プロフィール
よしはら・まさひこ●1970年京都大学工学部卒業後、東洋工業(現マツダ)に技術者として入社。12年後に退社し、82年に広島大学医学部入学。同大学卒業後、大学医局勤務を経て95年に高原クリニック(大阪府茨木市)院長。2001年ダイナミクス設立。2002年東京都中央区日本橋に吉原内科クリニック開設。

レセコン・電子カルテ分野で異彩を放つ現役内科医社長

診療所、病院向けのレセプト・コンピュータや電子カルテシステムといえば大手が席巻する業界。
そのなかで異彩を放っているのがダイナミクスだ。
現役の内科医でもある吉原正彦社長が練り上げてきた戦略には、中小企業が大手と戦うための方法論が詰まっている。

 われわれの常識でははかりきれない異色の経営者である吉原正彦氏。1970年に京都大学工学部を卒業後、マツダに技術者として入社。が、仕事に物足りなさを感じつつ、12年におよぶサラリーマン生活に終止符。35歳で広島大学医学部に入り直す。当時、すでに結婚しており子供は3歳と0歳。普通なら二の足を踏む環境だ。
 吉原氏はこう述懐する。
 「あの時期を逃したら、子供が大きくなってきて、お金もかかるので転身は無理だったでしょうね。福山市(広島)にある妻の実家に子供をあずけ、単身赴任の形で大学に通いました」

回り道もムダではなかった
 41歳での〝遅咲き〟の医師となり、岡山大学医学部に入局したが、子供が高校、大学と進むにつれ、教育費などの負担が大きくなってくる。そのため、一念発起、大阪に出て、茨木市にある高原クリニックに雇われ院長として就任する。これも大きな賭けである。幸い、大阪の気風が性に合い、きめ細かな地域医療に専念。夜中の往診もいとわず、粘り強く患者の話を聞きながら対応する姿勢は、またたくまに地域の評判となっていった。
 吉原社長はもともとが技術者。コンピューターに関しても「少しはかじっていた」だけに興味があり、資金に余裕ができてきた頃にパソコンを購入。患者のデータ管理などに使おうと考えた。もちろんレセプト(診療報酬明細書:医療機関が健康保険などの報酬を公的機関に請求するために提出する書類)データも対象となる。「ウィンドウズ95」の時代だ。インターネット黎明期。吉原社長の先見性が分かる。それからまもなく、医師としての、あるいは経営者としての吉原氏に「人生の岐路」が訪れる。一見回り道をしたかのような人生に、彼をして「ムダなことは何もなかった」と言わしめることとなる。
 きっかけは唐突だった。
 「出入りのレセコン(レセプト・コンピューター)の業者がメンテナンスにきた時に、電子データの開示を要求しました。それを私のPCで管理しようと考えたのです。ところが答えは〝NO〟。腹が立ちましたね。あえてデータを非開示にすることで顧客を囲い込む戦略です。よし、それなら自前でレセコンを開発してやろうという意欲が湧いてきました」
 ここが、吉原社長のわれわれ凡百の民とは違うところ。通常、診療所の院長が、レセプトシステムを開発しようなどとは思わない。思ったとしても外注がせいぜいだろう。ところが、根っからの技術者魂を持つ吉原社長は、自ら学校に通い、プログラミングを学んだ。しかも忙しい診療の合間である。ベースとしたのはマイクロソフトの「アクセス」だった。診療のかたわらパソコンに向かい、開発に没頭した。1997年の9月にいよいよ実用化に成功。
 「そのころ、患者の診療情報を電子化する電子カルテが国の政策として話題になりはじめたころで、だったらそれも開発しようとちょこちょこっとやったらすぐにできてしまいました。レセコンと電子カルテ一体型のいまのシステムの原型が1998年にできあがったわけです」
 ためしに、その年の暮れ頃からインターネットで販売してみると、意外にもPCを使える医師から多くの反応があった。1年で100を超えるユーザーを獲得。電子カルテを作成すると自動的にレセプトが出てくるというシステムは当時はまだ珍しかったのである。 

四千ものユーザーを引きつける
 こんなエピソードもある。
 1999年、ある大手新聞に、吉原社長のつくったシステムとほぼ同じ機能を持つベンチャー企業の製品の記事が載った。そこで「そんなものはとっくの昔につくって販売している」と吉原氏が伝えると、早速、記事になったという。21世紀を迎え、販売とサポートを委託する大手代理店にも恵まれ、飛躍の時代を迎える。売り切りではなく、初期導入費20万円、月額使用料1万円というビジネスモデルも受けた。他社の売り切り型のシステムに比べ、イニシャルコストを5分の1程度に抑えることができるというのだから、経営にそれほどの余裕がない小規模診療所にとってはありがたい製品である。
 2001年には有限会社ダイナミクスを設立。その頃から相談に乗っていたのが、事務所がほど近くにあった藤井信行税理士だ。
 「会社の設立とその後の財務管理のお手伝いをしてきましたが、当時から吉原社長のやろうとされているビジネスは、システムの有用性とマーケット(医療業界)の安定性を考えると、必ず将来ブレークすると信じていました」(藤井税理士)
 吉原社長はこう返す。
 「藤井先生には、『獲得した収益から税金を払い、キャッシュを残すことが重要です。節税対策云々(うんぬん)で資金を固定化することなく、手元に置いた現金が行動を加速させるのです』と教わりました」
 その後のダイナミクスの発展は、この考え方に負うところが大きい。政府の方針だったレセプトデータの電算化(電送)にいち早く対応したり、代理店任せの営業から、直販体制への切り替え、さらにはユーザーサポート部門も自社で構築し、真にオールインワン体制となってユーザーの利便性と収益の向上につなげることができたのも、資金に余裕があったおかげだと吉原社長は強調する。
 結果として、診療所の医師にすぎなかった吉原社長が、数々の大手メーカーを向こうに回して、最盛期には診療所向け電子カルテ・レセコンシステムとして1割のシェアを持つ(現在は7%程度)ほどのビジネスを築き上げた。約4000のユーザーを抱えるまでに成長した要因は何だったのか。

みんなで創り上げたシステム
 一言で言えば「診療所の医師がつくり、同じく医師が使いながら、現場感覚を大事にして常に改良を重ねてきたから……」ということになるだろう。つまり、ビジネスありきではなく、みんなで廉価なシステムを共有しながら育てていこうという意識である。たとえば、不具合情報も含めた情報の提供と共有はインターネットを通じ、メーリングリストやSNSで行われている。結果として医者にも患者にもわかりやすく加工され、診療机から常に参照・入力・印刷ができるシステムが可能になった。
 これら使い勝手の良さを担保しているのが、ユーザー会「ダイナミクス研究会」の存在だ。東京・大阪を始め、全国各地に拠点を置いてユーザーが勉強会(研究会)を開催。また毎年、全国大会が持ち回りで開かれている。「多彩な活動をユーザーとともに行っているのがダイナミクスの最大の特徴」という吉原社長。
 たとえばユーザーが自身のクリニックの見学を受け入れて、ダイナミクスの運用やカスタマイズの実際についてデモンストレーションを行ったり、クリニックスタート時に必要なデータを提供したり、あるいは、チューターとしてセミナーでシステム運用や開業ノウハウを話したりという活動、交流が日常的に行われている。また、書籍の出版や学会への発表などもダイナミクス研究会の医師たちが主導するなど、まさに、ダイナミクスというシステムをコアにした「会員組織」といえるだろう。
 さて、70歳を迎えた吉原社長にとって事業承継も課題となってきた。そこで1年半前、前出の藤井顧問税理士の指導のもと、新たに設立した持株会社に自身の全株式を売却した。「吉原社長には多額の譲渡所得が発生しますが、それによって今後の利益の蓄積による相続税負担の不安から解放されます」(藤井税理士)
 相続対策と事業承継という二つの難題を理想的な形で解決したダイナミクス。今後もボトムアップの製品開発に資源を集中し、大手とは一線を画したスタイルで発展を遂げていくのか。注目である。

株式会社ダイナミクス
●設 立 2001年2月
●所在地 東京都中央区日本橋箱崎町12-2
●売上高 5億3000万円
●社員数 東京14名、大阪2名、札幌12名
●HP ダイナミクス 検索