2020年8月、大坂なおみは黒人差別に反対する「ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動」に連帯を示す声明を発表、その抗議の一環として試合の「棄権」を表明した。しかし、日本ではアスリートによる政治的意見の発信に否定的な反応もあり、その背景にある問題が広く知られているとは言い難い。なぜ、大坂は声を上げなければならなかったのか。世の中の不条理に勇気を持って抗議する女性たちのエピソードを集めた『私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い』(集英社新書)から一部抜粋、再構成して紹介する。

文脈で変わる「日本人」の境界


大坂なおみは日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親のもと、1997年大阪市に生まれた。姉の影響で3歳のときにテニスを始め、2001年に一家でアメリカに移住してから本格的にテニスに打ち込んだ。



プロツアーの出場資格が得られる14歳になると、国際テニス連盟のツアー下部大会に出場するようになり、2013年プロに転向する。2016年に4大大会(グランドスラム)で頭角を現し始め、2018年には全米オープンでセリーナ・ウィリアムズを破り、グランドスラム初優勝を果たした。

続く2019年の全豪オープンでも初優勝すると、一時は世界ランキング1位となった。2020年には女子アスリート長者番付で世界一の称号を獲得し、再び全米オープンで優勝した。

日本生まれアメリカ育ちの大坂は、2019年まで二重国籍だった。世界の潮流とは異なり、日本の法律では二重国籍が認められておらず、22歳の誕生日までにいずれかを選択しなくてはならなかった。大坂は2019年10月に日本国籍を選択したので、「日本人初の快挙」と称えられた全米オープン初優勝のときには、国籍上は「日本人」でもあり「アメリカ人」でもあった。

3歳からアメリカで育ち、英語を第一言語とする大坂が2010年、13歳で日本テニス協会に登録したのは、父親の判断によるものだった。当時は全米テニス協会が彼女に興味を示しておらず、日本選手として登録する方が活躍の機会に恵まれるとの見通しがあったのだろう。

実際、彼女は2008年以降ヨネックスから用具提供を受け、2014年に同社とプロ契約し、2016年から2021年まで日清食品と所属契約を結んでいた。

大坂の日本国籍選択が日本で歓迎されたのには、金メダルに最も近いアスリートの一人だという期待も関係していた。


戦後から現在までの日本における「ハーフ」の歴史を研究した社会学者の下地ローレンス吉孝は、「国益に資するとみなされたり市場の利益と合致する場合には、ナショナルな言説によって『ハーフ』は賞揚される」(『「混血」と「日本人」』)と指摘する。

2020年の東京五輪開催が決定したのは2013年だが、早くも2015年には、陸上のサニブラウン・ハキームやケンブリッジ飛鳥、野球のオコエ瑠偉、サッカーの鈴木武蔵、バレーボールの宮部藍梨などの活躍がメディアの注目を集めていた。

これらの若手アスリートの活躍を紹介する記事は一様に、「アフリカ系ハーフ」アスリートの「日本人離れした」身体能力を称賛することで彼ら彼女らを「日本人」の境界の外に置きつつ、日本代表となる可能性を論じる文脈においては「日本人」として歓迎した。

機会あるごとに日本、アメリカ、ハイチを代表していると発言してきた大坂は、「日本人」と「外国人」の二分法しかない日本社会の反応に大いに戸惑ったことだろう。

ちょうどテニス界で注目され始めた2016年、『USAトゥデイ』紙(1月18日配信)で、「私が日本に行くと人々は混乱します。私の名前から判断して、黒人の女の子に会うことを予期していないのです」と述べ、「私みたいな人は本当に一人もいない気がします。日本を代表するのはむしろ試練に近い感じです」と心境を語っている。


大坂は「日本人らしい」から評価されるのか


片言の日本語や「黒人の女の子」のような外見にもかかわらず、大坂がこれまで「日本人」として認められてきたのは、いかにも日本的な名前はもとより、彼女自身も自認する内向的な性格と控えめな言動によるところが大きかった。

このことが顕著だったのが、2018年のセリーナ・ウィリアムズとの全米オープン決勝戦に対する日本での反応である。

興味深いのは、アメリカでは「黒人女性同士の対決」という快挙として注目されていた決勝戦が、日本では大坂の「日本人らしさ」を証明する機会となり、彼女がグランドスラムで初優勝を果たした「日本人」として称賛されるに至った点である。

決勝戦は波乱に満ちた試合となった。第2セットの中盤で、コーチングを受けたとして主審から警告された対戦相手のウィリアムズは、これに抗議してラケットをコートに叩きつけたことでさらに1ポイントを失い、コーチングという主審の判断に反論するなかで暴言があったとみなされ、ついには1ゲームを失うことになったのだ。

男子選手であればルール違反にさえならないような発言で処分されるという不当な扱いを受け、ウィリアムズが調子を崩す一方で、大坂は黙々と試合をこなし、2セット連取で勝利を手にした。

歓声とブーイングが飛び交う異様な雰囲気のなか、表彰式の壇上に立った大坂とウィリアムズに笑顔はなかった。大坂はサンバイザーで顔を隠し、何度も涙を拭った。彼女の肩を抱き、耳元で励ましの言葉をかけたウィリアムズは、インタビュアーの質問に対して、「失礼なことをしたくはないのですが、質問に答えるのではなく、みなさんに言いたいことがあります」と前置きし、聴衆にこう語りかけた。

「彼女は素晴らしいプレーをしました。これは彼女の初のグランドスラムなんです。……この瞬間をできるだけ最高の瞬間にしましょう。ここを乗り越え、称賛に値する人を称えましょう。ブーイングはやめて、みんなで乗り越えましょう。前向きにいきましょう」

そして、歓声が大きくなるなか、「なおみ、おめでとう!」と大坂を祝福した。


人種問題とメディア


大坂もまた、インタビュアーに「質問と違うことを言います。すみません」と言うと、ときおり涙を拭いながら、「みなさんがセリーナを応援していたことは知っています。こんな終わり方になってしまい残念です。ただ、試合を観てくれてありがとうと言いたいです。ありがとうございました」と消え入るような声で述べ、小さくお辞儀をした。

そして家族への感謝の後に、「全米オープンの決勝でセリーナと試合をすることは、ずっと私の夢でした。だから実現できてすごく嬉しいです。あなたと試合ができたことを本当に感謝しています。ありがとう」と言いながら、ウィリアムズにもお辞儀をしたのだ。

日本のメディアでは、ウィリアムズを「主張するアメリカ人」や「怒れる黒人女性」の典型のように誇張しながら、大坂の健気さや慎ましさを称える論調が目立った。

たとえば『日本経済新聞』(同年9月9日配信)のスポーツ記事は、ウィリアムズについては詳細を説明することなく「イライラを爆発させ、警告を受けた」とだけ言及する一方、大坂が勝利した瞬間を、「ジャンプも叫び声もない、あまりに静かな喜び方がシャイな大坂らしい」と評した。大坂については「柔らかな笑顔」や「無邪気」といった表現も出てくる。

また『朝日新聞』(同日配信)の記事は、ウィリアムズが主審を「口汚く罵倒し、1ゲームの剝奪を言い渡された」と描写し、表彰式で彼女が「自身の立ち居振る舞いが恥ずかしいと気づいたのか」観客を制したとある。大坂については、「観衆にとつとつと語りかけると、称賛の拍手が20歳のヒロインを包んだ」と記している。

これらの記事は、テニス界における人種差別・性差別と長年闘ってきたウィリアムズの正当な抗議を個人の感情の問題に矮小化し、大坂とは無縁のものとして対置することで、結果的に大坂の「日本人らしさ」を強調した。大坂は「騒動」に動じることなく勝利を収めた上に、表彰式でも記者会見でもわきまえて物言わなかったからこそ、「日本人」として認められたようでもあった。


差別と戦ってきた女子テニス選手たち


2018年の全米オープンでの出来事は、テニス界におけるルール適用の男女差という問題を可視化させた点で、試合結果以上に重要な意味を持っていた。それは、WTAが、性差別的な扱いを受けたというウィリアムズの主張を支持する声明を出したことからも明らかだった。

そもそも女子テニス協会(WTA)の創設自体が、この二重基準の問題に端を発していた。

1968年、テニス界はプロ選手、アマチュア選手を問わず参加できる「オープンテニス」の時代に入り、4大大会に賞金制度が導入されたが、男女の賞金格差や女子選手向けの試合が少ないことなどが問題となっていた。

こうした不平等に声を上げ、1970年に女子だけのトーナメントを開催した米豪女子選手9人──「オリジナル・ナイン」と呼ばれる──が、1973年に結成したのがWTAだった。

WTAは2021年12月にも、中国の女子選手が前副首相から性的関係を強要されたことを告発して安否不明となった際、香港を含む中国でのすべての主催大会の中止を発表するなど、女子選手の権利擁護の立場を明確にしている。

ウィリアムズは試合後の記者会見でも二重基準の問題に触れ、「私は女性のために闘い続けるし、女性が平等に扱われるように闘い続けます。[……]私には無理でも、次の人には良い結果となるかもしれないからです」と述べ、次世代の女子選手のために性差別に声を上げ続ける強い意志を示した。

そして、表彰式で世代の異なる2人の「黒人女性」が互いを称えあい、女王ウィリアムズが新女王の大坂を支える姿は、「白人主流のスポーツ」における人種マイノリティの女性の連帯を感じさせるものでもあった。


黒人女性として声をあげた意味


アメリカでは長い間、人種差別が黒人アスリートの活躍を阻んでいた。女子テニス界も例外ではなかった。

1956年に全仏選手権女子シングルスで黒人選手として初優勝し、1957年と58年にウィンブルドン選手権と全米選手権の女子シングルスで連覇を果たしたアリシア・ギブソンは、1950年に初出場するまで全米選手権への参加を認められず、黒人選手向けのテニス協会が主催する試合にしか出場できなかった。

テニス界の「人種の壁」を破った後でさえ、彼女は遠征先で主催者のテニスクラブに歓迎されなかったり、ホテルへの宿泊を断られたりすることも多かった。

「人種の壁」がなくなった後も、テニスのように会員制クラブに所属したり専属コーチについたりしなければトップ選手になることが難しい種目では、活躍する黒人選手の数は依然として少ない。ギブソンの次に黒人女子選手がグランドスラムのタイトルを獲得したのは、40年以上も後の1999年のことである。この年の全米オープンで初優勝を飾った選手こそ、当時17歳のセリーナ・ウィリアムズであった。

姉のヴィーナスと女子テニス界を牽引してきたウィリアムズは、数少ない黒人女子トップ選手として、こうした二重基準によりコート上で不当に扱われるだけではなく、コートの外で黒人女性を貶めるようなステレオタイプの標的にされることも多かった。

姉妹をゴリラや男性になぞらえた人種差別・性差別的コメントは数え切れず、2014年にはロシアテニス協会会長が「ウィリアムズ兄弟」と発言し、WTAにより処分されている。ウィリアムズはそのたびに声を上げてきた。

大坂がウィリアムズを憧れの選手として敬愛する理由は、彼女が優れたテニス選手であることはもちろん、「白人主流のスポーツ」のなかで人種差別と性差別に毅然とした態度で立ち向かってきた黒人女性としての姿勢にもあるのだ。

2018年には多くを語らなかった大坂だが、それからわずか2年後の2020年、別人のように強い女性となって、BLMのメッセージを積極的に発信し始めた。

コロナ禍でWTA主催の試合は3月初旬から7月末まですべて中止となっていた。冒頭の声明に先立つ7月、『エスクァイア』誌に寄稿した署名入り記事によると、大坂はこの間、自分の人生で何が本当に大切かを考え、「もしテニスができないのなら、[世界に]影響を与えるために何ができるだろう?」と自問したという。

彼女は「行動を起こさずにいることは、もう終わりにしよう」と考えたと述べ、こう続けた。

「私の子どもたちの世代のためにこの世界をより良い場所にするには何ができるだろう? と、何度も自問しました。今こそ制度的人種主義と警察暴力に声を上げるときだと決意したのです」

次世代のために声を上げることにしたという大坂の決意は、彼女のロールモデルであるウィリアムズの姿勢そのものだった。


私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い

2022年6月17日発売

1,100円(税込)

新書判/288ページ

ISBN: 978-4-08-721218-1

軽んじられ、遮られ、虐げられた者たちが立ち上がったとき、社会の何が変わり、歴史はどう動いたのか――。

BLM運動や#MeToo運動など、不条理に抗う波が次々と生まれている近年のアメリカ。
全世界的に広がるこれらの動きの原点には、勇気をもって声を上げた女性たちの軌跡があった。
本書では、アメリカ現代史に刻まれた10の“瞬間”を取り上げ、「声を上げる」ことで何が起きたのか、今の私たちに問われていることは何かを、5人の女性アメリカ研究者が連帯しながら分析・論考する。

ローザ・パークスからルース・ベイダー・ギンズバーグ、大坂なおみにいたるまで、彼女たちの言動の背景、状況、影響について知り、社会と歴史を変えた信念に学び、世界に蔓延する差別や不正義を他人事ではなく当事者として捉えるための一冊。