74年前のきょう、47人が犠牲となった「長野空襲」を語り継ぐ集いが開かれ、長野市の88歳の男性が初めて体験を語りました。
終戦2日前、1945年8月13日の長野空襲では、長野駅の周辺や飛行場などがアメリカ軍の攻撃を受け、あわせて47人が死亡しました。
長野市で開かれた集いにはおよそ90人が参加し、はじめに黙とうを捧げて犠牲者を追悼しました。
今年は、当時、国鉄の長野工機部に勤務し、機関車の点検にあたっていた長野市の山口勝久さん88歳が、14歳のときに体験した空襲について初めて語りました。
山口さんは、「駅などが集中攻撃を受けて手の付けようがなく燃え上がり、帰ろうとしても敵の飛行機の音が近づき物陰に隠れながら防空壕に戻った」などと当時の状況を証言しました。
会場には、空襲で米軍機が撃った銃弾や破壊された建物の写真などが展示され、訪れた人が見入っていました。
主催者は、長野空襲を体験した人が少なくなる中、戦争を繰り返さないため証言を語り継いでいきたいとしています。