本能寺の変で織田信長を討った明智光秀。知名度は抜群な戦国武将ですが、実は信長に仕えるまでの前半生がよくわかっていなかったり、本能寺の変を起こした動機にも様々な説がささやかれるなど、謎に包まれた人物でもあるのをご存知ですか? 今回は、2020年の大河ドラマも控えるなど、今一番アツい戦国武将・明智光秀についてご紹介します。

よく分かっていない明智光秀が織田信長に仕えるまでの前半生
2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀を主人公にした『麒麟がくる』。明智光秀といえば「本能寺の変」とセットで語られることが多く、光秀の知名度は高い。

手に入れた地位や権力をすぐに失ってしまうことを指す「三日天下」の故事は、光秀が本能寺の変で織田信長を討ち、天下を奪ったがすぐさま豊臣秀吉に敗北したことから生まれたものだ。他にも、「天王山」「洞ヶ峠を決め込む」など光秀由来の故事は有名なものが多い。

なぜ、光秀は本能寺の変を起こしたのか? ドラマや小説でも取り上げられることが多いこのネタは、怨恨説、野望説、黒幕説など諸説ささやかれているものの決定的な証拠は見つかっていない。また、光秀が信長に仕える前、前半生についても史料はほとんど残っておらず、光秀の生まれ年もはっきりしていない。

本能寺の変の時点で55歳とする1528年生まれという説が有力だが、それよりも年上とする1516年生まれ説、年下とする1540年生まれ説などがあり、大河ドラマでは光秀の前半生をどう描くのかが注目される。

そんな光秀の名前が史料に初登場するのは、城にまつわること、というのはご存知だろうか。それは、1566年10月以前に田中城(滋賀県高島市)で籠城していたとする記録だ。

13代将軍の足利義輝(あしかがよしてる)に命じられて田中城に派遣されたのではないかと指摘されているものの、詳しい状況は判明していない。ちなみにこの田中城は、信長、秀吉、家康に仕え、大名となった田中吉政(たなかよしまさ)の先祖が築いたとされる城である。

岐阜県には「明智(明知)」という名を冠した城が可児市と恵那市に残る。このうち恵那市にある明知城は遠山氏が勢力を張った城のため、美濃(岐阜県)の守護を務めた土岐氏の流れを汲む明智氏の出身とされる光秀は、長山城とも呼ばれる可児市の明智城で誕生したのではないかといわれている。

しかし、若い頃の光秀は、召使いを1人連れているだけの貧しい武士だったとする史料もあり、本当に明智城で生まれたのかどうかは、はっきりしていない。