ふじなわ・しゅうへい
1979年、兵庫県生まれ。2002年、日興商会入社。2008年、取締役経営企画室兼印刷工場担当。2010年、取締役経営企画室室長。2011年、取締役副社長。2016年、代表取締役社長に就任。

父から伝えられた数々の金言を胸に生産性向上と「いい会社」実現目指す

1946年の創業以来、オフィス用品の総合商社として文房具やOA機器・オフィス家具の販売、印刷事業などを展開する日興商会(本社・兵庫県尼崎市)。2016年6月から、3代目の藤縄修平社長による新体制がスタートした。経営理念を継承しつつ収益構造の見直しに挑む新社長の心には、先代が遺した数々の言葉が強く刻まれている。

 日興商会社内報「ハート&アクション」の2018年春号の巻頭には、1月3日に逝去した故藤縄健一氏の追悼記事が並んだ。1979年から37年間社長を務め、尼崎商工会議所副会頭を7期歴任するなど地元経済界にも大きく貢献した父親をしのび、3代目の藤縄修平社長は次のように記した。
 「会長職に就かれていたとはいえ日興商会の現役の大黒柱であり、大きな大きな存在を失ってしまいました。まずは会長が存命の時と変わらぬ会社運営(仕入れ先や金融機関との関係性)を継続することを最優先として活動を進めてまいります」
 藤縄社長のメッセージは、書き入れ時の3月の目標達成に向け全社員に奮起を促して締めくくっている。「結果を残し、それを会長への弔いにするとともに、私たち自身のためにこの3月戦線を成功させよう!」と。その際藤縄社長は、「みなさんの力を貸してください」と全社員が一致団結する重要性を訴えている。父がなにより「人の和」の精神を大切にしていたことをあらためて思い返したからだ。父から子へ、理念は確実に受け継がれている。

50年続く「NIKKOフェア」
 多忙な父と家で顔を合わせる時間は少なかった。仕事の話をすることもめったになく、家業の内容を何となく理解したのは小学校高学年のときだという。
 「幼少期に父と一緒に遊んだ記憶は家の前で1回か2回キャッチボールした程度。父がPTA会長を務めていた時、行事で使う文房具の粗品を提供したことがありました。そのときはじめて『うちの会社は文房具を売ってるんや』と理解した記憶があります」
 藤縄社長は3人きょうだいの末っ子。高校生のときまで門限6時、アルバイト禁止としつけは厳しかったが、事業承継を匂わせるような話をされたことは一度もなく、比較的自由な青少年期を送ったという。大学3年生のとき、「友達を連れてNIKKOフェアを見にこないか」と誘われ会場に足を運んだときも、将来社長を継ぐことになるとは夢にも思わなかった。
「有名な企業が数多くブースを出していたので『でかい展示会やなあ』と感心したのを覚えています。そのときは、日興商会はフェアに出展している会社の1社にすぎないと思っていました(笑)」
 NIKKOフェアとは、同社の顧客やパートナー企業などを招待して毎年2月、2日間にわたり開催している同社主催の展示会。仕入れ先商品の紹介や著名人の講演会・各種セミナー、本社印刷工場の見学会などを複数の会場で行う。52回目を迎えた今年も約6700名の参加者を集め盛大に開かれた。藤縄社長は、同フェアを1960年代から続けている会社の底力を入社してから知った。
 「入社してはじめてこの会社がNIKKOフェアを主催しているのを知りびっくりしました。社員もたくさんいるしでかい会社やなと。1年目は開設間もない東京・品川支店に配属され、先輩や上司からは単なる新入社員、一兵卒として鍛えてもらいました。立ち上がって5年の新しい部署だったので同年代の若手も多く、公私ともに楽しい時間でしたね」

出向先で会計の基礎知識学ぶ
 2年間の東京勤務の後は尼崎の本社印刷工場に勤務。印刷事業の現場を一通り学んだ後は本社の仕入部、経営企画室と順調に経験を積んでいったが、その後の配属先が珍しい。同社社外取締役の荒巻政文氏が経営する税理士荒巻政文事務所への出向である。この人事の意図について藤縄社長はこう推察する。
 「父の口癖は、『37年間社長をやっていてお金に困ったことはない』でした。確かに会社の業績は右肩上がりに成長してきたこともあり財務体質は健全でした。しかしバブル崩壊から2008年のリーマンショック、ネット通販の普及など事業をめぐる環境が激変するなか、お金に困ったことがないという点が逆に弱みになってくると考えたのでしょう。外部企業での勤務経験を積ませるとともに、会計の基礎を学ばせようとしたのだと思います」
 同事務所で藤縄社長は、経営者に必要な会計の基礎知識を一から習得した。同社は事務用品部門、オフィス家具部門、OA機器部門、印刷部門の主要4部門で事業を構成しており、各事業の収益構造の変化に目を配りながら全体最適を目指さなければならない。それぞれの部門における売り上げと費用のバランスをいかにとるか――経営のかじ取りに必要な基本中の基本を、会計の専門家から直接学ぶことができたのである。さらに藤縄社長は次の二つの経験が大きな礎になったと語る。
 「一つは荒巻事務所を訪問する当社社員の営業活動を実際に見ることができたこと。当社の営業活動の良い点?悪い点を客観的に見ることができたのは非常に参考になりました。二つ目は、会計事務所でさまざまな企業の財務書類を見たことで業種ごとの収益構造の違いを頭に入れることができたこと。文房具やオフィス用品を提供している当社は、会計事務所と同様に得意先が一定の業種に偏るということはありませんが、経営判断を下す際に、業界ごとの特徴を考慮に入れるようになりました」
 荒巻事務所に在籍したのは約10カ月。その後、入社7年目の29歳の時、長年印刷工場を統括していた常務が急逝したため、工場担当役員に昇格。部下200人のトップを任されることになった。藤縄社長は早速、入稿からデザイン、印刷、製本と各工程の部署による縦割りの弊害が出始めていた組織の意識改革に取りかかる。無駄な残業は発生していないか、各工程でボトルネックは生じていないか、生産性を高めるためにすぐできることはないか――こうした現場の課題について、部課長クラスのマネジメント層だけでなく、ラインの現場スタッフも巻き込んだ部署横断的な「ラインミーティング」を新設し、社員一人一人が自発的に業務改善に参加する意識を植え付けようとしたのである。しかし藤縄社長は、ここで初めてマネジメントする側の真の苦労を体験する。
 「思い通りに人は動かないもんやということを嫌と言うほど思い知りました。役職者ミーティングで『がんばってやっていこう』と指示を出しても、その場は『はい、分かりました』となります。しかししばらくたってから進捗状況を聞くと『まだちょっと……』、日がたってもう1回尋ねると『いや実は、できへんねん』と。万事がこの繰り返しで一向に物事が前に進みませんでした」
 この苦境を救ったのが、父からかけてもらった「仕事は気を合わせてやるもんや」「やってもらわなあかん目標を部下にやらせるのがトップの仕事。その手段は何でもええ」という二つのアドバイスだった。人間だから好き嫌いはある、人それぞれ得意なことも違う。個性の異なる十人十色の人材をとりまとめて、同じ目標に向かせることができなければプロジェクトは絶対に成功しない。そして同じ方向を向かせるための手段を考えるのが経営者の仕事なのだ、と。アドバイスを参考に藤縄社長は、それまでナンバー2、ナンバー3の役職に就いていた社員に事前に根回しをしてから事を運ぶように手法をあらためた。すると人間関係は徐々にスムーズにいくようになり、藤縄社長の思いも次第に大勢に伝わっていく。
 自ら考え実行する力を求める社長の期待に呼応するように若い社員の意識も変わりはじめた。管理職だけが参加していたNIKKOフェア当日の工場見学会などの企画運営にも、積極的に携わるようになっていったのである。こうした意識改革の変化が、データ入稿から印刷までの各工程の進捗状況をリアルタイムで管理できる管理ツールの導入につながっていった。

はんこが丸い理由
 平成23年、31歳で副社長に就任した。名実ともに藤縄社長が後継者であることを表明した人事である。仕入れ先との交渉や人事考課などの高度な意思決定を下す場面が増え、会長から含蓄のある言葉をかけられる機会も増えていく。藤縄社長が鮮明に記憶しているいくつかのフレーズを紹介しよう。
 「人事は清一色(チンイツ)ではなく、混一色(ホンイツ)でなければならい」
 清一色とはマージャンの役の一種で、すべて同じ種類の数牌でそろえる。一方混一色は、同じ種類の数牌に加え必ず字牌の面子(メンツ)を入れなければならない。すなわち、トップの言いなりになるイエスマンだけで周りを固めてはいけない、たとえ苦手な人物でも、自分にとって腹が立つことをたびたび言う人間でも、会社にとって必要な人材は公平に登用しなければならないという意味である。
 「51%を意識せよ」 
 最初から100%の人間の心を動かすのはどだい無理である。キーマンをしっかりおさえ、半分以上の人間に理解してもらうことを意識して合意形成を目指すべきである。そうすればいずれは7〜8割に納得してもらえるはずだ。
 「仕入れ先は最大のパートナー」
 日興商会は商社である。どれだけ良い顧客を持っていたとしても、売るものがなければ商売にならない。だから仕入れ先に対して絶対に横柄な態度をとってはいけない。仮に社員がそうした態度をとった場合には、社長自ら謝罪に出向くくらいの気持ちが必要である。
 「はんこが丸い理由を考えろ」
 書類に押印する際は、上下を間違えないために必ず印面を確認する。このときに「ほんまに押してええんか」と考えることが大切である。経営者の決断は、最後の最後まで気を抜いてはいけない。

「働き方改革」が追い風に
 2016年6月、新営業期から社長に就任した。世はEコマース全盛の時代だが、新社長は、「FacetoFace」の訪問営業を基盤としたビジネスモデルを今まで通り維持していくことを早々に決断する。「ベンチャーや新規参入が当社のような手法をとらないのは、必要がないからではなく、まねができないからだ」と判断したからだ。とはいえ消耗品ビジネスを大幅に拡大していくことも難しい。営業員のコミュニケーションを介して商売を進めていく手法が最大限発揮できる商材を戦略的に伸ばしていかなければならない。同社の場合、それはオフィス家具だった。
 「働き方改革が大きなテーマになるなか、働く空間をいかに快適なものにしていくかにお客さまの関心が高まっています。そうしたトレンドが追い風になり、ニーズをいち早くつかんで提案したオフィス家具の販売が大きく伸びており、同部門の売上高は2年前に過去最高、今期はそれ以上の実績を見込んでいます。数年前から人員も増強、今後3年で売上高を1・3倍まで増やす計画です」
 販売個数は堅調に推移しているものの単価の落ち込みが激しい0A機器部門は、収益改善を大きく掲げ「理由のない安売りをしない」ことを徹底。決済ルールの変更や運用ルールの見直し、部門収益の完全ディスクロージャーなどによって、社員ひとりひとりが常に利益を念頭に置いた営業活動ができる環境整備に注力している。
 こうした個別の施策を通じ、「5年ほどかけて会社全体の収益構造を見直していきたい」と意気込む藤縄社長。最後に今後の目標を聞いた。
 「まず量の経営ではなく質の経営を目指すこと。それは必然的に、固定費の増加率よりも粗利益の増加率が上回る経営、つまり1人当たりの生産性アップを実現することです。二つ目の目標は、『いい会社』になること。第78期の経営計画で私は、いい会社の定義を『社員同士が互いに尊重し合っている』『自己の知識、能力向上に努めている』『お客さまの役に立ち、認められている』『社員とその家族が笑顔でいる』『いい会社だと言ってもらえる』と定めました。地域の人から『日興商会に勤められてうらやましい』と言われるような会社を目指したいですね」

沿革
1946年 兵庫県尼崎市で日興商会を創業
1962年 第1号支店となる千里丘支店(現大阪北支店)を開設
1969年 本社新社屋、印刷工場完成
1980年 尼崎市西長洲に本社印刷工場完成
1986年 印刷工場増築完成 
1987年 売上高100億円達成
1988年 第1次コンピュータシステムを導入全社オンライン完成
1989年 CIを導入
1990年 鳥取印刷工場(ビジネスフォーム専用鳥取印刷工場)完成
1993年 物流センター完成 
     第2次コンピュータシステム「NOEL(ノエル)」稼働
1995年 東京支店開設
1997年 売上高200億円達成品川支店開設
2000年 名古屋支店開設 ISO9002認証取得(本社印刷工場)
2001年 ISO14001認証取得(本社オフィス)
2003年 ISO9001認証取得(本社印刷工場)
2004年 新宿支店開設
2016年 創業70周年

株式会社日興商会
創 業 1946年11月
所在地 兵庫県尼崎市東難波町5-10-30
売上高 約200億円
社員数 約650名
URL https://nikko.bunguclub.co.jp/