『しろがねの葉』で第一六八回直木賞を受賞した千早茜さんの受賞第一作、『赤い月の香り』が間もなく刊行される。シリーズ前作『透明な夜の香り』同様、神秘的な香りの世界が堪能できる今作について、作品のテーマやシリーズ化への意気込み、主人公・朔への思いを語ってもらった。


赤い月の香り
著者:千早 茜
定価:1,760円(10%税込)

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『しろがねの葉』で第一六八回直木賞を受賞した千早茜さんの受賞第一作、『赤い月の香り』が間もなく刊行される。シリーズ前作『透明な夜の香り』同様、神秘的な香りの世界が堪能できる今作について、作品のテーマやシリーズ化への意気込み、主人公・朔への思いを語ってもらった。対談のお相手は公私ともに付き合いが深い村山由佳さん。まずは、千早さんが直木賞を受賞した日のエピソードから聞いてみた。

聞き手・構成/瀧井朝世 撮影/藤澤由加 ヘア&メイク(千早さん)/加藤志穂(PEACE MONKEY)

村山由佳(以下、村山) 直木賞発表の日は、普段は見ないニコ動をつけて、聞きながらゲラを直していたんです。でも発表の時間が近づいてくると、本当にハラハラしてきちゃって。

千早茜(以下、千早) 私はあの日、朝から体調が悪かったんです。ほとんどSNSも見ずに、よろよろと新潮クラブに行き、こたつで丸まって待機していたら、待ち会のみんなが「村山さんが」と笑いながらスマホを見せてきて、「朝から神棚に祈ってるってツイートしてますよ」って。

村山 発表の瞬間、チハヤの名前が貼りだされた時はもう、仕事の椅子を蹴り倒して立ち上がって雄叫びをあげちゃった(笑)。半泣きで相方のところに走っていって、「やりよった!」って。

千早 カチコミみたい(笑)。記者会見場にタクシー移動する時にゆかさまから電話がかかってきて、でたら「うわーん」って泣いていて。

村山 恥ずかしい(笑)。

千早 でもすぐに声色が変わって「授賞式は何着るの?」っておっしゃって。「やっぱりお着物ですかね」「どんなの?」「梅です」というやりとりをしましたよね。着物は加賀友禅の作家である義理の弟が作ったものがあったんですが、帯と、帯揚げと、帯締めはゆかさまがくださった。

村山 そう。家に押しかけちゃってね。

千早 突然、「チハヤの家、行っていい?」と言って届けてくれました。私の狭い部屋に、きらっきらのしろがねの帯や反物が広げられて、「私、かぐや姫?」みたいな気分でした。

『透明な夜の香り』千早茜
集英社文庫 定価704円(税込)


『赤い月の香り』千早茜
集英社 定価1760円(税込)


村山 チハヤが『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞した時の授賞式も、義弟さんが作ったお着物だったよね。その姿がまさに日本人形のようで、絶対この人は着物が似合うと思ったらドライブがかかっちゃったんです。

千早 「演出・村山由佳」な直木賞授賞式でした。二次会にもいらしてくださって。

村山 そこでも泣いて、北方謙三さんに「村山って泣くんだな」と驚かれましたっけ。

千早 北方先生、私には「おまえ、いい先輩を持ってよかったな」って言ってました。私が『あとかた』で島清恋愛文学賞をいただいた時も、授賞式で壇上に上がったら、ゆかさまが一番前で泣いていて。

村山 そういうのって今までなかったんですけれどね。なんだろう。推しが皆さんに認められる晴れがましさ、みたいな気持ちかな。なんでおまえが晴れがましいんだ、って感じだけど。

千早 私は、ゆかさまは誰にでも愛情深い人なんだと思っていました。

村山 たしかに、自分と同じ小説すばる新人賞から出た人たちの活躍を見るのは本当に嬉しいし、その気持ちはみんなに対してある。でもチハヤのことになると、ちょっと冷静さを欠いてしまうかもしれない。今後は自粛します(笑)。

――同じ小説すばる新人賞の出身とはいえ、千早さんが『魚神』で受賞したのは、村山さんが選考委員になる前です。お二人はどうしてここまで親しくなったのでしょうか。

村山 最初はmixiだったと思います。

千早 小説すばる新人賞の人たちって、毎年授賞式や二次会で会うから仲がいいんですよね。先輩たちに「村山さんは優しいからmixiで声をかけたらいいよ」って言われ、「やだ、怖い怖い!」と逃げていて。自分から人に声をかけるのが苦手なんです。そうしたらゆかさまから声をかけてくれたんだったかな。ゆかさまが『ダブル・ファンタジー』で三冠を達成した頃です。

村山 そんな時期だったっけ。

千早 華々しく輝いていらして、私とは年齢もキャリアも十五年の差があって、おいそれと近づけなかったです。でも近づいてみたら、可愛らしい方でした。でもたまに怖いです。

村山 え、怖い? 怖くないよ?

千早 作品について喋っている時は怖いです。出演されているラジオ番組でも私の直木賞受賞を喜んでくださったんですが、「これでもう安心ね」とは絶対に言わない。麗しい声で「まあこれで仕事もしやすくなるでしょう」って言ってましたよね。

村山 「生き延びる確率が増えましたね」って話をしたんだよね。

千早 そういうことを、ゆかさまはものすごい笑顔で言う。自分でも、直木賞は作家としてまだまだ途中段階だとはわかっていたけれど、改めて、気を引き締めようと思いました。

村山 それを言うなら私のほうこそチハヤのことを最初は怖いって思ってた。

千早 え、なんで?

村山 すごい感性を持っている人だっていう印象があって。mixiに日記形式の、エッセイというか論文のような長文を載せていたでしょう。今回『オール讀物』に載っている受賞記念エッセイもそうだけれども、その日記も一本の短編小説を読んだかのような満足感と感動があったんですよね。でも会ってみたら、こんなに可愛らしいし、お洒落だし。私とは絶対に生息地域が違う人だけど、書くっていうことで繋がっているというのが、すごく嬉しくなりました。

『しろがねの葉』千早茜
新潮社 定価1870円(税込)


『あとかた』千早茜
新潮文庫 定価572円(税込))


『魚神』千早茜
集英社文庫 定価649円(税込)


――千早さんは最初、村山さんを近寄りがたく思っていて、その後どのように印象が変わっていったんですか。

千早 言っていいんですか。

村山 どうぞ。

千早 ゆかさまはお付き合いする相手によって、雰囲気が変わるんですよ。本当に可愛らしい人だなと思いました。

村山 チハヤは全部見てきたよね。

千早 恋愛遍歴をずっと知っているし、お互い恋バナもしてるので。こんなに自分の作風や、キャリアを築き上げている人が、誰かを好きになった時に少女のように変わっていくのがめちゃくちゃ新鮮でした。私は誰と付き合ってもそんなに変わらないので、ゆかさまは心のどこかがずっと柔らかいままなんだなって思いました。小説の大家ってもっと確固とした自分を持って動じないイメージがあったんですけれど、全然そうじゃなかったんですよね。

村山 自分ではわかんないけど、そうなんだ。

千早 でも、北方先生もそうですけれど、大御所の方は皆さん柔軟ですよね。新人作家のほうがしゃちほこばっている感じがある。

村山 そうかもしれない。余裕がなかったりするからね。

千早 でも、私はずっとしゃちほこばっている。そろそろ中堅なのに。

村山 チハヤはその偏屈なところが最高なのよ。しゃちほこばっているというより、芯がブレない。ちゃんと自分と、自分の書くべきものを持っていて、人の意見に左右されずに、自分で歩いていく感じがあるんですよね。私なんかは、しょっちゅうブレながら、なんとなくあたりをさまよって結局また戻ってくる感じなんですけど。

千早 でも文章はブレないですよね。本当にいつも、安定の、良質のエンタメを提供してくれている。直木賞をとった後、受賞記念のエッセイ十本ノックとかがあって「自分のことを書くのはもういい」と苛々してきた時、ゆかさまの『ある愛の寓話』を読んだら、ものすごく安心して浸れたんです。こういう心理状態の時こそゆかさまの上質なエンターテインメントが必要なんだなって。ゆかさまの読者もきっと同じだと思う。あ、そうだ、読者で思い出した。

村山 なに?

千早 ゆかさまとの出会いを思い出しました。デビュー当時、初対面の人が苦手すぎる私に、この先サイン会を開いた時に大変なことになるって編集者さんが不安になったみたいで。「村山さんのサイン会の対応は神だから、見て学びなさい」と言って、ゆかさまのサイン会見学に連れていかれたんですよ。

村山 ああ、来てくれたのは憶えてる。

千早 端っこから見ていて、「いや、あんな神がかった対応は私には無理です」って言っていたらゆかさまに見つかって、サインの列に並んでいる人たちに「あそこにいるのは小説すばる新人賞受賞者の千早茜ですよ!」って、私の宣伝までしてくださった。「優しい、どうしよう」って思ったのが最初でした。それでmixiで、「申し訳ありませんでした」って挨拶した気がします。

村山 ごめん、すっかり忘れてた(笑)。

『ダブル・ファンタジー』村山由佳
文春文庫 (上・下)定価638円・704円(税込)


『ある愛の寓話』村山由佳
文藝春秋 定価1870円(税込)


『男ともだち』千早茜
文春文庫 定価781円(税込)


――千早さんの『男ともだち』の連載第一回が雑誌に掲載された時、それを読んだ村山さんが千早さんに温かいメールを送られたそうですね。

村山 「これはあなたにとって大きな意味を持つ作品になるから大事に書くといいよ」というような、偉そうなことを送りました。

千早 そういうふうに目をかけてくださったのが、本当にありがたかったです。

村山 いや、具体的にはなにもしてないもん。

千早 あれは挑戦作だったので精神的にぜんぜん違いました。今日も、シリーズものの大先輩として助言をいただけたらと思っていました。私、ずっとシリーズものはやらないって決めていたんですが、今回やることにしたので。

村山 調香師の朔さんが出てくる『透明な夜の香り』の続編、『赤い月の香り』のことですよね。

千早 シリーズを書くって、読者ががっかりしないか心配な気持ちと、読者をちゃんと裏切りたい気持ちのせめぎ合いで。結構悩むんです。

村山 『赤い月の香り』は、その塩梅が素晴らしかったですよ。これ一冊でも充分成り立っているし、しかもあえて前作と対照的に作ってある。『透明な夜の香り』の視点人物は一香ちゃんという女性でしたが、今回は満という男性でしょう。しかも一香ちゃんは自分の性格の問題点や繊細さに意識的だったと思うんですけれど、今回の満さんはわりと無意識的なところがある。そうしたひとつひとつ、第一作に寄りかからずに世界を作ってあるところがすごいと思いました。
『透明な夜の香り』も『赤い月の香り』も短編連作のようなつくりですが、全編を通してのミステリにもなっている。私は自分がミステリを書けると思ったことがないし、書いたこともないけれど、謎の匂わせ方と、回収のタイミングがすごく気持ちいいんですよね。

千早 わーい。

村山 よく、思わせぶりなだけで、最終的に「?」みたいなミステリもあるでしょ。真相に肩透かし感があったり、匂わせすぎて「もういいよ」ってなったり。今作は、謎の提示の仕方と、回収の仕方のバランスがすごく緻密だと思いましたね。それと、最終的に語り手である主人公が抱えている悩みが明らかになるっていう点は前回の形を踏襲しているわけじゃないですか。その謎が明らかになった時に、主人公がそれまで心でつぶやいてきたことや、誰かの一言に対する反応が、どれも過不足ない。特に過剰さがないのが素晴らしい。非常に考え抜いて書かれていますよね。ここにチハヤの頭のよさが出ていると思う。細密画を描くかのように神経を張り巡らしてこの世界を構築したんだなと思いました。

千早 ありがとうございます。

村山 やっぱり文章もきれいだしね。

千早 文章は前作のほうがきれいなんですよね。一香人称のほうが、世界がきれい。満のほうは、わちゃわちゃしている。

村山 そりゃそうだよ。満くんが一香ちゃん並みに緻密だったら、嘘っぽいじゃない?

千早 そうなんですよね。そこが一人称の苦しいところですね。

村山 でもだからこそ、満が粗忽な男としてリアルにそこにいる感じがする。憎めないんだよね。一香ちゃんに懐いて走り寄っちゃう場面とかね。

千早 それで朔が怒っている。背後で、じっとりと(笑)。

村山 私は第一作の時から、朔さんの友人の新城推しでして。ほんと好き。

千早 私はずっと朔推しです。

村山 庭仕事をしている源さんもいいよね。続編では、じつは源さんにもいろいろあったということがわかる。

千早 今回は、加害と愛情というものを意識して書いたんです。愛による加害性が一番出るのは肉親とか親子の関係で、自分はそこに怖れがあるのか、その部分が今作にはすごく出たと思います。私もゆかさまと同じように、ミステリは書ける気がしないんですけれど、ホワイダニットみたいなものは好きなんだと思います。『しろがねの葉』でも、殺したのは誰かというのを回収した時の気持ちよさはすごかった。自分は人の心の謎解きは好きなんだろうなと思います。
それと今回、朔の仕事がうまくいかない話も書きました。私、『美味しんぼ』がめちゃくちゃ好きなんですけれど、すべての問題を本当に食だけで解決できるのかな、といつも疑問に感じていて。それで今回は香りでは解決できない話も書いたんです。前作は天才・朔のお話という感じでしたが、今回の朔はちょっと人間に近づいている感じです。

村山 そうなったのは、一香ちゃんが作用しているおかげよね。二人の関係ってすごくじれったいけれど、でも別に彼らにとっての幸福が、一緒に暮らしてラブラブになることではないというのもよくわかるんです。

千早 ゆかさまはシリーズものを書く時に気をつけていることはありますか? 読者のことを考えないほうがいいっていう人と、考えたほうがいいっていう人がいますよね。

村山 私が読者のことを考えるのは、番外編の時くらいかな。番外編は読者に喜んでほしくて書いているかもしれない。あそこで語られなかったことは、実はこうでした、みたいな部分を書くから。

千早 過剰に書くことに否定的なのに、そこは割り切るんですか。

村山 だって、気持ちいいツボは押してあげたいじゃない(笑)。本編はもう、書き手が登場人物に対して誠実でさえあれば、物語は矛盾なく進んでいくものかなって思うんですけれど。


――そもそも千早さんがシリーズ化を決めたのは、どうしてだったのですか。

千早 毎作、自分の中で課題を持っていたいんですが、シリーズだと課題にならないんじゃないかと思っていたんです。でも「シリーズ」っていう課題もあるのかなっていう。

村山 そうだよ。シリーズのほうが難しいよ。

千早 シリーズ化するなら人気のあるものがいいのかなと思い『透明な夜の香り』にしたんですけれど、書いてみて、私はこの世界がめちゃくちゃ好きなんだ、と気づきました。書いていて楽しいし、ほっとするんです。
小川洋子さんが『透明な夜の香り』の文庫解説を書いてくださったんですけれど、それがびっくりな解説で。普通の解説のような「千早茜はこういう人間である」とか、「幻想的な文章が」といった表現がほぼなくて、ただただ、小川さんがあの洋館まわりを散歩して、見たものを書いているような文章で。

村山 なんて贅沢なの。

千早 それを読んだ時に、「あ、私もこの場所が好きだ」と思いました。ここに戻ってこられてよかったです。

村山 そういう作品をひとつふたつ持っていたら、すごく苦しい時にも乗り越えられると思う。自分の立ち位置がわからなくなった時、「でもここに私の好きな世界があります」っていうものがあると、安心な気がする。

千早 私は結構、朔に似ているので、朔と一緒に考えている感じがあるんです。前作では私も朔と一緒に執着と愛着の違いを考えていたし、今回は正しい執着について考えていました。自分が思っている愛情は加害ではないのかとか、自分は加害者にならないと言えるのか、とか。そういう怯えみたいなものを、朔に重ねて、自分の好きな場所で考えることができる。その点でも、書いていて楽しいですね。

村山 いやあ、読者にとっても幸せな時間でしたよ。息を吸って吐くかのように、つまずくところなく読める。本当に美味しい水みたいにするするするする入ってくるの。

千早 美味しいお水は、ゆかさまの小説のことですよ。上質なお水。『ある愛の寓話』を読んだ瞬間、いい香りのお風呂に入っているような感じで、「あー、幸せ」って。

村山 『透明な夜の香り』と『赤い月の香り』を通して読んだ後、私、ホーム社のサイトで連載しているエッセイ「記憶の歳時記」の最終回を書いたんですよ。チハヤの文章で勉強させてもらった後で書いたからだと思うんですけど、「あれ、私、今までこんなにタイトな文章を書いたことなかったな」となって。自分でもすごくびっくりしました。

千早 私の文章、タイトですか。

村山 タイトだよ。全部タイトだったらハードボイルドになると思うんですけれど、チハヤの場合はふくよかなのにタイトっていう。

千早 そうですか。発見です。それにしても、あのエッセイは毎回、結構切り込んだことを書いていますよね。

村山 そうだね。最終回は、自分の男付き合いの問題点について赤裸々に書きました。

千早 ああ、怖い怖い(笑)。


――二人のやりとりを聞いていると、時々千早さんが姉で、村山さんが妹という印象を持ちます(笑)。

千早 いやいや、私にとってゆかさまはずっと先を行く、背中を追いかけている存在です。

村山 これは言ってもいいのかな。チハヤに「直木賞受賞おめでとう」って電話した時、「少しだけゆかさまに近づくことができました」って言ってくれたんだよね。「そんなふうに思ってくれてるんだ」「いや、でも私はいつも同じ地面に立っている気がしているし、リスペクトしているんだよ」と思いました。

千早 正直、自分は直木賞のような大きな賞をとるような作家ではないとずっと思っていましたが、でもやっぱり、ゆかさまの背中を追いかけたいっていうのはありましたね。

村山 チハヤの今回の受賞は本当に嬉しいんですけれど、でも直木賞ってなんだろう、とも思うんですよね。この間テレビを見ていたら、何十年も前に直木賞をとって選考委員まで務められた大先生がいまだに「直木賞作家」って紹介されていて、のけぞりました。それより先の賞もあるのに、やっぱり知名度では一番だし、そのせいで道を踏み誤る人もいるでしょう?

千早 私、『しろがねの葉』が時代小説なので、時代小説の書き手と思われないかという懸念がちょっとあったんです。でも、Twitterでいろんな人が「『しろがねの葉』もいいけれど、私は千早作品ならこっちも好き」などと挙げてくれていて。ありがたいなって思っています。

村山 そういう確かな目を持ったファンがつく作家ですよね、千早茜というのは。

千早 どれだけ私が偏屈なことを言っても、お手紙には「千早さんが幸せに心地よく生きていけることを願っています」みたいなことが書かれてある。

村山 生きづらい人だって思われてるのかな(笑)。

千早 見守られているなと感じます。こういう人間なので、自分がこの先、ゆかさまのように後輩の作家になにかできるかといったら、できない気がする。

村山 たぶん、チハヤがゴーイングマイウェイを貫いていれば、みんながその背中を見て、「ああいうふうになりたい」ってついてくるんだと思うの。

千早 私、編集者さんから「これからは千早さんが編集者を育ててください」と言われたんですよね。新しく編集者になった子たちに、こんなふうに作家さんとコミュニケーションをとって、こんなふうにひとつの作品を作りあげるんだとか、その達成感とか、成功体験を与えてほしい、って。

村山 それは一緒に真剣に仕事をしていれば、自然に伝わることだから。私は、今は担当編集者も年下ばかりで、「去年入社しました」と言う人もいる。でも、その人たちが渾身の力でくれる助言は、私に見えていなかった死角を教えてくれる。私が彼らを助けるんじゃなくて、あくまでも、いつまでたっても返せない恩を全身に浴びて書いているような感じがします。

千早 今までは居心地のよい環境で仕事をさせてもらってきたんですが、今後はそういう環境を自分で作っていかなきゃいけないんだなって気持ちです。

『風よ あらしよ』村山由佳
集英社文庫 (上・下)定価990円(税込)

――千早さんは『小説すばる』出身なわけですが、今、『すばる』に「傷痕」という連作短編を連載されていますよね。

千早 去年くらいから、本当に仕事がしやすくなっていて、楽しいです。編集者さんが、私が書きたいものによって媒体を探してくれるようになったんです。集英社に「こういうものが書きたいです」と言ったら、「ああ、『すばる』がいいかもしれません」って。今後も書きたいもの重視で、媒体を選んでいけたらいいなって思っています。

村山 その時、どういうものを書きたいって言ったの?

千早 「傷が書きたい!」って言ったんです。『しろがねの葉』で長いものを書いたから、短編でキレのあるものを書きたい、いろんな種類の傷が書きたいって言ったら、「じゃあ『すばる』かな」っていうことで。様々な傷が入った短編集にして本にしようかと思っています。

村山 振り幅を大きく確保できるのはいいことですよね。時代小説も、今後二度と書かないと決めているわけではないでしょう?

千早 ないです。昔の商人の話を書きたいなとも思っています。お金儲けをすることと、人の道を外れないようにすることって、たぶん、どこか繋がっている気がするんですよね。そういう話を、十年くらいかけて書きたいなと思っています。

村山 また「今書け」って編集者さんに言われるんだよ。『しろがねの葉』の時のように(笑)。

千早 いやあ、私、本当にビジネスに疎いので、いろいろ調べてからでないと無理。ゆかさまもまた近代の話を書いていますよね。

村山 『小説すばる』に「二人キリ」という、阿部定の話を書いています。たまたま阿部定の特集の番組にコメントゲストで呼ばれたんです。それがきっかけで、「なんだろう、この女は」って思ったんです。『風よ あらしよ』で書いた伊藤野枝はまだ自分と似ているところがあったけど、阿部定に関しては、似ているところといえば男の人とくっつきあうのが好きな点くらいで、あとは全然違う人間なの。それなのに、愛おしくなっちゃったんですよね。彼女の中になにか渦巻くものがあるのに、世間では「阿部定」という記号にされて、その前後の彼女の人生に関しては誰も見向きもしていない。番組に出演する時に資料としてわたされた阿部定の尋問調書がものすごく詳細で。「これさえあればなんでも書けるぜ」と思ったんですけど、いざそれを小説にしようと思ったら、フィクションの入り込む余地がなくて。

千早 なるほど、資料が詳細すぎて。

村山 しょうがないので、外側に虚構の枠組みを作って、いま書いています。

千早 楽しみにしています。今日はありがとうざいました。これからも相談とか、秘密の話をしていけたら嬉しいです。いなくならないでくださいね。

村山 お互い大喰らいだからたぶん大丈夫だよ(笑)。


「小説すばる」2023年5月号転載


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