[蔚山広域市]蔚山城(いさんじょう・ウルサンウェソン)
慶長2年(1597)、加藤清正・毛利秀元(もうりひでもと)・浅野幸長(あさのゆきなが)などによる築城。現在は工業都市として栄える蔚山市。城跡は海岸から太和江という川を10kmほどさかのぼった所、支流との合流地点近くの独立丘陵上にあります。清正・幸長らは完成目前で大軍に攻められ、援軍が来るまで籠城してなんとか凌ぎきりました。

現在は公園化され市民の憩いの場となっていて、往時の威容を物語るのは山頂部に残る天守台などの石垣と虎口跡のみ。でも、ここの石垣も算木積以前の隅部など、清正の石積み技術が見られます。

[全羅道順天市]順天城(じゅんてんじょう・スンチョンウェソン)
西部方面最前線の拠点城郭。光陽湾に突き出た半島先端の低い丘の上に位置し、かつては三方が海に囲まれていました。慶長2年(1597)、小西行長(こにしゆきなが)・宇喜多秀家(うきたひでいえ)・藤堂高虎(とうどうたかとら)による築城で、蔚山城が攻撃されたことを受け、2か月の突貫工事で完成させました。翌年やはり攻撃されるも、敵軍を撤退させています。

頂上部分は史跡公園として整備されており、外郭ラインも一部土塁が削られているものの、天守台、石垣、土塁、堀の保存状態は良好。石垣の積み直しが多く見られるのが残念ですが、大軍に対抗するために築かれた大規模な城跡は圧巻。