食べ過ぎや運動不足など、これまでは「自堕落な生活の結果」と見なされてきた肥満だが、海外では高血圧、高脂血症、糖尿病と同じく、太っていることは薬物でコントロールすべき「病気」だという認識ができつつある。それに伴い肥満治療薬の市場が急成長を続けているが、これに取り残されているのが日本だ。

日本で承認されているのは古い薬のみ


「肥満は中枢性の食欲調節障害によって引き起こされる病気である」

英医学誌『ランセット』(2023年4月1日号)に掲載された論文の一節だ。
これまで、食べ過ぎや運動不足など、自堕落な生活の結果と見なされてきた肥満への理解が変わりつつある。高血圧、高脂血症、糖尿病と同じく、太っていることは薬物でコントロールすべき「病気」、という認識が海外ではできつつあるのだ。


もはや肥満は薬でコントロールすべき「病気」?


まずは、本稿で扱う肥満の定義だが、多くの医学研究ではBody Mass Index(BMI)が30以上(身長170センチの人で86.7キロ)、あるいはBMI 27以上(同78.0キロ)で糖尿病、心血管疾患、変形性膝関節症などの合併症を抱える場合をいう。本稿でご紹介する臨床研究の参加者は、この定義を満たしている。

実は、肥満症の薬物治療の歴史は古く、すでに世界では6種類の治療薬が承認されている。だが残念なことに日本で製造・販売が承認されているのは「オルリスタット」だけだ。承認されたのもごく最近(今年2月17日)のことで、大正製薬が「アライ」という商品名で販売し、薬局で購入できる。

このことは肥満に悩む方にとって朗報だが、世界での評価は違う。オルリスタットは古い薬なのだ。2007年2月に米国で承認されて以降、世界70カ国以上で一般用医薬品として承認されており、中国などアジア諸国でも20年以上前から販売されている。

現在、オルリスタットは世界では肥満治療薬として推奨されていない。昨年11月、米消化器内視鏡学会が発表した「成人肥満患者に対する薬物治療の臨床ガイドライン」には、「ガイドライン委員会は、オルリスタットの使用を推奨しない」と記されている。
その理由は、一般用医薬品として承認された量の倍量を投与しても、体重減少は約3%に過ぎず、副作用を伴うからだ。この薬は消化管での脂肪の吸収を抑制するため、下痢が生じやすい。また、重症の副作用は少ないが、FDA(米食品医薬品局)は12例の肝不全の報告を受け取っている。


たまたま見つかった食欲の抑制効果


このように現在の日本では、副作用があるうえに効果も乏しい古い薬しか承認されていない。だが、海外では肥満治療薬として別の薬が注目されている。GLP-1受容体作動薬がそれだ。

この薬はもともと、糖尿病の治療薬として開発された。GLP-1とは、食後、腸の内分泌細胞から放出されるインクレチンというホルモンのことだ。インクレチンは、インスリン分泌を促進すると同時に、血糖値を上げるグルカゴンというホルモンの分泌を抑制する。GLP-1受容体に結合し、その作用を強化する薬物を開発すれば、糖尿病の治療薬に利用できると考えられた。

2005年4月、英アストラゼネカが開発した「エキセナチド」は糖尿病の治療薬として世界で初めて米国で承認された。我が国でも、2010年10月から販売されており、1日2回の皮下注射として投与される。2023年4月現在、世界では7種類のGLP-1受容体作動薬が承認され、経口剤(飲み薬)や週に一回で済む注射剤も開発されている。

そんなGLP-1受容体作動薬だが、臨床応用が進むと興味深いことが分かってきた。中枢神経系(主に脳幹と視床下部)に存在するGLP-1受容体に作用し、食欲を抑制するのだ。2021年3月、英レスター大学の医師たちが『ランセット』に発表した研究によると、デンマークのノボノルディスク(ノボ)が開発した「セマグルチド」注射剤が投与された患者では、平均して体重が9.6%減少していたという。

ノボは、この食欲抑制効果に注目し、肥満症の治療薬として臨床開発を進めた。肥満症患者1961人を対象とし、セマグルチド注射剤の有用性を検証した「第3相臨床試験」を実施したところ、治療開始後68週までの評価で、セマグルチド注射剤群は平均して14.9%体重が減少し、2.4%のプラセボ群(偽薬を与えたグループ)より12.5%多かった。この結果は、2021年3月、米『ニューイングランド医学誌』に掲載され、同年6月にはFDAが肥満症治療薬としても承認している。


米食品医薬品局


現在、米国以外にはカナダ、EU、豪州などでも肥満症治療薬として承認されており、日本でもノボの日本法人が承認申請中だ。2023年1月27日、厚労省の審議会が承認を了承しており、早晩、我が国でも医療用医薬品として販売が始まるだろう。ただしこれは皮下注製剤であり、週1回、自分で注射を打つことが必要になる。


急成長する肥満症治療薬の市場


写真はイメージです


肥満症治療薬の開発は日進月歩だ。様々な臨床研究の成果が発表されている。昨年4月、英リバプール大学の医師たちは、セマグルチドの注射を止めると、5年以内にほぼ全員が元の体重に戻ってしまうと米『糖尿病・肥満・代謝』誌に発表している。セマグルチドによる中枢神経の摂食中枢の抑制は、可逆的であることがわかる。

成人だけでなく、小児の肥満症治療への適応拡大も進められている。昨年11月、ノボは、201人の12〜18歳の小児を対象とした臨床研究を実施し、セマグルチド投与群では73%の患者が5%以上、体重が減少したと『ニューイングランド医学誌』に報告している。小児の肥満解消は、心血管疾患などの合併症予防だけでなく、メンタルへの好影響も期待できる。素晴らしいことだ。

肥満症治療薬の市場は、今後、急成長するだろう。英国の市場調査会社であるエバリュエート・ファーマ社は、2026年のセマグルチドの売上を39億ドルと予想している。2023年4月1日、日本経済新聞は、ノボの時価総額が47兆円と、製薬企業の中で世界トップに立ったことを報じている。

急成長市場には、複数の企業が参入する。注目すべきは、米イーライ・リリーだ。同社は、GLP-1受容体に加え、グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド(GIP)という別のインクレチンを同時に活性化する「チルゼパチド」という薬剤の開発を進めている。複数の経路を同時に刺激するのだから、より高い効果が期待できるかもしれない。昨年6月、『ニューイングランド医学誌』に報告された第3相臨床試験の結果によると、23%も体重が減ったという。

医薬品関連のメディアをフォローしていると、連日のように肥満症治療薬の開発ニュースを見る。例えば、「Viking社の肥満薬VK2735のPh1試験で体重が8%も低下〜今年中頃Ph2開始」(2023年3月29日、バイオトゥデイ)、「Altimmune社の肥満薬pemvidutideのPh2試験での脱落率がめっぽう高い」(2023年3月29日、同)という感じだ。今後、肥満症治療薬の開発はさらに加速するだろう。


飲み薬の毎月のお値段は…


問題は日本だ。ダイエット目的に、GLP-1受容体作動薬を使うことには、医療界の抵抗が大きい。実は、ダイエット目的でのGLP-1受容体作動薬のオンライン処方が一部で始まっているのだが、こうした現状について、昨年3月、今村聡・日本医師会副会長(当時)は「医の倫理に反する」と批判した。

GLP-1受容体作動薬は、すでに世界で20年近い使用経験があり、その安全性については、一定のコンセンサスが確立している。オンライン処方でも問題ないと考える医師がいてもおかしくない。ところが、肥満を病気として扱い、薬物で治療することについては、我が国の医師の間で、いまだコンセンサスは形成されていない。


写真はイメージです


ただ、ダイエット目的での使用の有効性についても懸念がある。ノボなどが実施してきた臨床試験は、BMIが27以上の肥満患者を対象としているからだ。身長160センチの場合なら、体重は69.1キロ。ダイエットを希望する日本人の大半が当てはまらない。安全性はともかくとして、このような軽度の肥満症に対するGLP-1受容体作動薬の有効性は不明で、今後の臨床試験の結果を待つしかない。

では、どうすればいいのか。肥満症の診断基準を満たす患者には、ほどなく、健康保険で処方が可能になるだろう。問題は、そうでない場合だ。当面は、かかりつけ医と相談し、ケースバイケースで対応するしかない。幸い、自費診療の選択肢もある。

セマグルチドの注射剤である「オゼンピック」は週に1回0.5mgの注射が必要だが、その薬価は一回あたり3094円だ。また、セマグルチドの経口剤も「リベルサス」という名前で実用化されている。こちらは1日1回の服用で維持量の7mg錠の薬価は334円である。いずれも月の薬剤費は約1万円だ。実際には、これに診察や処方の費用が加わるが、厳密な臨床試験でその効果が証明されていることを考えれば、自己負担してもいいと考える人は多いのではないか。

私の経験では、肥満に悩む患者に、この選択肢を告げると、二人に一人は自費診療を選択する。そして、多くが10%程度の減量に成功する。身長155センチ、体重64キロ(BMI26.6)の30代の女性に処方した際には、3か月で体重が58キロに減り、「人生が変わりました。スーツを作り直しました」と言われた。6キロは、一升瓶3本に相当する。これだけのものを体から外すのだから、体の感覚は一変するだろう。

薬を継続する限り、多くの患者でリバウンドは生じない。運動療法や食事療法が続かないのとは、対照的だ。ただし、体形を維持したいのであれば、基礎代謝を上げないかぎり生涯、服用を続けなければならない。
肥満で悩んだら、すぐに医師に相談して薬を服用する――そんな未来が近くやってくるのかもしれない。

文/上昌広 写真/shutterstock