いまだに厚い支持・人気のあるNHK大河ドラマ『西郷どん』の主人公、西郷隆盛らが直面していくのが西南戦争です。その西南戦争の際、西郷隆盛も新政府軍も苦しめたのが約270年前に加藤清正によって造られた「熊本城」であり、「田原坂」だったのをご存知でしょうか? 

日本が近代国家へと歩みはじめた明治時代。長く続いた身分制度が解体され、士族は特権を失ってしまいます。不満を爆発させる士族に押され西郷隆盛は立ち上がり、西南戦争がはじまります。西南戦争で西郷隆盛は、加藤清正によって築かれた熊本城を攻略できませんでした。対する新政府軍も加藤清正が造った軍事拠点・田原坂の攻略に苦心しました。今回は、西南戦争で両軍を苦しめた、加藤清正の熊本城防衛の工夫についてご紹介します。 

築城の名手・加藤清正が築いた熊本城
熊本地震からの復興のシンボルとして最優先に復旧が進められている熊本城の天守。熊本城は、大天守、小天守に加え、宇土櫓や飯田丸五階櫓など、ほかの城であれば天守に匹敵する巨大な櫓を構え、鉄壁の守りを敷いていました。その土台となる石垣は「武者返し」とも呼ばれ、高さ20mにも達する高石垣。一見すると登れそうにも思えますが、下部から緩やかにカーブを描き、垂直に近い勾配になる積み方で上に向かうほど反り返りが激しくなっているため、実際には登ることができません。誰よりも城の防御面に神経を配った、加藤清正の性格が出ていると考えられています。

明治10年(1877)西郷隆盛を中心とする薩摩軍が、熊本城に籠る新政府軍を攻めますが、戦国時代の要塞のような堅固な守りに阻まれ攻略できませんでした。この時、西郷隆盛は「わしは官軍に負けたのではなく、清正公に負けたのだ」と語ったと伝えられています。