江戸時代、江戸幕府の中枢として数々の歴史的事件の舞台となった江戸城は、どのような経緯をたどって今の姿になったのか? その華麗なる歴史をご紹介します。

徳川将軍家の居城だった皇居
東京の街なかに位置する皇居。天皇の住まいである御所、諸々の行事を行う宮殿、宮内庁関係の庁舎などの建物があります。皇居の正門にあたる西の丸大手門に続く二重橋は、いまや外国人観光客にも大人気の撮影スポットです。

ところで「西の丸大手門」って、まるで城門のような名前だと思いませんか? しかも門の奥に見えるのは「伏見櫓」という建物。・・・そうなのです。これらは紛れもない城の建造物です。

つまり、皇居=お城ということ。「そんなこと当たり前!」という読者も多いと思いますが、実はこのことを意外に知らない人も多いのです。ということであらためて・・・皇居がある所は、かつての「江戸城」そのものなのです。今回は、江戸城誕生から皇居となるまでの歴史を見直してみましょう。

江戸城を最初に築いたのは、室町時代の武将・太田道灌。当時関東地方各所に割拠していた上杉家のひとつである扇谷(おうぎがやつ)上杉家の家臣で、兵法にも和漢の学問にも、また和歌にも造詣が深かった人だといいます。

居館程度の規模だった所に、康正(こうしょう)3年(1457)、三重構造の土の城を築きました。桜や紅葉の時期に公開されることのある「道灌壕」は、この人の時代の遺構といわれています。また、荒川区西日暮里の「道灌山」は、道灌の出城があった場所だという説があります。

道灌は上杉家の内紛によって殺害されてしまいますが、その後は上杉氏、後北条氏の支配下となります。そして天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻めの時に明け渡され、後北条氏の旧領を任された徳川家康が、駿府城(静岡県)から江戸城に移ってきます。