また、人柱になる若い娘を、盆踊りの輪の中から選んだという話が非常に多いようです。以下の山陰の3城の例で見てみましょう。松江城(島根県)の築城時、盆踊りの輪の中で最も美しく最も踊りの上手い少女をさらい、人柱として石垣の下に生き埋めにしたといいます。後日譚も多く、城の完成前後から城主が立て続けに死去して断絶。天守からはすすり泣きの声がし、城下で盆踊りをすると城が鳴動したため、なんと現在も松江の一部地域では盆踊りを開催しないのだとか。

また月山富田城(島根県)でも、盆踊りの輪の中から、神託通り「月の紋の着物を着た娘」を連れ去り人柱としたといいます。その儀式で供養のための太鼓を打ち鳴らしたのですが、毎年その日が近づくと、月山山頂から太鼓の音が聞こえてくるようになったとか。そして米子城(鳥取県)の伝説は、やはり盆踊りの輪から「おくめ」という娘がさらわれて人柱となり、城を別名「久米城」と呼んだというものです。

この他にも、供養に植えられた「おとめ桜」が知られる、白河小峰城(福島県)築城時の作事奉行の娘「おとめ」の伝説、くじによって人柱となり、城下の川がその名を取って「肘川」と名付けられたという大洲城(愛媛県)「おひじ」の伝説、城の別名を「宮が城」とし、櫓普請の人柱となった娘を偲んだという府内城(大分県)の「おみや」伝説などなど…… 若い娘の人柱伝説は枚挙にいとまがありません。

未婚の若い娘以外が人柱とされたケースもあり、特に丸岡城(福井県)の伝説は有名です。築城時、二人の子がいて苦しい生活を送っていた片目のお静が人柱に選ばれました。彼女は一人の子を侍に取り立ててもらうことを約束に、天守中柱の下に埋められます。しかし、城主の柴田勝豊が移封。約束が反故となったため、毎年堀の藻刈りの時に、お静の霊が春雨で堀をあふれさせたとか。他には、先ほどの松江城の異聞として、虚無僧が息子の仕官と引き換えに自ら人柱になった伝説、大垣城(岐阜県)では工事見学中の山伏が、丸亀城(香川県)では行商中の豆腐売りが、たまたま通りがかっただけで人柱にされたというむごい話もあります。