この戦役の時に日本軍の拠点として築かれたのが、倭城なのです。現在城跡が確認されているのは、約30か所。近年いくつかの城跡が整備されて観光資源にもなっています。その特徴は、まず朝鮮半島南岸地域にほとんどが集中していること。これは、自軍の補給路確保のためで、これによって朝鮮水軍の補給路を断つことにもなりました。そして港湾を見下ろす山の頂上に主要部が構えられているのも、共通する特徴。さらに、山頂部から湾に向かって2本の長い登り石垣がのびています。登り石垣とは、斜面と並行に、つまり縦方向に築かれた石垣。これによって、港湾地域全体を背後の山から両腕で抱え込むように守ることができるのです。また、山頂の主要部は石垣造りで、櫓や櫓門、狭間のある土塀など、日本の城と同じ瓦葺きの建造物が建っていたようです。

縄張面の最大の特徴は、曲輪の内部に仕切りの石垣が多用されていること。曲輪内に侵入された時の備えとみられます。この他、斜面に複数の竪堀を設けたり、登り石垣の外側にさらに竪堀を設けたり、また外郭ラインに長い横堀を設けたりも。総石垣造りの近世城郭でありながら、土造りの山城の有効な防御設備も併用した、まさにガチガチの守りなのです。島国の日本人が海を渡って敵地で戦うということが、どれほどの軍事的緊張をともなっていたかが伝わってきます。

このガチガチの守りが見事に功を奏し、2度の戦役を通して倭城は一つも落城することがありませんでした。その堅城ぶりから、戦後は朝鮮側が石垣の扇の勾配や算木積を模倣したり、城をそのまま二次利用しようとしたこともあったようです。