お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する城びとの人気連載「超入門! お城セミナー」。そこから賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)がテーマの回をご紹介いたします。突然の謀反に倒れた織田信長の後継者を決した戦いとして有名なこの合戦。実は、城が重要な役割を果たしていました。賤ヶ岳の戦いの経緯と、戦いで重要な役割を担った城を紹介します!

陣城による防衛ライン形成がカギとなった、信長の後継者争い
日本史上最大のクーデターと呼ばれる本能寺の変から、明智光秀を倒した山崎の戦い、信長の嫡孫・三法師(のちの織田秀信)を後継者に担ぎ上げた清洲会議を経て、信長亡きあと半年と経たないうちに政治の主導権を握った羽柴秀吉。彼が天下統一に向けてさらに大きな一歩を踏み出すために避けられなかったのが、織田家の古参武将との決着でした。

最大の難敵は、清洲会議で信長の三男・織田信孝を推挙した、織田家宿老筆頭・柴田勝家。その決戦は「賤ヶ岳の戦い」としてよく知られていますが、躍動感あふれる合戦図や、羽柴方で功をあげた武将のうちの7人が「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれるようになるなど、一般的には広い戦場で白兵戦が繰り広げられた野戦のイメージが強いと思います。ところが、天下の趨勢を決したこの戦いは、両軍が多数の陣城を築いた大規模な「築城合戦」でした。

陣城(付城)とは、合戦の際に拠点として造られる臨時の城のこと。鳥取城攻めや備中高松城攻めのような包囲戦で多く使われているので、「敵城を包囲するために築く城」というイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし、賤ヶ岳の戦いでは、羽柴・柴田両軍によって陣城が多数築かれました。その目的は、城を築いて自軍の防衛ラインを構築することで、敵方を牽制しながら勝機をうかがうこと。畿内を拠点に国の政治を動かし始めていた秀吉と、北陸を治めていた柴田勝家。この2勢力が対峙した合戦では、互いの勢力の境界である北近江が主戦場となり、大小あわせて20を超える陣城が築かれました。