元気を出してくれる方もいらっしゃるでしょ…」

ああ、この人は常にファンを意識しているのかと改めて感じた。ついでに新人清原への指導、表現が難しかったと話したら「そんなこともありましたっけ、フフフ」と笑った。これもまた長嶋さんらしい話か、と思った。