岩手県野田村の山奥にある「苫屋(とまや)」は、60代の夫婦が営む小さな民宿。築約165年の茅葺き屋根の宿には電話がなく、予約は手紙・はがきでのやり取りで行う。そんな“不便”なシステムながら、国内外にたくさんのファンを持つこの民宿にはどんな魅力があるのだろう。実際に宿泊してみた。

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手紙を書くところから始まる旅


岩手県野田村にある民宿「苫屋」。電話受付もインターネット予約もできない。手紙やはがきでのやり取りでしか予約を受けつけていない。

まず、手紙を書くところから旅が始まる。第3希望までの宿泊日を書いた手紙に返信用のはがきを同封して送った。

約1週間後に届いた返事には、確定した日程とアレルギーなどの有無の確認、そして「道中も楽しまれて」というメッセージが書かれていた。


手紙で宿泊予約と今回の取材依頼を行った


返事には日程や料金などが記されていた


岩手県野田村は盛岡市から車で約2時間半。東京都内から公共交通機関を使って行くには新幹線がおすすめだ。

東京駅から青森・八戸駅まで東北新幹線に乗り、JR八戸線とNHK連続テレビ小説『あまちゃん』で有名な三陸鉄道リアス線で南下し、苫屋の最寄り駅「陸中野田駅」まで行く。乗り継ぎの時間も合わせて、陸中野田駅に着いたのは東京を出発してから約6時間後。そこからタクシーで約20分山道を登った先に苫屋はある。


東京から宿へは電車やタクシーを乗り継いで6時間以上


「苫屋」と書かれたのれんをくぐり建物に一歩入ると、心地いい香りに包まれる。宿の中心の板の間には囲炉裏があり、その上の大きな梁(はり)は黒くすすけている。パチパチと弾ける薪の音と、温かいオレンジの火の光で部屋が満たされていた。


岩手県野田村の山奥にたたずむ苫屋


静かな室内に囲炉裏で炎が燃える音が響く


宿を営む坂本充さん(63)・久美子さん(65)夫妻の出迎えを受けながらチェックイン。出された決明子(ケツメイシ)のお茶と干し柿で、まずは長時間移動の疲れを癒す。

取材をした4月中旬の野田村の気温は10℃台前半。夜は真冬のように寒いため、充さんが昔懐かしい紺色のはんてんを貸してくれた。


苫屋を営む坂本充さん、久美子さん夫妻


地物中心の創作料理でおもてなし


夕飯はもちろん、囲炉裏の前で。前菜は、地元猟師が獲った鹿の生ハムに、ニリンソウやカタクリ、甘草など充さんが近所で採った山菜のおひたし。タラの芽、昆布と夏ミカンの皮の天ぷらなど地物野菜を中心に創作料理が次々と出てくる。

メインディッシュは、囲炉裏でいぶしたサバ。「温かいうちにお食べ」と久美子さん。日常の延長線上にあるおもてなしを受けながら、どこか懐かしさを感じる夕食だ。


前菜の鹿の生ハムと山菜のおひたし(食事メニューは季節などによって変わる)


2品目は山菜の天ぷら盛り合わせ


メインは、囲炉裏でいぶしたサバとミツバウツギのご飯


囲炉裏の前で夫妻と一緒に夕食を食べながら会話に花を咲かせて、気がつけば4時間以上経っていた。苫屋は時間の流れが止まったような感覚になる、不思議な空間だ。

苫屋の受け入れ人数は最大14人(3部屋)。春先などの寒い時期は各部屋にヒーターも完備されている。トイレは洋式水洗で、風呂は共同ながら十分な広さがあり、江戸時代末期の建物ながら水回りはリフォーム済みだ。

チェックイン・アウトの時間の指定は特になく、朝ごはんの時間も宿泊客のスケジュールに合わせてくれるため、決して早起きしなければいけないというわけでもない。

翌朝、朝食の支度をする充さんに「毎朝何時に起きているのか」と尋ねると、「時計と付き合ってないから決まりはないね」と一言。都会の喧騒や忙しさを忘れさせてくれる、ゆったりとした時間が苫屋には流れている。

朝ごはんは、夏ミカンのサラダ、エゴマの葉で巻いたソーセージ、エゴマパン、焼き卵。100年もののミルで挽いたコーヒーとともにいただく。


朝食も囲炉裏の前で


焼き卵は夜に囲炉裏の灰の中に入れておき、翌朝取り出したもの


100年もののミルでコーヒーを挽く充さん


孤独から離れ、ぬくもりに触れる


宿泊予約の手紙が来ない日はほとんどなく、5月の大型連休期間も満室。久美子さんは毎日返信を書きながら、手紙の文字や文章からどんな人かを想像するのが楽しみなのだという。

今回、私の出した予約の手紙からどんな人物を想像していたかを尋ねてみた。

「今回は外れちゃった。落ち着いた文面で、『今どきこんなしっかりしたお手紙書くなんて』って思ってたから30代半ばぐらいの人かなと。こんなに若いと思わなかった」と久美子さん。

「文章を仕事にしている人だからな」と充さん。(筆者は29歳)

夫妻がどんな人物を想像していたかを尋ねて話が盛り上がるのも、ネット予約ではできない醍醐味だ。


毎日、台所で手紙の返信を書く久美子さん


ピーク時には年間300組ほどを迎えていたが、コロナ禍を経て現在は半分ほどに減少。訪れる人は30歳前後と60歳前後、東京近郊からが最も多いという。決してアクセスがいいとは言えない場所だが、常連客は各地にいる。


庭で山菜を摘む充さん


周辺には川が流れ、4月中旬には桜が咲いていた


苫屋を訪ねる人は、何を求めてこの山奥まで足を運ぶのだろうか。

充さんは「常連の名古屋のバンドリーダーは『ここで見る星が楽しみ』と言ってるし、岡山の常連は『飲み食いや人との縁』って言うね」と語る。

「都会の喧騒から離れて静かな時間を、というのももちろんあると思うけど、常連さんはここでいろんな人に会ってお友達が増えたりするのも楽しみなんじゃないのかな」と久美子さん。

同じタイミングで宿泊した客が友人になったり、ふらっと顔を出しに来た地元住民と宿泊客が知り合いになったりするというケースも多い。

「うちに来てくれるお客さんは、孤独というものから離れに来るのかもしれないね。一緒にご飯を食べたりおしゃべりしたり、近所の人たちも『(村に)来てくれてありがとう』ってごあいさつしにきてくれたりする。囲炉裏というぬくもりと、人の心のぬくもりに触れたくて来てくれるのかも」(久美子さん)



終わり


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取材・文・撮影/堤 美佳子


苫屋 とまや
住所/岩手県九戸郡野田村大字野田第5地割22
営業時間/カフェ・ランチは午前10:00〜午後5:00頃(予約不要)
宿泊料金/1泊2食付き・4〜10月:8800円、11〜12月、3月:9400円(消費税・サービス料込み、浴衣利用は600円、バスタオル利用は300円)
冬季休業/12月28日〜2月末
問い合わせ・予約/手紙またははがきのやり取り(往復はがきか、返信用切手同封だとありがたいとのこと)
参考/野田村観光協会HP https://www.noda-kanko.com/kankou/stay/tomaya.html