発掘調査でわかった志苔館の姿
標高17〜25mmの段丘に築かれた志苔館跡は、四方に土塁をめぐらせた単郭の構造で、東西70〜80mほど、南北50〜60mほどの大きさと、わりとコンパクトな館跡です。館跡の目の前には津軽海峡が広がり、海の向こうには下北半島を眺めることができます。

1983〜1985年に実施した発掘調査によると計7棟分の建物跡や柵跡、井戸跡が確認され、なかでも建物跡では柱間の寸法の違いや礎石から、全部で3期に分けて建て替えられていることがわかりました。

(1期)掘立柱建物:14世紀末期頃〜15世紀初頭頃
(2期)掘立柱建物:コシャマインの戦い後の15世紀中頃
(3期)礎石建物:16世紀以降

断定はできませんが、礎石建物が建っていた16世紀はショヤコウジ兄弟の戦いがあった頃。17世紀には廃館していたことを考えると2度目に落とされた後に建て直したのかもしれませんね!

曲輪の北東隅にある城内唯一の井戸跡は、城が築かれた当初からあったと推測できるもの。地下5mまで掘られた穴は、四隅に柱を据え4枚の板で囲った「方形隅柱横桟式」と呼ばれる形式です。復元では、確認された井戸枠と同じ構造のものをわかりやすいように地表に出して表示しています。

また、出土した遺物では76点の陶磁器の破片や、金属製品(古銭22点、銅製品18点、鉄製品279点)、硯・砥石などの石製品8点、そして木製品などがあげられます。

なかでも注目は陶磁器で、中国製の陶磁器のほかに瀬戸、越前、珠洲(すず)など国産陶器も見つかり、館が使われていた時期にあたる15世紀初頭のものが多いということがわかりました。