七尾城は、石川県七尾市古城町にある山全体を使った巨大な山城です。日本100名城にも選ばれ、能登畠山氏が戦国時代前期に築いたとされています。

「七尾城の戦い」の舞台でもあり、城攻めの名手・上杉謙信が、攻め落とすまで約1年も苦戦するほど難攻不落のお城でした。山頂にある本丸から広がる七尾湾の絶景に、上杉謙信も感動して漢詩を詠んだとか。のちに織田信長の家臣・前田利家も城主になった、歴史ある七尾城についてご紹介します!

みどころは“野面積み”の石垣と“七尾湾”の絶景!
石川県七尾市古城町の、標高約300mの石動山山系にある七尾城。ふもとから山頂までを有する全国屈指の大きな山城です。能登守護の畠山氏が、戦国時代前期の永正〜大永(1504〜1528)頃に造ったと言われています。

能登半島の七尾湾が一望できる景色の美しい場所にあり、日本五大山城の一つと言われ、日本100名城にも選ばれています。

現在は廃城になっていますが、本丸の石垣と各曲輪の石垣が現存し、本丸、二の丸、三の丸、調度丸、桜馬場、石垣、空堀、土塁などの遺構を見ることができます。

国指定史跡で、現在は天守台と石垣のみですが、見事な石垣からはかつての栄光を感じられます。七尾城の名前の由来は、七つの山の尾根にわたって造られているため。尾根には、松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾という名前があり、それぞれ七つの門が造られていました。

みどころは“野面積み”などの技術が使われた石垣。本丸は三段石垣で、桜馬場門は五段石垣になっています。調度丸と桜馬場に残っている石垣は、低い石垣を段にしていて、高石垣のような迫力があります。西の曲輪にある巨大な九尺石は、大手門だったという説も。

さまざまな石垣が残っていますが、ほとんどは前田利家が造ったと言われています。本丸と長屋敷の間には大堀切や、山麓には崖を使った長さ約1kmの総構えという外郭もあり、それぞれの跡地には説明の看板があるので、復元イラストや縄張り図なども見ることができますよ。