被爆地・広島で行われているG7サミットでは核軍縮が主要な議題の1つになる見通しだが、78年前に投下された原爆の被害に、今なお苦しむ人たちがいる。「『黒い雨』訴訟」は、被ばくを強いられた原爆被害者を本当に救ったのか。この4月に提起された「第二次『黒い雨』訴訟」について、『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)の著者である小山美砂氏がお届けする。(全5回の第2回目)

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「『黒い雨』訴訟」は、被ばくを強いられた原爆被害者を本当に救ったのか。

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を巡り、従来の援護対象区域より広い範囲を救済するよう国に命じた広島高裁判決。その確定を受けて2022年4月、新しい被爆者認定制度の運用が開始された。

しかし、「黒い雨被爆者」たちの闘いに、終止符は打たれなかった。新しい制度の下でも、切り捨てられる人がいたのだ。

広島・長崎の現場を報告する本連載の第2回は、前回に続き、この4月に提起された「第二次『黒い雨』訴訟」についてお伝えする。 今回焦点を当てるのは、黒い雨に対する《差別》の問題だ。

「新しい被害者の《線引き》が生まれている」


2023年4月15日、広島市内の会議室。杖を持つ人、車いすに座る人――集まった約60人は、「第二次『黒い雨』訴訟」への参加を決めた原告予定者と、その支援者だ。それぞれの胸中にあるのは、不安と、強い意思だろうか。

原告団の結成集会となったこの日、その闘いを共にする弁護団事務局長の竹森雅泰弁護士がマイクを持つ。

「新しい被害者の《線引き》が生まれている。こうした被爆者認定のあり方を是正して、全ての『黒い雨被爆者』を救済する。そのために裁判を起こしたいと思います」

原告団結成集会で、第二次訴訟の意義を説明する竹森雅泰弁護士(右)と、弁護団長に就く足立修一弁護士=2023年4月15日午後2時55分、広島市内で筆者撮影


前回、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた人たちが、再び訴訟を起こすことになった経緯を紹介した。当初の「黒い雨」訴訟(第一次訴訟)では2021年7月、広島高裁が、従来の援護対象区域の外側で雨を浴びた人たちを「被爆者」として認め、国側に救済を命じた。その判決確定を受け、国は新しい救済制度を作成。2022年4月から運用を始めたが、その制度からも切り捨てられた人がいたためだった。

「第二次『黒い雨』訴訟」には、新制度で被爆者健康手帳を却下されるなどした23人が参加する。弁護団は第一次訴訟と同じ顔触れで、国の被爆者援護行政を動かした7人だ。

新制度は、①広島の「黒い雨」に遭い、その状況が「黒い雨」訴訟の原告と同じような事情にあったこと ②障害を伴う一定の疾病にかかっていること――の2つを被爆者認定の要件とした。①は前回取り上げた通り、過去に作成された3つの降雨域を巡る、新しい《線引き》の問題だ。

今回焦点を当てるのは、②の「疾病要件」だ。3月末現在、県内では申請者4696人中184人が手帳の交付を却下されているが、②が理由となった人は半数を占める。原告予定者でも、後述する1人がこれに該当していた。

②の要件を掘り下げて考えると、黒い雨に対する《差別》が見えてくる。

この4月末に提訴された訴訟でも、重要な争点の1つになる見通しだ。竹森弁護士は言う。

「手帳は、いつ病気になるかわからない人に渡して、健康診断や手当を受けてもらうためのもの。『黒い雨に遭った』なら、被爆したと考えるべきで、疾病を認定要件にするのはおかしい」

「パーキンソン病以外の病気なら……」


それでは、どのような病気が対象になっているのだろうか。以下がその一覧だ。


広島県健康福祉局被爆者支援課による資料(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/life/856677_8050332_misc.pdf)、および厚生労働省の「健康管理手当」(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku06/02.html)をもとに編集部作成


通称「11障害」とも呼ばれている。「疾病要件」を満たすにはこのいずれかの診断を受けなければならない。これ以外の疾病ならどれだけ重い病状であろうと、手帳の交付は退けられてしまう。

「夫は、点滴で生かされているんです。どうしても手帳を渡してあげたい」

1月、弁護団や支援者でつくる「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」が開いた相談会に訪れたHさんは、目元を潤ませながらそう話した。

この時82歳だったHさんの夫は、2022年12月に手帳の申請を却下された。夫はパーキンソン病を患い、1年以上の入院生活を送っている。寝たきりで、発語や食事も難しく、「明日の命もわからない」状況だ。しかし、パーキンソン病は「11障害」には加えられていなかった。

夫が黒い雨に遭ったのは、5歳の時だった。

自宅は、爆心地から北西に約20キロ離れた旧上水内村にあった。当時1歳だった弟と家の前にいたところ、ゴミがたくさん降ってきて、母親に「ゴミが降ってくるけ、入りんさいよ」と言われたそうだ。

夫は元気だった頃、こうした体験をHさんや長男に話してくれていた。だが、上水内村は従来の援護対象区域の外側にあり、「被爆者」にはあたらなかった。Hさんは「入市被爆者」(原爆投下後2週間以内に、救護活動や家族を探すためなどで爆心地近くに立ち入った人)に認められて手帳を取得していたので、長男は幼心に「なんで同じ原爆におうとるのに、親父は持ってないんかの」と疑問を抱くこともあったという。

2021年7月、区域外にも黒い雨が降った可能性を指摘し、より広い範囲にいた人も救済するよう命じた広島高裁判決が確定。夫と同じ上水内村では、原告団長を含む原告3人が「被爆者」に認められた。2022年4月から運用が始まった新制度でも、上水内村は援護対象に加えられた。

「病気で苦しんでいる夫に、手帳を持たせてあげたい」

Hさんは、夫の申請書を代筆した。だが、ぶつかったのが「11障害」の壁だ。対象となる病気を患っているかどうかを、医師による診断書で証明する必要があった。

2004年に診断を受けたパーキンソン病は、対象外。ただ、手術歴があれば要件を満たす白内障は、7年ほど前に治療を受けていた。診断書を書いてもらおうと手術を受けた眼科に依頼するも、「カルテが残っていないため、証明ができない。本人を連れてきて、眼を見せてもらわないと」と言われた。Hさんは「夫は寝たきりで、動かせないんです」と訴えたが、請け負ってもらえなかった。

結局要件を満たすことはできず、却下されたのだった。

「夫のことばかり考える。どうしても私があきらめきれないんです」

相談会でHさんはそう話していたが、その後、夫の容態が急変。この2月に帰らぬ人となった。「被爆者」と認められることは、ついになかった。

他方、原爆投下当時一緒にいた弟には、夫の死後、手帳が交付された。Hさんは「弟が認められて、少し胸の内が収まった」とほほ笑むが、わだかまりが残る。

「パーキンソン病以外の病気なら、手帳はもらえていたんでしょうね……」

長男も、「先がない、という人がたくさんいると思う。適正、公平に判断して、交付すべきものはしてほしい」と話している。

「黒い雨被爆者」と、その他の被爆者


そもそも、なぜ「疾病要件」が設けられたのか。

実はこの要件は、爆心地近くにいた直接被爆者、原爆投下後の街を歩いた入市被爆者、負傷者の手当をした救護被爆者、そしてそれらの胎内にいた胎内被爆者――には求められていない条件だ。黒い雨被爆者にだけ、より高いハードルが課せられたといっていいだろう。この措置こそ、被爆者援護行政における《差別》ではないか、と考えるゆえんだ。

この《差別》は、黒い雨に対する援護施策が始まった1976年から続いてきたものだ。

国は終戦直後の調査で「大雨雨域」とされた地域(長径約19キロ、短径約11キロ)のうち、直接被爆者として認定される被爆地域を除いた範囲を援護対象区域に指定した。正式には「健康診断特例区域」という名称で、1945年8月6日にこの内側にいたことが証明できれば、無料で健康診断を受けられるようになった。しかし、医療費の自己負担分が無料になり、各種手当が受けられる「被爆者」に認められるためには、「11障害」への罹患が必要だった。つまり、「疾病要件」である。

小山美砂『「黒い雨」訴訟』(2022年、集英社新書)より。「原爆被爆者援護事業概要」(広島県健康福祉局被爆者支援課、令和3年版)をもとに作成。図版作成/MOTHER


限定的な「特例」措置にとどめた理由として、1975年4月の衆議院社会労働委員会で政府委員が、「健康診断地域も爆風の影響は受けておるのでございますけれども、(中略)放射線の影響はほとんどないわけでございます」と答えている。

そして、新制度の「疾病要件」についても厚労省は、「黒い雨に遭っただけでは健康被害が生じる可能性が低いと考えており、『雨に遭った』だけでは認定することは難しい」と説明。原告全員が「11障害」を発症していたことを踏まえて、「疾病要件」を設けることに理解を求めた。

国が「黒い雨被爆者」と、その他の被爆者を区別して考えていることが、これらの説明に表れていないだろうか。

しかし、広島高裁判決はこれまでの国の対応を批判していた。健康診断特例区域について「本来、(中略)被爆者健康手帳を交付すべき者であったにもかかわらず、敢えて、その交付をしないで健康診断特例措置の対象者とした疑いが強い」と批判。そして、被爆者援護には、「一見健康と見える人に対しても幅広く適切な健康診断および指導を実施する」目的があるとも指摘していた。原爆放射線の影響が明らかになっていないことを前提とした判断だった。

問われているのは、次のポイントだ。

病気になったから、救済する。

いつ病に冒されるかわからないから、援護する。


広島高裁判決が立ったのは、後者の立場だ。晩発影響も指摘される放射線の特性を考えるならば、そうあるべきだと言えないだろうか。「疾病要件」は司法判断に背いている上に、核の実態に即していない。


「黒い雨の被害は、軽んじられていますよね」


今回、「第二次『黒い雨』訴訟」に参加する岡久郁子さん(82)の思いも、ここにある。裁判を通して訴えたいことは、黒い雨に対する《差別》の是正だ。


原告団結成集会でマイクを持つ岡久さん=広島市内で2023年4月15日午後2時10分、筆者撮影


岡久さんは、爆心地から西に約15キロ離れた旧砂谷村で黒い雨を浴びた。あの日の朝、診療所を入ったところで「ドーン」と、大きな音がした。慌てて外に出ると空が真っ赤で、ゴミが次々に降り落ちてきた。焦げた紙が多く、活字が印刷されたものもあったという。

黒い雨の援護拡大を求める運動は長く支援してきたが、「大病」を患ったことがないため、裁判への参加はためらっていた。しかし、広島高裁判決を機に、手帳の申請を決意。病気の有無を問わず、原告全員を「被爆者」に認めた判断に励まされたためだった。

それなのに、新制度では「疾病要件」が課せられた。岡久さんは甲状腺に異常があったが、要件を満たす「甲状腺機能低下症」との診断には至らなかった。

「黒い雨の被害は、軽んじられていますよね。他の被爆者には課していないことを、どうして私たちには求めるのか……。これは、明らかな差別だと思います。そういうことを、裁判では訴えたいんです」

第一次「黒い雨」訴訟は、確かに多くの黒い雨被爆者を救った。被害者を「切り捨てる」運用を続けてきた被爆者援護行政を問いただし、転換を迫った。しかし、第二次訴訟に立ち上がった岡久さんたちを見て思う。「被ばく者」は、本当に救われたのだろうか、と。

この問いを追究するためには、もう一つの被爆地である長崎にも足を運ばなければならない。次回の報告は、「二重、三重の差別」に抗う長崎の闘いを伝える。

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