日本における城郭発展の歴史
以上をふまえた上で、城の発展をおさらいしてみましょう。

城の始まりといわれるのが、吉野ケ里遺跡(佐賀県)に代表される、集落の周りに堀や塀をめぐらせた弥生時代の環濠集落。そして白村江の戦いによって倭国防衛の意識が高まると、北九州や瀬戸内海沿岸の山の上に鬼ノ城のような古代山城(朝鮮式山城)が登場します。

また平安時代の東北地方には、大和政権が蝦夷を統治するために城柵(じょうさく)を築いています。多賀城(宮城県)は政庁機能もあわせ持っていました。

鎌倉時代、山と海に囲まれ7つの切り通しを砦とした鎌倉(神奈川県)は、都市自体が「鎌倉城」と呼ばれましたし、御家人の居館や室町時代の守護が任地に築いた方形館は、土塁や堀に囲まれた城館でした。

また、福岡県の博多湾沿岸に蒙古襲来に備えて築かれた石造りの元寇防塁も城の一種とされます。

全国で争乱が多発した南北朝時代には、各地の急峻な山の上に爆発的な数の中世山城が築かれました。

そして戦国時代、山麓の居館とセットになった山城が築かれるようになり、織田信長の安土城(滋賀県)以降、石垣・建築技術が急速に発展して丘や平地に城下町とセットになった近世城郭が各地に築かれていきます。町ごと堀で囲んだ惣構の城は、城下町も城の範囲に含まれることになります。