2つの古代宗教と異形の戦い
葛山衆は葛山一帯を領する国衆である。その領地の飯縄山(いいづなやま)にある飯縄権現は、高尾山を始めとする全国の飯縄大明神・権現の総社として尊崇を集め、古代から天狗の横綱「飯縄の三郎天狗」や霊能を有する「管狐」、妖術「飯縄の法」を編み出した「千日太夫」、忍術の祖「忍」が盤踞(ばんきょ)していたと伝わる。葛山衆は飯縄権現を守護する身として、一族の危急の戦いにこれら人外の力の助けを借りていたと思える。いやむしろ葛山衆自体が飯縄の忍びの一族ではなかったかとすら思えるのだ。

方や善光寺は宗派が生まれる前の古代仏教寺院であり、堂主・別当として僧兵の取りまとめを行っているのが栗田氏である。善光寺の秘仏は天竺から百済を経て日本にもたらされたもので、物部氏の廃仏運動により信州に伝わったものだと言う。古代仏教は現世利益を求め、加持祈祷による呪法をその武器とする。飯縄権現の霊力に対抗するために栗田氏を守将として善光寺の法力を動員したのではないか。

さらには武田方の調略担当真田幸隆もこの対陣に加わっており、この山間の戦いが2つの山城を巡る権謀渦巻く調略合戦と、呪術・忍術さらには魑魅魍魎(ちみもうりょう)・妖怪変化も加わった異形の戦いだったと妄想つきないのは自分だけだろうか。

第2次川中島の戦い
そもそも、善光寺平は村上義清の領国であった。武田軍の北上に抗して敗れた村上義清は上杉謙信を頼る。上杉謙信としても善光寺平を敵対勢力に奪われると、目と鼻の先にある春日山城(新潟県)に肉薄されてしまうため、村上義清を保護して善光寺平に出兵することになり、ここに通算5回にわたる川中島の戦いが始まるのである。