にしぐち・かずき
1990年大阪大学経済学部卒業後、P&Gジャパンに入社。2006年ロート製薬に入社、執行役員マーケティング本部長としてスキンケア商品の「肌ラボ」を販売数量日本一の化粧水に育成。2015年ロクシタンジャポン代表取締役に就任、翌年のロクシタングループ過去最高利益達成に貢献する。2017年にスマートニュースに参画。2019年現在スマートニュース日本およびアメリカのマーケティング担当・執行役員。 Strategy Partners 代表取締役。

たった一人の分析で始める
顧客起点マーケティングの威力

ビッグデータの活用やデジタルマーケティングを導入しなくても、たった一人の顧客を深く知ることで人を動かす強い企画が生み出せる――。化粧品やニュースアプリの世界で圧倒的な成果を出してきたトップマーケターに、顧客起点のマーケティングで必要な考え方について聞いた。

――大がかりなリサーチが不要な「顧客起点マーケティング」の有効性を強調されています。
西口 まず経営者がすべきことは、自社の「プロダクトアイデア」は何であるかということ、すなわち自社が提供しているサービスや製品が本来持っている「独自性」と顧客が喜ぶ理由となる「便益」が何かということを突き詰めることです(図表1参照)。そのためには、会社にとって一番の起点となり、ずっと軸にしていかなければならないロイヤル顧客を徹底的に分析しなければなりません。この軸からブレないことが重要です。中小企業の経営者から「どうリサーチしたらいいのか」などと相談をもちかけられることもありますが、その際だいたいは「リサーチなんか基本しない方がいい」と答えています。
――それが会社にとって重要な顧客を徹底的に分析する「N1」分析の方法というわけですね。
西口 その通りです。どちらかというとこの話は、中小企業の経営者の方がすっと胸に入ってくるかもしれません。特に自ら会社を立ち上げた経営者は、売り上げを上げるのに腐心した経験があるはずです。自社の商品やサービスの独自性・価値・便益がどこにあるのか、競合他社より強いところはどこか、ターゲットとする顧客層はどこかなど、創業者や開発者が悩みに悩んだ末に消費者に認められてきたわけですから、そのようなプロダクトアイデアを知り尽くしているのはある意味当然です。しかし、会社の規模が大きくなり、社長が現場を離れるようになると問題が発生します。当初のプロダクトアイデアが明文化されていなかったがゆえに、次第に売ること自体が目的になってしまうのです。そして「今月何がなんでもあと10件の新規契約が必要だから、少し割引しよう」というありがちなパターンに陥ってしまう。こうした施策で獲得した一過性の顧客は結局短期で離脱してしまいます。プロダクトアイデアの本質が伝え切れていないからです。値段や人間関係、営業スタッフの押しの強さで売ってしまうんですね。
――そこでマーケティングの悩みが生じてくるのですね。
西口 一過性の顧客が増えると、どうしても売り上げが頭打ちになってしまうので、経営者は「どうしたらいいんだろう」とあわてて雑誌などを読んで勉強します。ビッグデータ、マーケティングアナリティクス、オートメーション、カスタマーサクセス……現在では本当にさまざまなコンセプトでビジネス向けツールが提供されています(図表2)。しかしそれらのツールを付け焼き刃で導入しても決してうまくいかないでしょう。特に中小企業は基本的に、もともとどういう顧客に何を提供すればよいのか知っていたはずです。そこをもう一度突き詰めることから始めなければならないと思います。それはそんなに難しいことではありません。

重要顧客に直接インタビュー
――具体的にはどうしたらよいでしょうか。
西口 経営者自身が十分な時間をとって直接インタビューするのがベストですが、 営業社員にその会社にとって最も需要な顧客、すなわちロイヤル顧客について詳細に聞くのが一番手っ取り早いでしょう。商品・サービスの存在を知ったきっかけや、それを使い続ける理由などについてじっくりとヒアリングを重ねれば自社製品・サービスの強みがあらためて見えてきて、おのずとソリューションが浮かんでくるはずです。顧客起点で自社製品の強みを再認識できるので、現時点でほかにそれを必要としている人たちがどんな人たちなのか仮説を立てることが可能になるからです。つまり具体的な営業先やコミュニケーションを強化すべき分野を絞り込むことができるのです。
 もちろん会社によってはロイヤルユーザーがいないということもあるでしょう。そうした場合は、ロイヤルユーザーを育成できるようなプロダクトアイデア、商品やサービスの企画を練り直すという戦略をとることになります。ロイヤル顧客と同じように思ってもらえる潜在的な顧客がどこにどれくらい居るかということは、数字による分析をしなくてもある程度はN1分析で把握することができるのです。
――いわゆる「カスタマージャーニー(※)ー(※)」と呼ばれている手法でしょうか。
西口 はい。しかしいま流行しているカスタマージャーニーは、十中八九使い物になりません。たいてい数人が集まって合宿したり会議したりしてホワイトボードや用紙に書き出し、ああでもないこうでもないと議論するのですが、その瞬間カスタマーは実在しない平均値の架空の存在になってしまうのです。カスタマージャーニーで重要なのは、本当に具体的な名前のある人の実際の歴史、生活や仕事のなかで商品やサービスとの出会いと使用を位置づけて明示していくことです。経験値でいうと、カスタマージャーニーを3人の営業社員で造り上げた場合には相当精度が低くなり、結構な割合で失敗します。一方1人を突き詰めてつくったカスタマージャーニーは業績向上に必ずといっていいほど貢献します。
――ヒアリングの内容についてもう少し詳しく教えてください。
西口 必ず確認したいのは、商品やサービスを認知したきっかけ、それを購入するに至った理由、ビジネスや生活の場で具体的にどのように役立てているのか、ずっと使い続けている理由、他社ではなくてなぜこの商品でなくてはだめなのかなどです。ここで重要なのは顧客の生活の理解からスタートする視点。どのような仕事に就いて、どんな勉強をしているのか、趣味は何か、家族の構成、友人との時間の過ごし方、人生観――そうした生活全体のなかで商品やサービスをどう顧客が使い、その結果何が起こり、何を良いと思っているのかをひもとくことを意識してください。注意すべきなのは、「当社の商品やサービスはどうですか」と聞くのは避けること。この問いかけでは、認知したきっかけや使い始めた理由、継続利用している原因などが見えなくなってしまうからです。顧客自身が本当に心動かされた場面はどこなのかを突き止めることが最も大切です。
――N1分析はロイヤル顧客だけでよいのでしょうか。
西口 次にヒアリングすべきは、離脱した層とロイヤル顧客までいかない一般顧客の層です。この二つの層の分析ができれば、ロイヤル化する理由と離脱する理由がだいたい見えてくるからです。離脱防止策の検討はもちろん、どうしても離脱してしまう層に対しては、全く異なるプロダクトやサービスを開発する動機になります。
 そしてさらに、その商品やサービスを知っていてもまだ購買に至っていない層でも調査を行ってください。何をきっかけに顧客になったかの理由が見えてきます。漫然とN1インタビューするのではなく、ロイヤル顧客、一般顧客、離反顧客、会社を知ってはいるが購買に至っていない層、そもそも認知をしていない人たちの五つのどこの層に属しているかを念頭におきながらインタビューすることが重要です(図表3、4)。

店長20人に面談し実態つかむ
――具体例を紹介してください。
西口 私はかつて、利益率が下がっていたロクシタンジャポン(化粧品等販売)を再生させるために代表を務めていたことがありますが、その時突破口になったのは、極めて簡単なことでした。就任後にまず店長20人に会って、直接ヒアリングをしたのです。先ほど挙げた「どういう人が自社製品を買っているのか」「どんな人がロイヤル顧客になっているのか」「そのロイヤル顧客はどんなライフスタイルなのか」をとことん突き止めていった結果、ほぼ100%のロイヤル顧客が最初はギフト用で買う目的で来店、もしくは誰かから贈り物として受け取っていたことが分かりました。さらに面白いことに、その後1年、2年、3年と継続的な購入につながった顧客について調べたところ、7割以上がスキンケア商品を使い始めていたことが分かったのです。ロクシタンの定番商品といえばやはりハンドクリームやボディソープ、せっけんなど。売り手側としてもそれらは売りやすい商品でしたが、ロイヤルティーにはつながりにくかったのです。
 スキンケア商品は定期的に使うものなので頻度の多い人は毎月、そうでない人でも2〜3カ月に1度は来店してもらえるようになります。そういう構造が見えてきたので、マーケティング施策のみならず、店舗のオペレーションもがらりと変えました。新規顧客はまずギフト用をアピールして来店につなげ、来店客にはすぐにスキンケア商品を提案し、実際にテストしてもらい感想を聞くことを徹底したのです。その結果見事にロイヤル顧客の拡大が実現し、利益率の回復に成功しました。ロクシタンは何百億円という売り上げがある規模の会社ですから、もちろん本格的なリサーチも行いましたが、店長へのヒアリングから導き出したものと全く同じ結果になりました。N1分析の優れた特徴を表していると思います。
――本格的なマーケティングリサーチの結論も、リピート率を高めることの重要性を示したということですね。
西口 本当に大切なのは、一般顧客がロイヤル顧客になる最初のきっかけについて原因と結果の分析をすることです。それは何もビッグデータなどなくても、顧客台帳をもとに適切なロイヤル顧客を選択してじっくりインタビューすれば事足ります。一番の問題は営業部門で「今年の目標は対前年比20%」などといった数字での目標を掲げてしまうこと。これでは完全に顧客不在になってしまいます。次は絶対に買わない、すぐに使わなくなる顧客でも、一度売ってしまえば売り上げは売り上げですからね。経営ではとかく売り上げと利益、投資費用対効果、もしくは契約人数だけが評価されがちですが、顧客起点の視点に立てば、ロイヤル化する顧客を育て、その人数を何人増やしたかを評価の対象とすべきなのかもしれません。

行動の裏側の心理を洞察せよ
――特定の顧客の体験を一般化することに合理性はありますか。
西口 よく「たった1人の成功事例から全体の戦略を決めるのは間違いではないか」と指摘されます。しかしよく考えてみてください。1人に「すごく良い」と感じてもらえた成功パターンが見えれば、同じ勝ちパターンに入ってもらえる顧客が潜在的に何百人、何千人、何万人いることは間違いありません。なぜならたった1人にしか効かない体験やコミュニケーションは存在しないからです。投資の観点から気になるのは、同じ成功パターンに入る潜在顧客が何人いるかということですが、まずは小さいスケールでテストをするのが良いと思います。営業方針やコミュニケーション方法の変更など少額の予算でできることから行い、手応えがあれば拡大していけばよいのです。
――顧客起点マーケティングでは人間の心にいかに共感できるかがポイントになりますね。
西口 そうですね。顧客の行動の裏側にある心理変化を洞察する視点が非常に重要になってくると思います。洞察力はトレーニングすることもできますが、人間にはそもそも共感する能力が備わっているもの。取引先とごはんを食べにいく時間があるくらいなら、ぜひ顧客と会う機会を増やしてください。共感する能力をもっと磨くことができるでしょう(図表5)。
 データマーケティングやデジタルマーケティングの落とし穴は、数字で統計学的にすべて処理するところにあります。A施策とB施策をテストしてAが勝った場合、Aを選びますが、ここには決定的な問題があります。なぜAがうまくいき、Bがうまくいかなかったかを顧客ベースで考えなくなるのです。Bがうまくいかなかった理由を理解することで、未知のCというさらに素晴らしい打ち手を発見できたかもしれません。
 その後AのパターンをA1とA2に分けてまたテストし、A2が勝ったのでA2を実行するとします。しばらくすると業績が落ちてくるので今度はA3とA4を用意しますが、最初のA2には勝てません。結局C案やD案といった別の施策を考え出すことになります。何を言いたいかというと、代替案が思いつきによって決まってしまうおそれがあるのです。一方、きちんと心理面まで掘り下げて考えた仮説は精度が高くなる。なぜなら人間の心に根ざし、生活や人生のなかに製品やサービスを位置づけた案だからです。確かにデータマーケティングは有効です。しかしそこにソリューションはありません。あくまで何かを考えるきっかけにすぎないのです。