戦国時代を彩った大名や武将を1人クローズアップ。関わった合戦や城との関わりを紹介する城びとの連載「逸話とゆかりの城で知る! 戦国武将」。お城・歴史ビギナーな方はもちろん、「名前は知っていたけど、実は詳しい生涯までは知らない」「お城を知ると武将が出てくるので、武将についても詳しく知りたい」と思っていた方にもぴったりです。「こんな武将が存在したんだ!」という、教科書などに名前の載らない武将も出てくるかも!?
 
人気も知名度も高い武将、上杉謙信の回をお届けします。数多の合戦で領地を広げた謙信が、生まれ育った春日山城(新潟県)に住み続けた理由を解説します! 

高潔な軍神・上杉謙信が生涯を過ごした城とは?
上杉謙信は越後守護を補佐する守護代・長尾為景(ながおためかげ)の子として、越後国の春日山城で誕生。兄がいたため本来なら当主にはなれないのですが、病弱な兄に不満を持った家臣に擁立され、当主の座につきました。その後、領内の反乱分子を抑えて越後国を統一。信濃や関東へ遠征を行い、武田信玄や北条氏康らの強敵と戦いに明け暮れます。

謙信といえば、なんといっても「軍神」「越後の龍」とも賞賛された合戦の強さ。第四次川中島の戦いで信玄と一騎討ちをしたという逸話はあまりにも有名ですよね。他にも北条氏との戦いでは、味方を救うために単騎で斬り込んで敵を蹴散らした、敵の目の前で悠々と酒を飲んでいたなど、超人的ともいえる武勇譚が知られています。

このように合戦では無類の強さを誇った謙信ですが、平時は毘沙門天を篤く信仰し義を重んじる人物でした。また、私欲による領土拡大を嫌っていたとも。前述の川中島の戦いも信玄に圧迫された信濃国衆・村上義清(むらかみよしきよ)の救援要請からはじまったもの。また、関東遠征は北条氏康に追い出された関東管領・上杉憲政(うえすぎのりまさ)に、上杉家と管領職を継いで管領家を復興して欲しいと依頼されたために行ったとされています。