星形要塞は滅び行く江戸幕府のあだ花だった!?
五稜郭はよく、「洋式城郭」「洋式築城法」という用語で説明されます。その言葉通り、五稜郭の城の様式はヨーロッパから伝わったものでした。ヨーロッパで星形要塞が誕生するのは16世紀頃(日本では室町〜戦国時代の頃)。

その頃ヨーロッパでは合戦に大砲が用いられはじめます。高い城壁は大砲によって打ち壊されてしまい、さらに塔などの高層建造物は的になってしまうので、城壁は低く全面に土塁と水堀を持つ構造となり、高い建物の建築は抑えられます。

ただし、城の守りは高低差を利用するのが基本。山城も天守も基本的には高所に築かれ、より低い場所から攻め寄せる敵に対して有利になるように築かれています。

大砲に対抗するために城壁や塔など〝高さ〟というアドバンテージを失ったヨーロッパの城はどうなったか。ここで登場するのが星形なわけです。城のフォルムを星形やダイヤモンド形のように〝トゲトゲ〟にすることで、守備側から見たときの死角を一切なくしました。

このトゲトゲの部分は「稜堡」と呼ばれ、星形要塞は「稜堡式要塞(稜堡式城郭)」とも呼ばれます。稜堡式は長い間ヨーロッパの主流となり、幕末に西欧列強への対抗手段を迫られた幕府首脳は、「ならば西欧で築かれている稜堡式城郭を採用しよう」と五稜郭を築いたのでした。

しかし幕末のこの時点で、稜堡式城郭はすでに時代遅れな軍事様式でした。射程距離も長くなり、威力も段違いに高くなった大砲に対して、もはや有効な防御施設ではなかったのです。