2022年9月23日、東京大学大学院工学系研究科・工学部は「メタバース工学部」の設立記念式典をVR(仮想現実)空間上で開催した。同プログラムの責任者である染谷隆夫教授(東京大学大学院工学系研究科長・教授)に、メタバース工学部設立の目的や未来像について聞いた。

学びの場を仮想空間に「引っ越し」


「メタバース(Metaverse)」は、コンピュータとネットワーク上に構築された仮想空間と、そのサービス全体を指す注目のキーワードだ。明確な定義はないものの、オンラインで結ばれた3D空間内で自分のアバター(分身)が自由に行動でき、他のアバターともコミュニケーションが取れるのが現在の一般的なメタバースのイメージとされている。

すでにオンラインゲームやバーチャル空間で交流できるSNSなど、メタバースを体現するさまざまなプラットフォームが展開され、仮想店舗やバーチャルイベントなどのビジネスや遠隔医療など、新たな可能性を探る動きが世界中で加熱している。

こうした中、今年7月21日に東京大学が発表した「メタバース工学部」プログラムは多くの耳目を集めることになった。「学部」と言っても東京大学を受験して入学する正式な学部ではなく、主に中高生とその保護者や教師、工学系のキャリアを目指す学生、社会人の学び直しやリスキリングを目的としたオンライン教育プログラムの総称である。

メタバース工学部プロジェクトの責任者である東京大学大学院工学系研究科長の染谷隆夫教授(以下、染谷教授)は、次のように話す。

「現在東京大学で行われている講義の99%以上は、東大生に向けて提供されているものです。より多くの人に学んでもらいたくても、学内外の規制や教室のキャパシティなどの制約によって定員を自由に増やすことはできません。しかし、メタバースであれば、年齢も性別も所属も、文系や理系といった枠組みも関係なく自由に学びの場に参加できるのです」


東京大学大学院工学系研究科長の染谷隆夫教授


メタバース工学部の設立趣旨には、「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と社会的包摂)の推進」と「DX人材の育成」が掲げられている。誰もが平等にデジタル技術によって最先端の工学や情報理論を学び、自らの夢を実現できる社会を目指すことが大きな目的だという。

「現代はデータサイエンスやテクノロジーなしには成立しない社会です。近未来に必要となるメカニズムを知らなければ、理想の未来を描くこともできないでしょう。テクノロジーを作る人と使う人が協力して一緒に未来へ進んでいくには、多様な価値観やライフスタイルを持った人材の参加が必要です。また、均質な価値観を持った集団では起こりにくいイノベーションを創発したいという狙いもあります」

メタバース工学部では、中高生とその保護者が主な対象となる「ジュニア工学教育プログラム」と社会人と学生向けの「リスキリング工学教育プログラム」の2つを中心に開講した。
それぞれのプログラムの内容について見ていこう。


東京大学工学部が開設した「メタバース工学部」の公式サイト。ここから各教育プログラムの内容を確認したり申し込むことができる(https://www.meta-school.t.u-tokyo.ac.jp)


9月23日に実施された設立記念式典兼開講式は、メタバース空間の「バーチャル東大安田講堂」で開催された。VRのプラットフォームは「cluster」が用いられ、来賓のリアルアバター制作やVR配信は東京大学バーチャルリアリティ教育研究センターの手によるものだ


ジュニア向けの教育プログラムは無償提供


中高生とその保護者が主な対象となる「ジュニア工学教育プログラム」は、大学進学前の段階から最先端の工学や情報科学の魅力に触れるためのコースが無料で提供される。いずれの講座もオンラインを基本としつつ、商品開発の体験学習や研究室見学などは対面とのハイブリッドで行われる。

今年度開催予定の講座を見ると、例えば「メタバースを作ろう」では、メタバースの基礎技術となるVRの研究紹介やメタバース空間を作成する1回1時間の演習が全5回で構成され、相澤清晴教授(東京大学大学院情報理工学系研究科)や稲見昌彦教授(東京大学先端科学技術研究センター)をはじめとする錚々たる教授陣が登壇する予定だ。

また、大学で行われている工学の学びや卒業後のキャリアを伝えるために、起業入門やデザイン×工学、グリーンエネルギーや飛行ロボットなど多彩な講義が産学協同で実施予定だ。中にはジュニア向けではないが、データサイエンティスト志望者に向けたレベルの高い講座にも中高生が参加できるという。

「ジュニア講座は、個別に関心のあるテーマについて申し込む形を取っています。東大での講座は13回で1コースというのが多いパターンですが、ジュニア向けではその半分くらいの回数とし、オンライン講座以外にも第一線の研究者が訪問する出張授業や、工学部で学んだ当事者の声を伝える『工学部のリアル』などのイベントを予定しています」(染谷教授)

なおオンライン講座では、映像配信とZoomなどビデオ会議ツールによる質疑応答やグループワークが想定されている。一部のライブ感がある講義についてはメタバース用のアプリを用いる可能性も考えられるが、受講に「Meta Quest 2」のようなVRヘッドセットは必須ではなく、スマホでも気軽に参加できるという。



記念式典は台湾デジタル発展省大臣のオードリー・タン氏のメッセージに始まり、賛同企業である鹿島建設、ソニーグループ、DMG森精機、丸井グループ、三菱電機、リクルートの経営陣が祝辞を述べた


社会人の学び直しとリスキリングを目指す


もう1つの「リスキリング工学教育プログラム」は、社会人や学生を対象として、技術革新やビジネスモデルの変化に対応できるように最先端の人工知能や起業家教育、次世代通信などをオンライン学習できるというもの。講座修了後には科目ごとに修了証が発行される仕組みだ。

講座は受講生のニーズやレベルに合わせて複数用意され、社会人の申し込みについてはメタバース工学部の趣旨に賛同した法人会員が会社単位で登録できる。現在は個人の社会人は受講を受け付けていないが、松尾豊教授(東京大学大学院工学系研究科)が監修した「グローバル消費インテリジェンス(AI講座)」については、中学生以上の学生は参加可能。
また、介護や育児などのライフイベントによる離職者・求職者・休職者も一定枠内で受け付けている。

「AI講座以外にも、次世代サイバーインフラ、Python基礎、アントレプレナーシップといった講座を開きます。AI講座は東大生にも人気のある講座で毎年2000人以上が学んでいますが、これは近い将来には2万人や20万人が参加するようにしていかなければなりません」

また、これらの2つの教育プログラムとは別に、主に中高生と工学部生を対象とした「工学キャリア総合情報サイト」も開設予定。工学部のキャンパス訪問や就活時のキャリア疑似体験談など、当事者目線によるリアルな情報を提供するWebサイトになる予定だ。

「特にロールモデルの少ない女性工学キャリアについて、情報提供を積極的に行っていくことが目的です。また、企業の経営者の方々と話していると、カーボンニュートラルやDX人材の育成と並んでダイバーシティの実現に悩んでいると聞きます。例えば、女性役員が30%に満たない企業は将来海外との取引に支障を来すこともあるでしょう。大学としても工学分野のダイバーシティ推進を加速させる必要性を感じています」

工学部は情報やテクノロジーで社会課題の解決を目指すことが重要であり、そのためには地域や自治体、民間企業といった社会のあらゆる領域との連携によって多様なDX人材の育成が必要となってくると語る染谷教授。
東京大学のメタバース工学部はこの課題解決にどう貢献していくのか、今後の動きに目が離せない。


式典ではメタバース工学部での教育プログラムにも登壇する松尾豊教授(左)、アーティストで東京藝術大学デザイン科准教授のスプツニ子!氏(中)、稲見昌彦教授(右)による鼎談も行われた


文/栗原亮(Arkhē)



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