城びとの人気連載「逸話とゆかりの城で知る! 戦国武将」、今回は戦国三大悪人の一人に数えられる松永久秀(まつながひさひで )。三好長慶(みよしながよし)の片腕として活躍するも長慶死後に独立。大和一国を支配しますが上洛してきた織田信長に従い所領を安堵されました。しかし信長を2度も裏切り、ついには信貴山城で爆死するという壮絶な最期を遂げたという逸話を持ちます。さて、久秀はいったいどんな悪行を働いたのでしょうか。

日本一美しいと称された多聞山城
戦国時代きっての悪人とされる松永久秀。いったい彼は何をしたのでしょうか。あるとき織田信長は徳川家康に対して、そばに控える松永久秀が、世の中の人が成しがたいことを3つ成したと紹介します。1つ目は「将軍・足利義輝の殺害」、2つ目は「主君・三好義興の殺害」、3つ目は「東大寺大仏殿を焼き討ち」したことだと。このとき久秀は冷や汗を流して赤面したといいます。

また松永久秀は三好長慶に仕えていた頃、長慶の弟・安宅冬康(あたぎふゆやす)を讒言(ざんげん)により死に追い込み、冬康を殺したことを悔やんだ長慶は、病を重くし、亡くなりました。さらには織田信長を2度も裏切り、最期は名物「平蜘蛛」とともに爆死したとする衝撃的なエピソードとあいまって、悪人の代表格として語られてきました。

松永久秀の出自は諸説あって定まっていませんが、30歳頃に三好長慶に仕えはじめてからメキメキと頭角をあらわし、三好政権を支える重臣として活躍。大和をほぼ手中に収め、大和と河内の境にある信貴山城(奈良県平群町)を居城としています。

その翌年、久秀は多聞山城(奈良県奈良市)を築きます。城は東西約250m、南北約200mの規模と推定され、天守に相当する4階建ての櫓、のちに多聞櫓と呼ばれる長屋形式の櫓が備わっていたといいます。天守といえば織田信長の安土城(滋賀県近江八幡市)がその先駆けといわれますが、安土城以前にも天守を備えた城があったことが分かってきているように、多聞山城もそうした黎明期の天守の一つといえます。もしかしたら信長は、多聞山城の天守を安土城の参考にしたのかも知れませんね。