三段から構成される本丸
天守が立つのは、本丸のなかで最も高所にある「本段」とよばれる区画です。かつては本段の中央に本段御殿があり、宇喜多時代にほぼ全体が完成したあと改造されました。藩主の私邸として日常生活の場であったため、本段御殿へは一般の藩士の出入りは厳しく禁止され、本段に設けられた不明門(あかずのもん)は常時閉鎖されていました。

本段の石垣は、北から東、南面にかけての面に、鈍角に折れ曲がる角を多用しているのが特徴です。西面は細かく折れ曲がった屏風折れの形状をし、周長に対して櫓が2棟と少なく、豊臣秀吉が築いた大坂城(大阪府大阪市)本丸によく似た形状で、秀家による岡山城築城が、秀吉の影響を強く受けたという考えを裏付けています。

「中の段」に埋もれた鋭角の石垣
本段より一段低い「中の段」(表向)は、表書院の御殿が建てられた場所でした。藩主の公邸兼藩庁として、城内で最高の格式を有する御殿であり、南に玄関を設け、北には広間や書院が続き、奥には藩主公邸である中奥と台所が立ち並んでいました。

平成5年度の発掘調査によって地中に埋もれていた石垣が見つかりました。戦国時代(宇喜多秀家の時代)に築かれた石垣であり、江戸時代に中の段を拡張した際に埋め立てられ、地上には台所がありました。

この石垣の辺がなす角度は約70度であり、全国的に珍しい角が尖った鋭角の石垣です。もともと石垣の東は、当時、藩主の休養の場だった「下の段」から中の段に上がる道筋であり、城門を構えていました。一方で、南西からのびる石垣は、裏に埋めこまれた丘の形に沿って築かれたため、特異な石垣の隅になったと考えられています。

中の段は直角に曲がる石垣上に多数の櫓が配置されているなど、鈍角の石垣に囲まれた本段とはまったく意匠が異なっています。