国内の築城技術にも影響を与えた倭城
倭城に使われた技術は、文禄・慶長の役後の日本の城郭にも大きな影響を与えました。その一つが登り石垣です。山上と山麓を一体化して守る登り石垣は、彦根城(滋賀県)、洲本城(兵庫県)、松山城(愛媛県)など数えるほどしか見られず、とても希少な遺構となっています。彦根城の登り石垣は倭城のものとは築かれた目的が少し目的が違うとの説もありますが、いずれにしてもこの戦役以降に日本の城にも採用された技術です。

もう一つ、倭城から日本の城に逆輸入された技術に「瓦」があります。倭城跡からは朝鮮式の意匠や技法で作られた瓦が多く発見されているため、朝鮮の職員を動員して建物の瓦を作らせたことがほぼ確実視されています。こうした職人たちの多くは、撤退時に捕虜として日本に連れてこられ、朝鮮の瓦技術を日本に伝えました。天守や門の雨だれをよくするため、軒に葺かれる「滴水瓦」も朝鮮の職人たちが広めたものです。

現在も韓国に残る倭城
倭城の歴史と構造が分かったところで、韓国に残る倭城をいくつかご紹介しましょう!

[蔚山広域市]西生浦城(せっかいじょう・ソセンポウェソン)
朝鮮半島南東部の拠点城郭の一つで、文禄2年(1593)、加藤清正(かとうきよまさ)により築城。天守や御殿のある本格的な城だったとみられています。清正の築城技術を知る上でも貴重な遺構です。

山麓の居館跡が宅地化されていますが、それ以外は保存状態がかなり良く、天守台、石垣、曲輪、堀、土塁など見学がしやすく見応え充分。特に、長大な登り石垣と土塁、横堀は必見。山頂部は公園になっています。