西郷隆盛を擁する薩摩藩(鹿児島県)とともに幕末の主人公に躍り出る長州藩(山口県)。周防(すおう)国と長門(ながと)国を合わせた二国の中心として栄えた萩城は、関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務めたが、敗れてしまった毛利輝元(もうりてるもと)が築城しました。再起を図る毛利家の居城は、実は約1億年前の火山によってできた岩山を利用して築かれたのでした。地形にも注目しながら萩城の歴史をひもときます。(※2019年1月21日初回公開)

天守台の石垣と背後の指月山
慶長9年(1604)、毛利輝元によって萩城は築城されました。指月(しづき)山麓に築城したことから、別名「指月(しづき)城」と呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城。本丸、二の丸、三の丸、指月山とよばれる詰丸(つめのまる)から構成されています。

本丸には桃山時代初期の様式で、高さ14.5mの白亜五層の天守がありましたが、明治7年(1874)に天守はじめ、建物は全て解体され、現在は礎石と台座のみを残しています。天守跡を中心に土塁が内堀に沿って連なり、武者走り、矢倉台座跡が見られます。

萩城には白い石が石垣としてたくさん使われていますが、この石の正体は火山の噴火によりできた花こう岩。詰丸が築かれた指月山は、花こう岩でできた山で、そこから切り出したと考えられています。火山性の岩に恵まれた土地を生かし、整備されたお城だということがよくわかります。